昨年の奈良女子大学での集中講義ー平安時代の考え方
昨年8月の奈良女子大学での授業の後、もらったレポートへの感想のテキストがでてきたので、あげておきます。これが昨年8月の文章であるということが信じられない。昨年までは元気であった。
私にとっては久しぶりの授業で、熱心に聞いていただいてありがたく思いました。
平安時代王権論は、十年以上前にした仕事で、学界で認められている部分もありますが、批判的な意見も多い仕事です。そういう私説を表面に立てて授業しましたので、わかりにくいところも多かったと思います。レポートではいろいろな質問もいただきましたし、書いていただいた要約をみると、授業の内容が舌足らずのところもあったことを感じます。
そこで、若干の点について補っておきたいと思います。ただ、様々な質問のすべてにお答えすることはできませんので、テキストとした『平安時代』(岩波ジュニア新書)、さらに『平安王朝』(岩波新書)などとあわせて御読みください。
まず、「国家が7世紀の末から8世紀頃にできたといっていたが、そこで国家というのはどういう意味で使っているのか、飛鳥時代にも国家があるのではないか」という質問をもらいました。歴史学者が国家という場合は、一般には社会の中に画然とした階級差、格差ができて、そのシステム自身は安定してほとんど揺るがない状態が存在する段階で、その政治組織を国家といいます。そういう意味での国家は7世紀末頃にできたのではないかという意見の人が多くなっているのが、学界の動向であると思います。もちろん、飛鳥時代やそれ以前にも人々の村や、地域の組織というものはあり、「王」と呼ばれる人や貴族・豪族もいるのですが、上記のような意味での国家が、その段階で形成されているとはいえないのではないかと、私も考えています。
なお、国家の基礎には財産状態の格差があることはいうまでもありませんが、同時に重要なのは、知識や管理労働と、より肉体的・自然的な労働の間の社会的分業を基礎として支配組織が成り立っていることです。律令制の導入は、従来の未分化な社会的分業を一挙に文明化しようという試みであった訳ですが、その中で形成された中央都市は、支配機能・経済機能を集中して、国家の強力な基礎となりました。
王の性格の変化、都市貴族の成立などは、これに支えられているということになります。都市貴族というカテゴリーや、平安時代の社会システムについての私見は、奈良女の日本史研究室の雑誌『日本史の方法』の創刊号を参照していただきたいと思いますが、私は、都市貴族集団とそれを代表する王家の再生産の形式が「平安京」という都市社会の内部における狭い血縁紐帯によって営まれていること、支配層の同族性が高いことが東アジア諸国とくらべると日本の平安時代国家の大きな特徴であると考えています。
今回は、おもに政治史の話しから詰めていきました。政治史からみると、政治史の中心は、やはり王権にあると、私は考えています。少なくとも、王権の内部には相当の矛盾と闘争があり、それ抜きに問題を取り上げたり、それを取り上げることをタブー視したりするような古い見方では、平安時代史の系統的な理解はできないと考えています。
しかし、同時に王家は、最大の都市貴族・庄園領有者であり、かつこの都市貴族集団の代表であるという位置にあること、王権も、所詮、都市貴族集団の全体の動向に左右される存在であることも強調しておきたいと思います。その意味では王権はけっして万能の存在ではありません。そもそも王族や都市貴族の存在は、荘園制あるいは国衙荘園体制などといわれる都市的な社会システム・所有体系によって支えられています。歴史学にとって困難なのは、政治史の研究そのものであるよりも、国家・社会の内部に踏みこみ、王族・都市貴族の内部での矛盾を生みだすような国家内部の利害対立の全体を視野に収めることです。
これはあまりに一般的ないい方になりますが、しかし、私見では、歴史学は科学の一部として、そのような客観的な視野と方法をもたざるをえないと考えています。そもそも政治史という上層部分は、史料も相対的に残りやすいので、初歩的な研究段階でも相当程度の事実を解明することができます。しかし、問題は、そのようにして国家や社会を上から見ていく視座を確保した上で、逆に国家社会の内部に踏みこんで、より日常的・社会的・経済的な諸問題を解明していくことです。そして、それを前提として、もう一度政治史に戻って問題を捉え直すことです。歴史学にとっては、こういう往復運動がどうしても必要です。なおその場合、同じように史料の豊富な制度史の調査が不可欠であることもいうまでもありません。これもしつこくやれば初歩的な研究段階でも相当の事実を明らかにすることができますし、いまはデータベースがありますので、その点でも有利です。
