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2010年8月 4日 (水)

歴史家の日記 保立道久

今日は河音能平氏の著作集の第三巻『封建制理論の諸問題』の「解説」の一応の完成原稿を出版元の文理閣に送った。約30枚。本来は、私の担当ではなかったようだが、依頼をうけ御引き受けする。依頼の時に、すでにパンフレットに名前が入っているのをみて驚倒したが、やはり断れない。本来7月に出版の予定を7月締め切りと記憶していて、7月半ば頃、文理閣のk川さんに締め切りを確認してあわてた。けれどもまだ第一巻も第二巻も遅れているので十分間にあうということで、徐々に考えをまとめた。『かぐや姫と王権神話』の校正終了と同時に取りかかる。

まず、O山さんに京都の60年代の学界状況の中での河音さんの立ち位置のようなものを電話で聞く。河音さんの最初の理論論文の「農奴制についてのおぼえがき」を考える上では、上山春平さんなどの人文研グループとの関係を聞いてみたかった。あまり関係なかったよというのがお答え。そして、60年代の河音はものすごい勢いだった。あいつは理解が早くて昨日読んだことでも前から当然知っているような顔をして話す。石井進さんが東大では河音さんの仕事ですべて決まりという院生が多くて本当にどうなんでしょうかと聞かれたことがあると。先週土曜から執筆を本格化。やはり勉強になった。60年代から70年にかけての河音さんの仕事のやり方はやはり本当にたいへんだったのだろうと感じた。河音さんのいう「敵対的批判」なるものには賛成できないが、それだけの覚悟なしには仕事はできなかったのだろうと思う。反面、梅棹・上山両氏の「生態史観」はそんなに問題なのかという点は疑問。つまり梅棹さんー上山さん、そして梅原さんと京都の歴史学界の関係を聞きたかった。

『かぐや姫と王権神話』で神道のことを考えながら、戦後歴史学のもう一つの分岐点、河音さんのいう京都の「日本文化論」を、見直してみたいと考えた。その結論を書いた。昨日、総合図書館に上山さんの「大東亜戦争の思想史的意義」を読みにいったら、M地氏と机でばったり。彼の意見も聞く。鋭く批判したから60年代の京都は歴史学界をリードしたのだというのが彼の意見。それはそうだと納得。しかし、鋭い批判をやっていた方も、やられた方もきつかったろうというのが感想。

「大東亜戦争の思想史的意義」は、学生の頃には読んだように思うが、意識しては初めて読む。私見では、歴史学の側が(それ故に河音さんが)あんなに批判すべきものかというのが感想。

帰りの電車で上山さんの明治維新論を読みながら帰る。遠山茂樹氏批判。これは容易にはなっとくできない。上山さんの意見はよく知られているように「明治維新ブルジョア革命説」。しかし、私は、少なくとも維新は「革命」ではなかったというのは前近代史家としての確信。生態史観によるスターリン的な「世界史の基本法則」批判は了解できるが、明治維新論と講座派批判はそう簡単ではない。

次は上山さんに反批判された遠山さんの論文を読んでみよう。

遠山さんの温顔を久しぶりに思い出す。一昨年ごろ稲垣さんに噂さを聞いたが、お元気なのだろうか。

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