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2010年10月24日 (日)

歴史学の「共同研究」は可能か-ー見果てぬ夢

 今、朝6時30分。

  歴史学にとって「共同研究は可能か」というのが、長い間の問題であった。20代の頃の歴史学研究会中世史部会での活動では、共同研究を目ざしてというのが合い言葉であった。それは歴史学のもつ社会的責務についての意見の親近性や、歴史学方法論の親近性、そして研究史のとらえ方の親近性を条件としていたのだと思う。そして何よりも自分たち自身が形成途上の研究者であったということである。研究を広げていく上で、研究仲間がいるかどうかは決定的である。
 私は、そのあと、共同研究は難しい、個人個人で担うほかないというように流れてきたが、かぎられた人間をこえて親近性を広げることが実際上は難しい以上、これはやむをえないことであったと思う。「共同」を意識した世代の仲間意識は残ったが、各々が自己の信じる方向へ進むほかなかった。
 とくに研究史のとらえ方の親近性のレヴェルの維持は難しかったと思う。あの頃の中世史部会には永原説、戸田説から安良城説、そして懐疑説まですべてがいたが、それでも研究史のとらえ方の親近性は成立していた。それはようするに、永原・戸田・安良城・黒田・稲垣そして網野・石井などの「戦後歴史学」のリーダーたちが、目の前にいて、彼ら自身が相互に密度の濃い親近性をもっているのが、我々にもよくみえたからである。こう並べてみれば、みんな亡くなっている。
 それでも「共同研究」という言葉はキーワードであり、アポリアでありつづけた。そこからの走り方の一つとして、私はともかくも歴史的遺産の共有、文化財の保護と歴史情報の共有ということをメインにおいて行動してきた。とくに歴史情報学による歴史情報の共有と、その上に広がる「共同研究」ということは、職場の関係もあって、まわりに迷惑をかけながら動いてきた。

 上記は、さっき、遺跡保存運動の古い友人の宮瀧交二氏が「パソコンに向かうことが研究だと勘違いしてはならない。歴史学という学問が、人と人との交流を基礎とする共同研究でもある」といっているのを読んで、考えたことである。今度あったら、彼には、「パソコンの向こう側に蓄積されるデータをどう作るかも、共同研究の条件なのだが」といってみよう。しかし、それにしても、現在の歴史学は、どのような「人と人との交流」を提供しているのだろうか。これが根本問題であることは宮瀧氏のいう通りである。

 さて、ブログは、私の外部脳としてのPCデータの内の即時公開部分の一つである。PC外部脳の構造性・統合性は、現在のところ、ファイル構造としてしか存在しないが、これはデータインテグレーションのソフトウェアが発達し、PC内データの相互関連性がキーワードのコンテキストを含んで形成されることになれば、PCの研究データを半分は自律的に統合することが可能になるだろう。PCを前に仕事の全領域を眺望しやすくし、仕事の連続性を補助するソフトウェアはかならず発達するはずである。いつか情報学のA石先生がみせてくれた、大量の文章をアップすると、そのキーワードとキーワードのコンテキストを、糸で結ばれた群雲の刺繍のように画面一杯に表示し、そこを入り口としてテキストそのものの処理に移行できる、データインテグレーションのソフトウェアである。
 私は10年ほど前にPCのデータ移行に失敗し、フロッピー(懐かしい言葉)が読めなくなって、その前までの研究データと研究メモを失った。それでもPC内データは膨大なものがあってすべては覚えていない。現在の若い研究者が60過ぎまで研究を続けることができた場合には、さらに膨大なものとなるに違いない。歴史学はともかく扱うデータが膨大になる。しかもゴミデータが多い。そういうPCを誰でもが、上手に扱えるように、データの維持とインテグレーションのソフトウェアが発達するのは確実だと思う。
 一般に研究者のPCには、公開部分(BLOG部分)、蒐集領域(ダウンロードデータ)、そしてクローズドなメモ領域、そしてすでにBookとして社会的に公表された論文領域の四つの領域がある。これらをインテグレートする補助ソフトが高度化すれば、次ぎは、外部的なデータインテグレートが課題に上るはずである。つまり、BLOG部分をつなぐネットワークを1stNETWORKとすると、各PCの深いデータ領域、論文領域やさらには

クローズドなメモ領域をふくむネットワーク、いわば2ndNETWORKとしてよりディープなネットワークを一時的に作りだし、そのネットワークの中で、各PCでのインテグレーションとゴミの排除を前提して、インテグレートソフトウェアを動かすことも可能になるはずである。

Photo

  将来は、Book形式をとった生産物=論文はすべておのおのの研究者のPCにも公開用テキストが装備されるであろうが、それらの生産物、論文によって明らかになった事柄が専門領域ごとの大規模な知識ベースに反映されるはずである。論文を書いたならば、研究者はそれによって明らかになったことをその分野の知識ベースに書き込み、データベースそのものにもテキストクリティークや脚注を書き込むことになる。

