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2010年9月 6日 (月)

火山論を一休止、義経論へ

 昨日、日曜日の午後は千葉市立図書館で過ごした。千葉市立図書館には研究個室という部屋が15室あり、順番でならぶのだが、ちょうどギリギリ15人目にならんで、最後の鍵を受けとった。鍵型の広い机が使え、PCの電源が取れるのがありがたい。閉館の時まで4時間。これは初めての経験。仕事が進んだ。

 『かぐや姫と王権神話』の後始末がようやく終わりつつあり、次の仕事はしばらく前に出した『義経の登場』の続きを書く仕事である。今、奥付をみたら、出版は2004年だから、すでに6年前ということになるが、この本を基礎に一一八〇年代内乱を考える作業をつづけてきた。しかし、すでに本とした部分で再検討しなければならない部分もあり、昨日は、その作業のまとめ。これなしには先の方への見通しがつかない。

 千葉市立図書館には、『国史大系』『国史大辞典』『大日本史料』『大日本古文書』がそろっており、机に広げて点検している間に時間が過ぎた。日常とは違うスペースで集中するというのは能率的である。

 ただ、最初の一時間ほどは、まだ『かぐや姫』の後処理の仕事。一つは広瀬和雄さんから『前方後円墳の世界』をいただいたので、そのノート。実は、『かぐや姫と王権神話』で、前方後円墳は火山を象徴しているという仮説を提出するにあたって、A木さんと広瀬さんに、そういう説があるだろうかと問い合わせた。そういう説はないと聞いて、半分はがっかりし、半分は自説の独創性(?)に希望をもった。

 前方後円墳が「山」を象徴しているという意見は、すでに近藤義郎氏が『前方後円墳の時代』で述べていることであり、最近では、佐藤弘夫氏も述べている。ただ、これを人間が死去した後に山へ行くという柳田国男がいうような一般的な意味で「山」といっていてすむかどうか。

 山だとすれば、どういう山なのか。そして、この「山」は神話的な観念を反映していると考えるのが適当ではないか。そうだとするとどういう神話なのか。今から考えれば、そういうように論理的に考えていったかのようであるが、実際には、益田勝実氏の仕事を読んで、九世紀の火山関係資料が豊富だったのを思い出し、点検してみると、火山爆発によって形成された墳丘部の描写が、前方後円墳と似ているということに気付いたにすぎない。

 「つか」という言葉が火山墳丘部について使われていること、墳丘の「きざはし=階」が四重になっていることが古墳の段築の様子に対応すること、斜面に礫が敷かれているというのは「葺石」を想起させること、石でできた周垣があり、家の形があること、石人がいること、古墳の周囲の埴輪の列立や家型埴輪を連想させること。

 これらから前方後円墳は火山の象徴という仮説を導いた。火山の風景を解釈するスタイルの中に、すでに神話的な幻想が入り込んでいることは明かだと思う。

 磐構えて作れる墓、磐船などの、磐という用語で、山を描く神話史料を点検する作業が必要だが、結局、この仮説の成否を決めるのは第一には、いわゆる円筒型埴輪というものをどう解釈するかにかかるのかもしれない。タカミムスヒをまつる「厳瓶」にそれを近づけて考えたいのであるが、火山墳丘部の姿を「伏鉢」とか「伏瓮」などというのも、それに関係するのではないか。そして第二には「割竹型木棺」や古墳埋納の管玉に実際に「竹の神話」をみてよいかというのも大事な問題である。私見では、この両者は関係している。

 前方後円墳について全体を知れる本としては、広瀬さんの本は立派なもの。『かぐや姫』の執筆では、近藤義郎さんの本のほか、広瀬さんの『前方後円墳国家』を点検した、今度の本は、さらに具体的である。これは、古墳の相当部分を歩き、調査と発掘報告書を読み解くことなしには書けない種類の本である。いろいろ考え直す。

 広瀬氏がいうように、3世紀半ばからの350年間の時代を一つの構成をもった社会として考えるとすると、前方後円墳の背景には、一つの具体的なイデオロギーが、神話の形で存在したことは確実だと思う。逆にいえば、前方後円墳は、一つの神話の実在の証拠であり、物質的な根拠であるということになる。この説が成立すれば、検討の定点を定めることが可能になると思う。そして、タカミムスヒからアマテラスへの転換の意味も鮮明になる。

 これが「北東アジア火山文化圏」の神話の一部ではないか。その証拠として掲げることができたのは、高句麗の始祖・朱蒙が火山神となって昇天した(と解釈できる)史料のみだが、これが日本の史料の表現と似ているのに驚く。「騎馬民族国家説」の前提となったのは北東アジアにおける「鍛冶神話」の共通性という理解だが、結果としてそれを疑うという意外な展開となった。そうなってみると、それがなぜ、これまで疑われなかったのかがわからない。

 この問題を点検していて、都立大学時代に謦咳に接したことがあるモンゴル史の村上正二先生の仕事を読む。飄々とした村上先生の話し方がなつかしい。朱蒙の史料の出典の確認では、やはり都立時代の先輩の木村誠氏のお世話になった。

 都立大学は現都知事によって、乱暴な方法で大学として一番大事な「伝統」と「連続性」を破壊されてしまったが、今でも、私の中では生きていて、ひょんな形で表層に浮かび上がってくる。

 『かぐや姫と王権神話』の関係で、図書館で点検していた、もう一つの問題はもう少し深刻なもので、「神道」の理解に関わって、井上寛司氏からいただいた批判の大部の手紙である。おそらく批判をいただくだろうと思っていたが、これだけきびしいとは予測せず。これにお答えするにはしばらくかかると気持ちを固める。

 さて、今から、医者。昨日は、久しぶりにクロスバイクで図書館へ向かった。今日もこれから、クロスバイクで40分。帰りは花見川のサイクリングルートをまわろう。

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