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2010年8月21日 (土)

私の好きな宗教書ーー大亀禅話

 大徳寺如意庵の大亀和尚の禅話、『大亀禅話』が好きである。なにしろ全部で10冊もあるので、机の脇やベッドのそばの本棚などにおいてあって、時々、手に取りいろいろなところを読む。第二次大戦後の著名な宗教者の生活や感覚をここまで身近に知ることができる本は少ないのではないだろうか。和尚は宗教家という言葉が御嫌いであるというが、宗教者ならば御許しいただけるだろうか。

 大亀和尚には、如意庵で一度だけお目にかかったことがある。大徳寺にうかがっていた時に、沢庵の書状を読んで欲しいと如意庵に呼ばれた。その場では確実でなかったので、写真を撮らせていただき、後に釈文を御送りしたところ丁寧な礼状をいただいた。

 その時、和尚は、「紙は大事にしなければならない」といいながら、反故紙で小荷物の封筒のようなものを作られていた。手早く綺麗な封筒ができあがっているのをみて、私は何か気の利いたことをいおうとしたのだと思う。ある先輩から古文書調査の様子について聞いた話しで御答えした。ラフな服装で白髪の御年寄りの歴史家が古文書をいっぱいひろげて調査をしているのをみたら、「クズ屋」のようにみえた。私たちの職業はクズ屋の一種なのだよというのが、その先輩の御話だった。その御年寄りの歴史家はたいへんに著名な方で、私たち歴史家には敬愛されている方で、「クズ屋」にたとえる先輩の口調も敬愛にあふれたものであったことを思い出す。

 貴重な古文書を「クズ」というのは誤解を呼ぶ言い方で問題だが、和紙はたいへんに貴重なもので、見ようによってはクズのようにみえるかもしれないが、そういう「物」に従属して歴史家という職業も成立しているのだというようなことを申し上げたかったのだと思う。それはわかっていただけたようで、大亀和尚は、それに応えて、「自分は堺の紙屋の息子だから、紙はなんでも大事に使うし、和紙には人一倍興味がある」といわれた。この前、『大亀禅話』をよんでいて、「私は紙のお陰で生きた者」というのは、和尚がいつもいうことであることを知った。

 私が、大徳寺の文書の編纂を仕事とできたことを幸運であると考えているのは、自分の学者や歴史家としての人生観にそって生きていればほとんど近づくこともできなかったであろう禪僧の方々の謦咳に接したことがある。心の中に、何人もの禅者の姿をもっているのはありがたいことだと思う。

 三木清は、「私は理屈の勝った禅宗などではなく、庶民的な真宗の信仰が身に親しい。私は真宗を信仰するものとして死んでいくだろう」といっている。私は、これはまずは三木の幼児の頃の体験を言おうとしたもの、あるいは西田哲学に対する三木の根本態度に関係しているのではないかと思う。さすがの三木も東洋思想というものを十分には考えなかったのではないだろうか。有名な「日本は曖昧な汎神論思想によって厳密な意味での思想が成立しがたい」という彼の意見も、彼が戦争をこえて生きていたら、少しは変わったのではないだろうか。

 ともかく、無宗教の下層の家にそだった私には、お坊さんたちの姿を通じて知った禅宗が親しく、尊いものに思える。これからの限られた研究時間の中で、禅宗史の研究をできるとは思えないが、しかし、最近では、室町時代の文化にとって、南朝派という性格を刻印されている大徳寺が、室町幕府の体制の中で反主流の立場にあり、それが室町文化における大徳寺と禅宗の位置を決定したと考えるようになった。そういうことを考え、仕事をするためにも、少しは禅宗を勉強する余裕がほしいものだと思う。早く時間を確保できれば、高校時代に円覚寺で一度組んだ座禅の経験に戻って、禅宗の勉強をしてみたいというのが希望である。

 大亀和尚がなくなられて、葬儀にうかがってから、もうすぐ五年、まだ五年であることを確認して愕然とする。

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