和紙の色計測ーー学術会議勧告
今日は水曜日で例によって和紙の日であった。もっぱら来週の和紙調査の準備で疲れ切った。昼過ぎに携帯顕微鏡の筒体に直接にデジタルカメラを取り付けるためのアタッチメントの納品にきてくれた竹田理化の女性が、「先生どうしたんですか、すごくお疲れの様子」と真顔でいわれて困惑。昨日の夜、二回、猫に起こされたと切り返せばよかったのだが、頭も回らず、もう老人である。しかし、短気になるのは会議の場だけなので、まだ耄碌はしていない。
和紙調査のために、必要な機器は、だんだん増えている。まずは紙厚を計るクロノメーター、軽量物の携帯用重量計だったが、次ぎに日本言語学の小林芳規先生が作られた、いわゆる角筆スコープ(小林先生が大量に発見された紙にへこみをつけて記述するための角筆の筆跡を見やすくするための紫外線シャットの斜光発生装置)、そして製紙科学の方々が紙繊維の流れ方をみるために利用される携帯顕微鏡。これはDG2という機種で、表面を立体的に照射する同軸照明がついている。今のところこれとった画像でないと、鮮明な紙繊維の流れ方(繊維配向性という)を示す顕微鏡画像を撮影することができない(その画像からフーリエ級数を使った画像分析で繊維配向姓を算出する)。
そして、次ぎに、和紙科研で、ともかく必要であろうということになって登場したのが分光色度計と光沢計である。
今度の調査は、紙の厚さと重量は5/6年ほど前にすでに計測してあるので、クロノメータと重量計はいらないが、操作用のPC2台をふくめて、それ以外のものが大荷物である。
修復室の技官や補助員の方と一緒の出張にしておけばよかったのであるが、例によって金も不足、見通しも不足で、直前になって、器機操作を彼らと確認し、これまで作ってきたマニュアルを再確認し、修正するのに、機械に弱い神経を動員するのに疲れ切る。やり方は一緒に検討し作ってきたのだが、器機の操作はその時々はやるけれども、すぐに忘れてしまう。もうそういうキャパシティがない、勘弁勘弁という感じである。
現在、もっとも手間なのは、色と光沢の計測の仕方の定則化ができていないこと。従来は、和紙の「色」については、「薄茶・黄色・薄黄色」光沢については「光沢(内からの輝き)、光沢(照り)、光沢なし」などとして記録に残してきたが、これは調査者の基準が十人十色で客観的な標識にならない。そこで色差計と光沢度計を使用しようということになって、これまでの作業ではたしかに意味があるということになっている。
しかし、普通の製紙科学での色と光沢の計測は、同じ紙を20枚以上重ねて、それを計るというものである。これに対して古文書は同じ紙が、一枚、または二枚の書状などの場合は二枚しかないのが普通であり、これをどういう下敷きの上で計測したらよいかが大問題となった。考えてみれば、下敷きの色によって異なった数値になるのはあたりまえである。最初は特定の規格のケント紙を下敷きにすればよいかということで、安易に考えていたが、結局それでは正確な数値がでない。現在、製紙科学の共同研究者からの指示は異なった色の下敷きを二枚用意して、それを置いて計測した二つの数値から、20枚以上重ねた場合の数値を算出して客観数値とするというものである。写真の人が使う光学的に定められた灰色の標準板と白色の標準板を使用して、各計測点で二つのデータをとっている。
研究所内では、これでやっているのだが、一枚の古文書和紙について、表裏各々三点のデータを取る。そこで色差計は、3×2×2=12回計測することになる。光沢時計は縦横で光沢が違うので、それもとるので、3×2×2×2=24回計測する。つまり合わせて36回。これは実にたいへんである。
製紙科学の研究成果として出すためには、これが必要であるということになればやむをえないのだが、しかし、このままではストレスが多すぎるし、実用性がない。研究を続け、その結果で、だいたい、この程度計れば、和紙の研究や歴史学にとっては用が済むという程度をはやく発見して標準的な計測法を定めることが大きな課題となる。絶対的な精度という問題ではないだろう。これは相当の時日がかかりそうである。和紙科研の研究計画の内、当初の目論見ともっとも違ったのが、この点であったかもしれない。
そもそも、製紙科学の先生方によると、産業としての製紙の生産額の内、和紙は、0,001%あるかないか、その研究はほとんど実学外のものである。それ故に、和紙の色と光沢の計測法が、これまで議論もされていないのは当然であった。産業としての製糸業には色や光沢の計測は絶対的な必要であるが、しかし、それは大量生産であるから20枚でも100枚でも紙を重ねることができる。この問題は製紙科学の研究者にとっても意外な問題であったということになる。
これまで古文書の調査では、しばしば「色」と「光沢」についての記載をしてきた。その総労働力は相当の量に上っていると思う。これを合理化し、データ共有を容易にすることは、研究基盤の拡充の基礎の基礎の問題である。こういう基礎の基礎を自然科学との関係で詰めていかなければならないのは、歴史学の場合、たとえば正倉院文書の研究でも実施されている。
今日朝、日本学術会議から「科学技術基本法」を「科学・技術基本法」と改称せよという勧告を行ったというメールが入っていた。普通、「科学技術」については文明国では「Sience and Tecunique」というように表現され、このSienceの中には当然のことながら人文社会科学も入る。ところが日本の学術政策は技術政策に異様に偏っており、これは「科学技術」というのは実際上、技術とそれを支える自然科学という意味になっている。ご丁寧に法文でも「人文社会科学は除く」ということになっている。これは明治時代に東京大学が実質上、「東京工科大学」を基礎に作られたような伝統が今でも続いているということで、そういう言い方をすれば「後進国」的現象である。
朝日新聞は、前日、「ホメオパシー」についての学術会議の意見を一面トップで報告したのに対して、上の勧告は小さな記事。十分な解説もない。
もちろん学術会議の活動が広く報道されるのはよいことだが、しかし、ホメオパシーについて一面トップで報道するなら、上記学術会議勧告は全面ぶち抜きで報道するべきもの。ジャーナリズムというのは、目新しいことでないと報告しないのだ。もちろん、記者個人は努力をしていることは承知しているが、しかし、「よくはずかしくなく、こういう紙面を作るは」というのが、客観的にみた新聞なるメディアについての評価となるのはやむをえない。これも、一種の「後進国現象」で、ジャーナリズムといえば聞こえはよいが、瓦版屋だ。瓦版は相当のことを報道しているから、瓦版屋以下か。
こういうことで思い出すのは、ベルギーのルーバン大学に留学していた時、授業準備のために協力してくれが技官の方の研究室が広壮であったこと、ルーバンのエラスムス会館の地下のほとんど半分におよんでいた。遺跡の模型を作り、撮影をし、博物館に協力する技官の方の恵まれた諸条件は本当にうらやましかった。
基礎研究と人文社会科学の無視が日本の文教政策の宿痾であるというのは、大学の学部時代から知っていたことではあるが、はるかに時間がたって、この暑い中に新聞紙面で見せつけられるといよいよ暑苦しい。
猫も暑くて、夜、家中をうろうろするが、今日はそういうことなく、よく眠れますように。今日の仕事のメモを電脳に移して、頭は空にしたので。