今日は客の多い日。NHKと勝山氏
今日は客の多い日だった。息子がアメリカへ行くとか、NHKの人がくるというので準備とかでで、昨夜はいろいろ遅くなり、寝不足で職場へ。
朝の客は、そのNHKのディレクターの人で、平清盛の大河ドラマをやるので話しを聞きたいということ。私の『平安時代』を読んで面白かったので、意見を聞きたいということで御会いしたのだが、寝不足のため頭がはたらかず、失礼をした。
ともかくメモを用意してレクチャーをしてさしあげたのだから、勘弁。メモは、清盛に出生の秘密があるかどうか、養育の親は池禪尼と考えられること、正妻の時子とその妹滋子を二条・後白河の父子に配置して二股をかけたのがいつと考えられるか、常葉の問題と平治の乱など。
この時代、摂関時代のような宮廷の「花」ではなく、中下級の貴族の家から、ゴッドマザー的な女性が多数生まれた理由をどう考えるかというのが、現在取り組んでいる続編義経論のテーマの一つなので、それを簡単に説明。
その後、時代のイメージが描けなくて困っている、どう考えたらよいのだろうかと聞かれて、こっちも困る。
私の院政=父子間対立論、それにはじめての本格的な軍事国家の動きが積み重なるという説明をする。しかし、イメージ作りというのは、個人的なもの、主観的なもので、歴史学者は史料にもとづく事実認定の仕事と、それらのすべての前提になる方法論は説明できるし、質問されれば職責としてお答えし、知識は提供する。
しかし、イメージというのは、史料と方法の間に徐々に浮き上がってくるもので、物語の素材となるような形で、すぐには説明しがたい。イメージということになると自分で御考えください、脚本家の人も必要な論文くらいは読み、そこに引いてある基本史料くらいは読むのでしょう?、その蓄積がないとという。
これはぶっきらぼう、かつ切り口上にすぎたかもしれないと、私は、イメージに影響されやすい人間なので、大河ドラマというものは一切見ないようにしている。そういう人間にイメージを語れといわれてもと、軽口をいってフォローする。しかし、このフォローはまずく、ぎゃくに驚かれた(のではないか)。
ただ、ディレクターの人が、平安時代末期とか鎌倉時代というのはイメージの作りにくい時代でといっていたのは、そういうものかとも思う。むしろ作りやすいから大河ドラマにするのだとおもっていたが、実感としてそうではないというのは面白かった。たしかにそうなのかもしれない。武士による国家の成立と源平内乱というだけでは、イメージが受け入れられないような時代になっているのかもしれない。それはよいことだと思う。
日本歴史ほど、社会の歴史常識と学界の研究レヴェルが離れているものはないが、この種のズレを着実に修復していく方策を考えねばならないのは確かなのだろう。それにしても、史料を読み抜いた上で物語を構想してほしいものだ。基本史料はそうたくさんある訳ではないのだから。
午後、三重県史の仕事で勝山氏が來て、何度か部屋にきてくれたというので、閲覧室へお迎えに行き、古文書の部屋で話す。それこそ史料の蒐集と点検のために、三日間、東京で詰めているわけだ。
一昨年の名古屋の網野さんの追悼講演会以来である。なつかしい。
名古屋大学で講演が終わった後、出席されたO山さんと三人で名古屋駅まで帰る。私が、網野さんの仕事と戸田さんの仕事の関係から講演を組み立てたので、O山さんは、「保立くんは何でも戸田さんから立論する。戸田さんは幸せだ」といってたというと、勝山氏いわく、「(O山さんには)僕たちは批判しかしないから」と誇らしげ。
彼と最初にあったのは、もう30年近く前の日本史研究会にはじめて出席した時、彼がK村氏の報告の補助報告に立って、「弁済使」(平安時代の国司の収納会計の私的代理人)についての報告をした時のことである。私は、都立大のマスターに進んだ年だったのではないだろうか。同じようなテーマに興味があったのでたいへんに面白かった。
学会報告というものを、自分の研究との関係で聞いた初めての経験だった。翌々年は彼が主報告者であった。彼には、その懇親会で(だったと思うが)、M高橋氏が「日本史研究会が自信を持って送るエース」といったという記憶、そしてある時、彼から強い批判を受けた記憶が染みついている。
その頃の『日本史研究』を書棚で確認してみると、良く読んだ跡がある。そして、勝山報告が会誌に載った後の批判コメントを僕が書いたのを思い出して探すと、たしかに載っている。元気のいいこと、内容の空疎なこと。勝山氏は、こんな批判をされて困ったろう。読んでいまさらながら赤面。
よい機会なので、いま彼の抜き刷り箱の整理をした(私はいただいた抜き刷りを本のケースに名前をかいて整理している)。この大会報告は、何年か前にでた彼の大著の中には収められていないことを確認。その他、二冊の著書に収められていない抜き刷りが4点。あわせて5点を除いて別にする。着実な仕事ぶりにいまさらながら劣等感がめばえる。
二冊目の『中世伊勢神宮成立史の研究』は『かぐや姫』のために、今年になってから開いて点検した本。井上さんや、先日千々和氏からもらった『日本の護符文化』と同様、我々の世代の研究者が神祇の問題にさまざまなルートで取り組み始めていることを示している。勝山氏の場合は、井上氏や私と同様に、黒田俊雄氏の学説の継承と批判が根となっている。これがどう展開するか、どう展開させるかがはきわめて重要と再認識する。
河音能平さんの話になったら、彼は赤松俊秀さんの著作集の解説をかいたところで、「勉強になった。未解決の論点がいくつか発見した」ということだった。大恐慌の時代に赤松さんがやはり社会経済史の研究をはじめたこと、京都での清水三男さんとの関係を確認していると、歴史家は本当に時代の子であると思うと。赤松氏の『古代中世社会経済史研究』は千々和氏がもっていて、彼の机が近くにあったころは、借りて良く読んだことを思い出す。
おのおのの職場の様子、家族の話。政府が公言している全予算をふくめ大学予算も一割カットという普通の国では考えられないようなバカな話を、K大ではどういっているかなど。
今日(7日)のOECDの発表によると、2007年度の日本の教育への公的支出はGDP比3.4%で、OECD加盟国のうち最下位。デンマーク7.8%。アメリカ5.3%、韓国4.2%。問題は2000年度と比べても0.2落ちていること。そして私費負担率が33.4%でOECD平均の17.4%を大きく上回っていること。大学などの高等教育への公的支出は0.6%のみ。無能で厚顔な人間が政治家をやっていると、何が起こるかわからない。
子供は無事に成田から飛び立った。
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