今日は床屋さんー頭のスポーツ
先ほどまで床屋さん。来週火曜・水曜・木曜の御寺への出張のためである。いつも床屋さんに行くのは、出張前。その上、さすがに、この残暑で、長髪は、暑すぎる。「相当に白くなってるから、そんなに暑くはないが」というのは、負け惜しみ。
保育園の友人が床屋さんをやっていて、もう数えてみれば20年ほど同じところに通っている。保育園仲間とはいっても、自分が保育にいたときの友人というのではなく、下の子の保育園の友だち、K君のお父さん。わが家では、床屋さんといわずに、「K君のところ」「K君のお父さん」である。
私の場合、職場あるいは同業集団の外側で、20年の間、1/2ヶ月に一度は会ってきた人というのは、親族でもいない。他には本郷の角の元タバコ屋さん(今はカフェ)の御主人だけ。さびしい人生であるが、しかし、K君のお父さんとは、毎回、一時間は、「床屋政談」から歴史・文化にわたる広汎多様な話題を、双方勝手に話題にしてきた。「お父さんの癒し」である。
こういう風に書きながら、前近代では、こういう人と人との出会いの狭さ、人間関係の貧血状態は考えられないことだろうなどと飛躍した思考が広がっていくのは歴史家の癖か。そんな関係は、商店街で買い物を毎日していれば何ら珍しいことではない、そういう思考の展開は、男の歴史家のジェンダーバイアスだといわれるかもしれない。逆に現代社会にも存在する富裕層の社交関係の中では珍しくないのかもしれない。そもそも、こういう日本社会の人間関係のひどい貧血状態は、現代世界の中でも珍しいものなのかも知れない。すぐに細部を一般化するのは歴史家固有の文化論症候群であるのかもしれない。
しかし、良し悪しや実態は別として、近現代の人間関係の孤立化・アトム化と、前近代の人間関係の濃密さの対照的な関係は否定できないだろう。そういう意味で、社交と共同体(村社会)の歴史学というようなことを考えるとすると、それも研究の問題領域としては存在するかもしれない。ええと何か史料はあったかな? 「社交と共同体」、先行研究はあったかなーーなどと歴史家は貧乏性なことを考え出す。
これを下手にやっていると歴史家は気が休まらないことになる。下記の引用は、中井久夫『治療文化論』の、歴史の関係者には有名な一節。「歴史家の職業病としてのうつ病」。
一般に歴史学的な作業をやるものには、その職業病といってよいほどうつ病が多い。私が比較的長大な精神医学の歴史を執筆した時、このことを思い合わせて「なるほど」と思ったことがある。私は歴史家のいとなみの現場を少ししか知らないのだが、懐疑精神を精神科医は主に内容に向け、歴史家は、史料批判という形で史料の信憑性あるいは歴史学的真正性に向ける。歴史家の禁欲性は、史料の存在しないものを以って語るのをみずからには容易には許さない。いくら足を伸ばしても着底しない泥沼を進む思いが、歴史家には、あるのではないだろうか。そして歴史に興味を持つ人,すなわち過去に興味を持つ人はpost ferstum的な人、いわば(微分でなく)積分回路的な人、日本の精神医学で「執着性気質」といわれる、几帳面で、飛躍をみずからにゆるさず、やや高きにすぎる自己への要求水準とそれにもとづく課題選択にしたがって凡例枚挙的に無際限の努力をしながら(「仕事の重圧につねに押しつぶされていたい」(若き日のウェーバーのことば、マリアンネ夫人による)、つねに不全感からのがれられず、しかも、緊張と高揚感とを職場を去って自宅へ戻ってからも持続する、という人であることが臨床的には多い(長さもあって、著者には申し訳ないですが,耳の痛いところは一部中略)。
中井は自分の高校の同窓生を中心とする小集団の内部で「個人症候群」を越えて、「普遍症候群として近代精神医学との関係をもった」人が、二人とも歴史関係の人であったといっている。上記の観察は、その「臨床的」体験の報告である。私のような「個人症候群」を越えるほどの真面目さはなく、頭のキレの悪い人間でも、この話の筋はよくわかる。
