益田勝実さんの仕事について
タイトルに益田勝実さんと書いてしまったが、私は1948年生まれ、益田勝実氏は1923年生まれ、25歳も違う。けれども、『かぐや姫と王権神話』を書き出した昨年末から、この7月にいたるまでずっと益田氏の仕事を読んできたので、無意識に頭の中には「さん」とでてくる。3月ころ、この本は益田さんの仕事なしには成り立たないと自覚した頃、益田さんはどうされているかとネットワークをひいてみて、2月6日になくなられていることを知ってショックであった。できれば、お仕事によって、こういう本が書けましたと報告したい、できれば一度、「御挨拶してみたい」(あるいは「見てみたい」)と思い始めたところであっただけに、ああ、この世代の人々は亡くなっていくのだという喪失感があった。
浅見和彦氏に頼まれて、浅見氏の編の『古事談を読み解く』(笠間書院)に「藤原教通と武家源氏」を書いたのは2008年、まだ3年前のことである。この本には益田さんの「古事談鑑賞」が再録されており、それは浅見氏が益田さんに頼んで可能になったとはしがきに書いてあった。だからお元気なのだとばかり思っていた。
私が益田さんの仕事を意識したのは、『説話文学と絵巻』が最初で、『かぐや姫』を書き出してからは、「フィクションの誕生」という1993年に行われた『竹取物語』についての対談(『国文学』)に一挙に惹かれた。こういう風に『竹取物語』を読む人がいるのだ、だから僕の読み方もあっていいかもしれないというように大変に励まされた。対談に載っている「海坊主」(失礼)のような写真も強い印象で、益田さんは、このお顔で私の頭のなかにいる。
ただ、かぐや姫が火山の女神であるという論点を詰めていく中で、益田さんに『火山列島の思想』があるのを頭のどこかで思い出した。『火山列島の思想』は1968年の刊行だが、そのころちょうど大学にいた私の世代だと、この本などを含む筑摩書房のシリーズは親しい印象のもので、その装幀をよく覚えている。そして、そのころ、『火山列島の思想』という表題にひかれて、少しは読んだことを思い出した。この本はあったはずだと本棚を探したが、所在不明。あるいは図書館で読んだか、立ち読みだけだったか、ともかく急いで入手してみて、これが益田さんの神話論であることを確認した。そしてこれも、私たちの世代の連想ということかもしれないが、その神話論を読みながら、三木清の『構想力の論理』の「神話」論のことを思い出し、読んでみると、「夜の神話」という考え方が一致している。三木もシェリングによって神話は夜に幻視されるものであると述べているのである。
研究の基礎となる発想は、ずっと昔にしみ込んでいた記憶の再発見に到達すると安定するということがある。時間を逆回しにするように、はるか昔の読書と知識の記憶と感覚が呼び覚まされることによって、それが自分の根にあるものであることを再発見したかのように感じる。それによって自分の内面の手触りを再認識するということかもしれない。ともかくも、こうやって自分を再構築するのは楽しい。それは自分の経験と記憶の中に新しい根を通すようなことで、歴史学というものは自分の内面に記憶された史料を対象にする労働なので、両者はよく似た心理過程である。
益田さんが死去されていたことを知り、浅見氏に驚きを伝えた。浅見氏は大学時代に「自主ゼミ」(古い言葉だが、我々の世代には独特な響き)で益田さんに東大の駒場に授業にきてもらった。その時、益田さんは教壇の机の上に立って、「相撲」の振りまで教えてくれた。どれだけ面白い授業であったかは彼の話を聞いているとわかる。おそらく平安時代の相撲についての講釈であったのだろう。浅見氏は長い知り合いだが、その文学研究の出発点の一つをはじめて聞いた。そして、益田さんがどういう方だったかという話は誰に聞いたらよいだろうと聞いたら、自主ゼミの企画に賛同してくれた先輩がT田氏で、彼に聞くのがもっともいいという。実は、同氏の仕事も『かぐや姫』の重要な前提になっているものである。こういう網の目を学術世界の中であらためて知るのも、自分の経験の中に根を下ろしていくのと同じような経験で、こうやって人文学的な学術世界は結びつけられ、関係づけられていくことになる。
益田さんにお聞きしたかったのは、同じ法政大学にいらした石母田正さんとの関係である。私は、この世代、つまり第二次世界大戦前から戦後にかけて生きた研究者の記憶を集積することに嗜癖的な偏執をもっているので、益田さんに石母田さんの記憶をうかがうなどいうことは考えただけで感情がわきあがるのである。しかし、その感情をもった時には、すでに益田さんは死が近かったか、なくなられていたということであった。
こんなことでよかったのだろうかというのが歴史学者としての感じ方である。現在の日本文学研究の状況はよくわからないが、すくなくとも、私は奈良平安時代の文学研究ということになると、益田さんの歴史学への問題提起を、我々が正確に受けとめ、歴史からの議論を返すという当然のことをやっていなかったと思うのである。さらに西郷信綱さんの仕事を想起すれば明らかなように、いつか『物語の中世』に書いたように、歴史学は日本文学研究に借りがある。
当時、応答ができたのは石母田さんだろうが、『火山列島の思想』がでたころの石母田さんは、すでにそれに応答する十分な余裕はなかったはずである。約40年の応答不在。私の益田さんへの応答がそれを挽回する内実をもっているかどうかは、日本文学研究の方々に評価していただくほかないが、それを越えて無念さが募る。私たちは狭い世界に住んでおり、学術と文化を豊かにするために働ける人員は多くない。それなのに、なんでこういうことが起きるのか。1960年代末期のあの時代からすでに40年。喪失感の内側に生まれる「ああ我、何をなせし」という無力の悟りをばねにして、もう一度仕切り直してみたいと思う。
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