さて、授業では「院政」について話しをすることができませんでした。これについては、テキストや右の『日本史の方法』の私論を参照いただければと思いますが、院政という王家による強力な支配は、上述のような国家・社会全体の動き、その中での社会の暴力化や経済の変化など抜きには必然化しなかったものと考えています。早い時期から院政の萌芽といえる動きがありながら、結局それが実現しなかったのは、国家・社会の内部に、それを必然化するような条件がなかったためということができます。
いろいろな意見をいただいてありがとうございました。レポートに若干のコメントを赤字で加えましたが、私のボールペン字があまりきれいではないことは、たいへん申し訳なく思います。
ただ、レポートを読んでの、より一般的な感想を二つ、申し上げておきたいと思います。
第一は、政治史のドロドロした話しもありましたので、どうしても、感情的な判断をせざるをえない部分があるとは思います。たとえば政治史の実態について「残念」「理不尽」「異様」などの感想が多くありました。事柄が事柄なだけに、そして人間が人間の行為を分析する場合だけに当然で、私はしばしばいわれるような「歴史分析に感情を交えるな」という意見には賛成できません。その意味で、これは当然の反応であると感じます。
しかし、これらは基本的には事実であるということから歴史学は出発しますし、その点では学問一般と同様に冷徹でなければなりません。そして、これは同時に歴史と道徳という古典的な問題にかかわってくることも御伝えしておきたいと思います。戦前のいわゆる皇国史観、超国家主義の歴史観の基礎には、歴史の道徳化があったことは歴史家にはよく知られていることです。そして、歴史と通俗道徳の相違というのは歴史家にとって常識的な原則なのですが、とくに、講義との関係では、私は、現状の平安時代の教科書の叙述には、名分論史観が強い影響をもっていると考えていることを申し上げておきたいと思います。つまり、歴史の構造を単純化して捉えることと、歴史に通俗道徳を投影して何かわかったような気になることとは、実際には共通した問題で、現状の教科書叙述が、ヘタをするとそういう回路をあたえかねないように考えています。
みなさんのレポートを読んでいて、大学は「教科書はない」世界であること、そして自分ですべてを考え直す場であることを実感してくれたかも知れないと感じたのが、私にとってはたいへんにうれしいことでした。
第二は、文章のことです。歴史学は客観性をもった総合的な理解のレヴェルが問われる学問です。様々な知識や学問分野を視野に入れて問題を詰めていくことが要求され、どうしても論題が広くなります。人文社会系ではどの学問でも同じということではありますが、それだけに学術的な文章の技術や能力を鍛えているかどうかはレポートを読めば一目瞭然となります。私からみると、内容はよいのに、文章の書き方について十分に訓練ができていないレポートがめだちました。主語ー述語の関係、助詞(は、が)の使用方法、文章構造の組み立てなど、さらに曖昧な価値意識が入った用語を排除することなど基本的なところについて意識的になる必要があります。大学在学中に、たとえば本多勝一『日本語の作文技術』のような文章読本を一度は読み、話し言葉とは違う文章の書き方の原則を頭に入れておくことを御勧めします。
最後ですが、講義のようなレヴェルで中学校や高校の授業が可能かどうかという問いがいくつかありました。これはきわめて重要な問題です。私は、たんに教科書叙述・教育課程カリキュラムのみでなく、私たちの歴史文化の全体を徐々に変化させていくならば、それはかならず可能であると考えます。
それでは、お元気で。
2009年8月26日
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