今日は水曜日、和紙の日
今日は水曜日で、和紙研究の日だった。今は帰りの電車の中。朝の電車では「精神労働と肉体労働の対立」というのは社会的分業論としてどういう問題なのか、という最近興味をもっている理論問題のメモを(前の人に遠慮しながら)パタパタうっていたのだが、職場についてしばらくしてから、修復室へ。和紙の計測関係のデータベースの状況とそのHpアップ、そして、今後の研究課題(黄色い非繊維物質の多い紙をどう物理分類するか)の確認。そして、美濃の長谷川和紙工房から届いた試験作成の紙のデータ化の相談。 私の担当は今年度に繰り越した昨年度の経費で正確に長谷川さんに支払いをすませるための会計確認と計算と事務連絡。一瞬、ミスをしたかと思って、あわてて事務に相談したが、そんなことはなかったのでほっとした。大学事務は正確であることをモットーとするので、事務の方々には本当に世話になり、頭があがらない。もちろん、科研の研究は公務で、とくに和紙の研究などは基礎研究も基礎研究、ほとんど人のための研究であるが、やはり自分のしていることの事務を人に世話していただいているということに遠慮してしまう癖はなくならない。 もう一つは、論文の仕上げ。農学部とE前先生を中心執筆者、私の指導院生で韓国に職をえて故国に戻ったHさん、そして史料編纂所のT島技官の協同論文である。これに実は先週末から四苦八苦であった。 昨日、E前先生とそろそろ修正を終えないとたまらないと1時間ほど相談。歴史の方の状況を勘案して、先生の開発した和紙の繊維配向性分析がどれだけ意味があるかを私が工夫して書くということになった。上記の打ち合わせと事務の間をぬってどうにか完成。昨日、相談が終わった15時から、頭の中はそれで一杯だったが、これで一応終わり。その後は、和紙のホームページ作りに四苦八苦。
ルイス・フロイスの『日欧文化比較』は「日本人は左手の指の上で書く」とのべているが、これは紙を二枚重ねてとって、まず一枚目の表に書き、二枚をまとめて裏返して、二枚目に書くというやり方である。そのため、二枚目は紙の表裏でいえば裏に書くことになる。たしかにこういう書き方をしているというのは、これまで紙を作る時の板目(乾燥板に貼り付けた時に紙に移る年輪の跡)、刷毛目(乾燥板に刷毛でなでつけた跡)などで表裏の判断をしていた。しかし和紙は、普通、表が繊維の配向がそろっていて、裏がそろっていないのが普通なので、この繊維配向を低倍率の顕微鏡写真から画像分析で計算し、確実に表裏を確定することができるというわけである。 こういう風に手の上で二枚取りで執筆したことが確定できると、逆に、そうではなく机の上で一枚一枚に書いた机上執筆の文書が確定できることである。手の上で書いた文書と机の上で書いた文書は何となく区別できるが、それを数字の証拠もいれて確定できれば、文書を書くときの環境とか格式がわかってくることになる。公式・正式の文書はどちらかというとやはり机の上で書くことが多いのである(フロイスは「小さな台の上で書く」といっている)。 こまかな話だが、こういうデータを蓄積していくと、いろいろなことがわかってくることを期待している。文書を書く人々の環境と文房具がわかってくれば、たとえば室町時代の守護の家の主人・役人などがおのおのどういう紙を使っているかの目安がついてくるだろう。同じ人が同じ紙を使っている例を蓄積していけば、署名がなくても紙からある程度の推測はつかないかというわけである。 こういうのは見果てぬ夢で、実際に役に立つのは、一〇年後・二〇年後の話かもしれないが、ともかく「物」をみる目が変わってくるのは事実である。 昔のひとは二枚の紙を片手にもって、うまくまとめ、そのままで毛筆で字を書いて器用に手紙を作ったのだ。そういう技法とリテラシーを相当の人がもっていたというのはどういうことなのだろう。そもそも現代の書道家は、そういうことができるのだろうか。聞いてみたい気持ちがする。
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