 それのみでなく、共同研究の中では、Closedな部分をふくむ外部脳同士を接合し、接合し、照合し、インテグレートし、それによって、いわゆるブレインストーミングを補助するということが可能になるはずである。そういう半ば公開された領域、協同領域というものは、そのためのブログを作れば現在でもできるが、それを個々人のデータ領域に内部におくこともできるだろう。

 このような動きは、まずはおそらく企業のレヴェルで、いわゆるクラウド・コンピューティングのサーバレヴェルのクラウドの中でのブレインストーミングのシステムとして動き出すのだろう。企業の内部情報管理にブログを使うところもふえているというから。しかし、学術の世界でも、とくに通常の研究のレヴェルを越えた広範囲な議論や、広域的な知識総合など、歴史学でいえば、ゴリゴリの個別論文、考証論文ではなく、分野史・地域史・通史や世界史など、一般的叙述を必要とする分野と、歴史理論の構想のための共同研究には、やはりそのような補助がほしい。

 これだけ詳細な新しい論文が、毎年毎月、生産される時代には、そのようなものがなければ若い人々はやっていけないのではないか。先をゆくものと後からついていくものの格差が広がるのではないか。

 ともかくも、学者の生産物は公共的費用によって生成されたものであるから、公的なものである。それは原則としては、政治家の日記が社会に公開されなけれなならないというアーカイヴズの常識の適用をうけるべき対象であるはずである。もちろん、歴史家のPCの中味などは、それとしては価値がない挫折した他人には意味不明のメモばかりだが。

 少なくとも、このような外部脳としてのPCを社会を構成する全員が、おのおのの社会的機能・職能・専門にあわせてもつようになることが、学術の普遍化の最大の条件であるはずである。人々の頭脳のキャパシティには自然的な限界があるから、これが可能になるためには、歴史的な知識体系の知識ベースとしての蓄積が前提になる。誰も、膨大な歴史知識を自分の頭の中にためておくことはできない。それはいわばゴミを頭の中においておくのと同じである。しかし、それらを処理した上で、情報学的なインテグレーションとネットワークの円環の中に社会の構成員のすべてが入ることが諸個人の全面的な発展とその専門性ごとのアソシエーションにとっては必須の条件であるはずである。

 もちろん、この情報学的なインテグレーションとネットワークはオートメーションではなく、それを動かすのは人間である。というよりも、それを支えるのは特定の職能集団であって、これらの情報の入り口、Documentの真理性を判断し、受け入れてアーカイヴするアーキヴィスト、それらを使用して学術情報を作り出すのはアカデミー、そしてその学術情報の最終生産物としての「本」を管理し、そのレヴェルにおいて確認された知識ベースを維持管理するのはライブラリアン。アーカイヴズ・アカデミー・ライブラリアンが、このネットワークを取り囲むということになるのだろう。
 もちろん、ここでいうアーカイヴズ・アカデミー・ライブラリアンが、将来においても、現在と同じような社会的・職能的性格をもつものとは考えられず、相互浸透の局面が大きくなるだろう。また博物館がこのようなシステムの中で、どこに位置付くかという問題もある。しかし、それらを現実に決定するのは、現実社会におけるアソシエーションがどのように動くか、再編されるかに懸かってくることはいうまでもない。

 昨日も市立図書館で半日を過ごし、必要があって歴史学・人類学関係の開架書棚をみまわった。私のように個別の専攻の中でのみ本を読んできたものにとっては、その広さ・深さは、ほとんど海のようにみえる。しかも、それらは開架書棚に過ぎず、それに倍する自動書庫が図書館の階下には潜んでいる。この市立図書館一つでも、そこに蓄積された知識量は、おそらく有名なアレクサンドリアの図書館より大規模で豊かなものである。
 これだけの施設は、やはり社会にとって根本的に重要なものであることを実感する。ライブラリアンにとっては、どのような本を蒐書し、さらに自動書庫から開架に何を選書するか。そして、物理形態をとった「本」と電子形態をとった「本」、さらには「本」の形態をとらないデータベースそれ自体という三つの情報形態をどのように、内容・形式の双方においてインテグレートとするかという問題があるはずである。そして、これらはすべて学術の知識ベースというものをどのようなものとして作り出すかという問題にかかわってくるはずである。
 歴史学というのは、本当に細かなデータを処理するのが本分である。歴史が重要なデータ、みればわかるデータを残すことは希有であるから、それが当然である。そして、そのような細かな無限の作業であるからこそ、「共同研究」が必要になるのだが、そのような職能における「協同」、アソシエーションというのもはどのように可能になるのか。狭い意味での「共同」と親近性ではなく、それがどのように可能になるのか。それはまずは実際の研究と方法の問題であるが、しかし、石母田さんの「国民的歴史学覚え書き」の言い方だと「社会的分業の発達した社会での科学の複雑なあり方の中に自分たちの限られた活動をどう位置づけるのか」ということにもなるはずである。今でいえば、情報化社会という社会的分業の新たな発展の中でどう位置づけるのかということになるはずである。

 さて、今から宮瀧くんに彼の文章の感想を書いたぞ、というメールだし、そして義経にとりかかろう。

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