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2010年9月28日 (火)

昨日はボン大学のタランチェフスキ氏がくる。

 昨日はボン大学のタランチェフスキ氏がくる。朝、職場のコピー室でばったり会う。少し聞きたいことがあるということだったが、昼にカレー屋にいったら、K藤氏と一緒に彼がいた。
 彼からの質問は、一つはデータベースと知識産業をどう考えるかということ、もう一つは王権論と氏姓制度論であった。
 私は、歴史情報学には職務上、関わった時間だけは多く、きわめて重要な問題とは考えている。ただ、PCもキチンと扱えない役立たずでもあり、つねに人の研究時間を侵害するので、とても耐えられず、もう定年であることもあって、最近、引退させてもらった。
 タランチェスキーは、灌漑について荘園現地調査を行うという河音能平さん門下の本格的な研究者で、データベースと情報学にそんなに興味があるとは思っていなかった。彼の研究にはそんなに必要はないだろうと思っていたので、そんなことを聞かれるとは思っていなかったが、ともかく経験を話す。書いたものをみせろというので、「このブログに関係の論文をのせるからドイツに帰ったらみればいいよ」といった。そこで、昨日、夜、職場で、仕事の時間の後に、このブログに「歴史理論・歴史情報学」というWEBページを作って、何本かのせておいた。ブログというのは、こういうことをするには便利なものだ。
 さて、史料編纂所のデータベースはログをとるとわかるが、国外からのアクセスが多く、とくにアメリカの各大学からのアクセスが多い。向こうの日本学の教室で卒論・修論・博論をやる人間が複数いれば、当然のことだ。以前は、欧米の研究者には、「そっちで少しぐらいデータを作ってよ、利用するだけじゃなくて」などとよくいった。タランチェフスキー氏にもそういった記憶がある。しかし、彼らからはほとんど反応がなかった。しかし、実際上、国際的な日本史研究のネットワークは拡大の一途をたどっており、我々としては、たとえば法経などの普通の日本人の人文社会系研究者よりも、実質上、気分的にも職業的にも親しい人々になっている。これは自然科学系では普通のことであったが、歴史学のような領域が細分化された大規模科学でも必然的なことなのだと思う。特別条件としては、なにしろ日本史研究者は「日本語がうまい」。彼らには、「なにしろあなた方は、文化財保護や史料翻刻などの「本国」研究者が負う雑多な仕事から解放されているのだから、日本史研究をやっている以上、何か国外から協力する方法を考えるべきだよ」などという。とくに欧米の研究者は、自分の研究室に帰れば、一般に我々「本国」研究者とくらべて社会的にも経済的にもまったくのエリートで、研究時間もたっぷりなのだから、そのくらいはいわないと割に合わない。
 話を戻すと、タランチェフスキ氏は、冬一二月にドイツで、「データベースと知識産業、コンテンツ企業」についてのシンポジウムで報告をすることになったという。それで、我々の経験と意見を聞きたいということである。
 タランチェフスキ氏は、データベース事業などは公共的な負担によって行うべきものであって、サイバースペースのコンテンツ産業・知識産業による独占は、一度、動き出すと雪だるまのように止められなくなり、統御不能になる。いまでももう遅いかも知れないが、どう考えるかがドイツでは真剣な議論になっている。あなたはどう考えるかという訳である。
 私は、私の意見は、公的支援、公的負担を前提としながらも、むしろ知識産業の側にも不可欠の役割があると考えるべきではないかというものと応答。これはかならずしも賛同がある訳ではなく、また、日本の大学財政は、それを考えないとやっていけないという現状に規定された意見かもしれないが、ともかく情報事業は無限に金がかかる。規模は小さいかもしれないが、一種のビッグサイエンス、大規模科学だ。この資金をどう調達するかは、公的負担だけでは無理が多い。本質的には大学の人文社会系全体で合意を作っていくべき問題で、いわゆる文化経済学はどうしても芸術文化が中心だが、その大学学術版のような議論が必要なのだと思う。そうでないと、公的負担を要求する書類仕事だけで疲れてしまう。これは私などは、日本の資本主義の改善なり、ヨーロッパ化なりの問題という形で議論する形になるので、ヨーロッパ自身からみると、そんな甘いことはいってられないということかもしれないが、日本の現状にそって考えると、そういうことになる。
 もちろん、大学のデータベースは基本的に無料で、オープンなものであるべきであると思う。しかし、大学と企業が合意のもとに費用を調達して超過サービスをする場合、また企業の側が大学のオープンソースを利用して他のソースと合体的に利用できるナレッジベースを構築する場合、さらには歴史書や史料集を専業にしてきた出版会や編集者集団と研究者・大学の間での協力の発展形態として事業が展開する場合などは、データベース利用料からの大学へのペイバックがあってもよいと思う。たとえば辞書のような知識データをネットワーク上で監修・追補する場合などなど、大学と出版会、知識産業の間で検討可能な問題は多いのではないか。コンテンツ産業・知識産業は知識ソースの所有利用の権限や著作権をもとに長期的には一種の超過利潤をうる場合があるから、それに対する公的統御を考えるべきであることは当然として、日本では、若干の危険はあっても、問題それ自身を出発させた方がよいように思う。