現在の日本の歴史家は、共同体の中の「語り部」というような安定した地位をもっていない。そもそもどのような意味でも共同体の存立自身が困難であり、それ故に、共同体的な社交は貧困で、歴史学は共同体との接触はなく、語り部となるためには社会的障害が多すぎる。歴史学者は、日本社会の中では、普通の学者以上に変わった存在、queerな存在である。そもそも現代日本社会は歴史健忘症あるいは歴史恐怖症である。その中で、中井の『治療文化論』は、歴史学者の精神と仕事の健康性と社会性を守るために必読の文献となっている。中井のような精神医学者に、このような分析と観察の機会をあたえてくれた中井の友人の歴史家たちに感謝。
ともかく歴史家は頭に力を入れすぎる。商売道具が頭に蓄積した記憶だからしょうがないのだが、私の精神衛生法は別の病気をもっていること。つまり「理論」病を病み続けることである。一種の趣味の理論であり、禅狂であり、論理実証分裂主義と称している。
K君のお父さんは、武道(空手)が好きで、息子の空手の相談相手である。彼らは「とっさの受け身」というものができ、これがあれば人生で遭遇する人身事故の8割はかならずクリアーできると豪語している。実際、バイクで横転しても、自転車で転んでも、かすり傷で済んでいるのは事実。しかし、K君のお父さんいわく、55をすぎるとダメよというのが、実際で、この前は自転車で転んで、受け身がとれず、どうして受け身がとれなかったかわからずに茫然としてしまったという。この年になって、お互い、思い知ることが多いと禅問答。
武道の常識は身体に力をいれない。たとえば蹴る足は脱力しておく、そしてあたる途端にムチのように足先をしならせる。真面目すぎるとダメ、どうやって手を抜くかが肝心というのがご指導。真面目な人間はつい力を入れてしまう。筋肉自身が偏ってくるという。狭い床屋で振りを入れて見せてくれる。
今日は背中のコリがひどいので、さわってもらう。診断は、これは骨に問題。畳か柔らかい絨毯の上に仰向けになって足を抱え込んで、背中を丸めて揺らせること。そうすると骨がバキバキいうと。帰ってきて、この体操をやってから、この20年の友好の記念を、ブログに残し始めたのだが、話が脇にそれて、また背中が痛くなった。もう一度、やってくる。
(この項続く)
K君のお父さんは、武道の場合は、最後の「秘」は、教えないとおっしゃる。教えてしまうと、自分の身の高さまで追いつかれてしまう。それを避けながら、相手の成長をみている。これは商売のこつと同じ。それとくらべて学者は偉い。すぐ教えてくれると。
それに対してお答え。「それは学問が、武道ほど高級でない証拠。身の中にたまるのは重さのない知識で、要するに手当たり次第に集めたカスのようなものだから、人に教えても教えても人格化はしない。そもそもそんなものを独占しようなどとすると人間がカスになる。カスが共有されて、脳髄の活動の前提の中に入り込んで、誰からもみえなくなり、浄化されて透明なものに結晶していくのが目的」などとお答え。
勝手なことをいいながら、二人で大笑いをするのが、いわゆる「癒し」。職場にいる時より、頭もちゃんと働くようだ。先月と今回は、彼の方がやや若いにもかかわらず、話の切り返しも遅れを取らず、快調である。とくに先回は、大きな癒しのパワーももらい、長きにわたる床屋政談にも一段落がつき、今回ははじめての公式記録である。
もう無理なことだが、私も武道の練習をしたいものだ。身体の不器用さは、どこかで頭の不器用さに通じてくるのは見やすい道理である。所詮、空手も学問はスポーツであって、片方は身体、片方は頭という違いがあるだけである。どの場合も、本当のスポーツのようにもてはやされることはないが、学者が頭のスポーツ選手であることを典型的に表現するのは哲学者だろうか。歴史学者はスポーツで言えば、水泳であろうか。そして私の場合は、クロールが下手で、おぼれそうになるとみっともないカエルのような平泳ぎで「あがく」ということになる。もう少しかっこよくといきたいものだ。
五味太郎のいう「丈夫な頭とかしこい身体」をもつことが必要なのは、誰も同じことであろうが、学者もその例外ではない。