河音さんと網野さん
昨日の続き。河音さんと網野さんの関係が深いということは何年か前に網野さんの追悼講演会で報告した時に気付いていたが、その時は戸田さんとの関係を強調した。その後にもう一土考え、今回、正確に点検してみた。河音さんの『中世封建制成立史論』への網野さんの書評がよくできているのに感心した。網野さんが河音さんと「非常に近い立場」にいるということを自認していることも、この書評が懇切で行き届いていることの理由だろう。そして、おそらく、この書評が網野さんの『無縁・公界・楽』の論理が論理としてまとまった形で表現されたもっとも早い例であろうことにも気付いた。こういう関係なしには、あの「乱暴な」論理を創る自信は生まれなかったろうとも思う。 おそらく、こういうことはすべて忘れ去られていくのであろうが、しかし、歴史学は根を掘っていく作業だから、根を辿るための地図くらいは残しておく責任があると考える。研究史と理論に関わる仕事がふってくるたびに思うのはそれである。 結局のところ、網野さんと戸田・河音・大山の関係は非常に深い。それは60年代は京都の雰囲気と学会の中で勉強したと網野さん自身がどこかで言っていることである。 ほとんど全員がいなくなってしまった時代ということになるが、それにしても河音さんたちの世代は友人と研究仲間に恵まれていたと思う。
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