 以上が私の意見。タランチェフスキー氏は、コンテンツ産業・知識産業による独占がいかに怖いかを話してくれる。彼によると、ドイツではウッターバール州のバルメンの出身で聖書や宗教書の販売で財をなしたという知識教育産業の雄がいるそうである。その企業が大学を中心として知識・コンテキストの商業的利用で大きな成功をおさめ、アメリカをふくめた世界の知識産業の中でも知識生産点の掌握では群をぬく地位を占めつつあるという。この企業は、政府機関のコンサルタントと立法事業にまで手を染め(タランチェフスキ氏によると、「このごろの政治家は馬鹿化しているから、法律を自分で構想することもしない」と)、さらには各州での教育関係法の改悪の中にまで入ってきている。そして、この企業と関係をもった研究者は様々な利益を得るということになっているそうである(タランチェフスキさん、このブログをみたら、Bが頭文字だったと思う、この企業の名前をメールで教えてください)。
 今日、文化経済学の概論書、『文化経済学』(有斐閣、池上淳ほか編)をみてみると、ドイツでは「文化は公共的助成によって支えるものという意識が伝統的に強いので、企業など民間による芸術文化支援の動きは、(アメリカの寄附文化などとくらべて)弱い」「ナチ時代の文化の国家統制への苦い反省から、文化政策の中心的な役割は各州や市町村など自治体によって担われているという特色がある」(229頁)ということである。これを前提にすると、上記の企業の動きは、ドイツでも例外的ではない文化教育財政の縮減の状況が、文化政策の責任と権限をもつ自治体の文化政策が形骸化する中で、知識産業の食い込みを招いているということになる。アメリカのような寄附文化の不在が、ドイツでも負の遺産として現れ始めたのであろうか。
 「文化経済学」というのは魅力的な分野であると思う。『文化経済学』を前に読んだときは、もっぱら「文化」、あるいは「芸術」が焦点の議論になっていることに違和感をもった。文化の基礎になる「歴史文化財」あるいは「学術」と学術情報への目配りが少ないように思えた。しかし、いま読んでみると、議論の出発点としてやはり有用なもの。文化経済学の原点として、A・スミスがあること、さらにラスキンやW・モリスが原点とされている。モリスのユートピアが好きな私としては、共感。モリス的な職人仕事への賛嘆は、ヨーロッパ文化の中でもっともよい伝統の一つだと思う。そして「学術」というのは本来、机の上の職人仕事の一つ。
 王権論については、鎌倉・南北朝以降の王権の正統性の時間分離、つまり、覇王(室町殿)・旧王(天皇)体制の明瞭な制度化についての私見を御伝えする。南北朝以降、天皇家内部でお家騒動がなくなるのは、ようするに京都という都市、その暗部を含む基底からエネルギーを吸い上げ、調達するという天皇家のエネルギー構造が弱体化したことである。王統分裂は九世紀以来の日本王権の伝統だが、それが地域的分裂にまで展開し、都市王権としての性格の基礎にひびが入った。それが南北朝期。王統分裂が南北朝時代にはじめて出てくるというイメージは決定的な間違い。
 問題は、その天皇家王権の地域分離とともに、旧王・覇王体制が明瞭に制度化する全体的な連関をどう説明するかにあり、この過程が「氏的国制」と私がいうシステムの瓦解と結びついていることがキーになると思う。この場合、黒田俊雄氏の国家の種姓秩序論の位置が決定的で、黒田説は、鎌倉時代の史料用語語彙では、「氏姓」=「種姓」となっていることを中心に読み直す価値があるとも説明した。黒田俊雄説というと「権門体制」となっているのは「戦後歴史学」の研究史への内在不足のなせる業で、彼の議論の全体性は、「権門体制」論と国家の「種姓的構造論」の両方によって担保されていることを説明。

タランチェフスキー氏から、下記の連絡があった。やはり海外メールは便利なものである。メールが来ると、まず顔を思い出し、そして相互電子的に頭脳を読み書きしているという感覚になる。これも一種の対話であって、面白い対話感覚だと思う。

ところで、あの時に話に出た、世界中で活躍してお
り、これから教育市場へますます侵入することをめ
ざしているメディア会社(財団法人という形をとっ
ているが)はベルテルスマン(Berthelsmann)といっ
て、創設者はエンゲルスと同じバルメン(Barmen, 現
在ヴッパタール市?Wuppertal?と合併)に生まれ、も
ともと聖書などの書物の商売に励んでいた、かしこ
いプロテスタントでした。その会社の所在地は今
ギュータースロー(Guetersloh)に移りましたが、あ
いかわらずウチのノルトライン・ヴェストファーレ
ン州(Nordrhein-Westfalen)の中にあります。この州の
教育制度の資本制化に努力し、その意味ですでに幾
つかの成果を上げました。

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