寺山郷公文の佃経営
今日は休み。朝から自転車。早朝ライドの積もりがお餅を二枚食べたら7時。花見川へ。夏の朝もやをみたかったが、遅すぎた。
義経の史料をもってでる。
左は花見川ルートの一番上まで行って、勝田台の側からみた弁天橋。その下はその弁天橋の上から南をみたところ。左側の河岸の中を自転車ルートが走って海岸にでる。花見川ルートの紅葉はまだ。昨年の秋はきれいだったので、楽しみである。
今日は、海岸まで戻らずに、途中で左へ。国道沿いのファミリーレストランで朝食。500円でたっぷり。
そこで昼まで2時間ほど職場の政策文書。残務処理である。義経は手がつかず。
私が今の職場、史料編纂所に入ったころは、第二次大戦後の雰囲気がまだ続いていた。それが確実に終わりつつあるということを実感。
歴史学の研究史は、こうやって根無し草になっていくのかもしれない。それだけに研究そのものをどう引き継ぐかが問題となるのだろう。
昼前に千葉市動物公園の脇を通るルートで帰宅。動物公園もまだ夏。この左手が「よし川」。鎌倉時代の文書(中山法華経寺文書)に寺山郷公文の佃経営の状況を示す稀有な紙背文書があり、分析をしたことがある。その佃の位置は、この「よし川」流域と考えている。結局、現地調査をしないまま、それらしいところの写真もとらずにいて、ゴルフ場になってしまったのが苦い記憶。ここを通るたびに思う。
石井進さんも、歴博の館長をやっていたとき、気になって、ここら辺を歩いたという文章がある。この左手が動物公園のモノレールの駅で、そこで降りて、さらに左手の岡に登っていったという記事だったと思う。こうやってみると、森ばかりのようだが、これはスプロール化した住宅地の中を通る帯のような自然である。
久しくみていなかった、その論文「日蓮聖教紙背文書、二通」の佃論文を広げてみた(石井編「中世をひろげる」所収)。「二通」のうちの一通についての分析は「中世の女の一生」にいれたが、その残りの方である。一字、「大田之□」となっていて欠字がある。これは「遊」か「堤」と読んでみたかったが、どちらかはわからない。原本をみれば読めるだろうか。服部英雄氏のいう神田と佃がそばにあるという問題の再点検も課題に残したまま。
11月の函館みらい大学での「文化と編纂」というシリーズ講演会での論題は「史料の編纂と歴史情報の共有ーー東京大学史料編纂所での経験から」と連絡。概要も。国会図書館の長尾先生とご一緒。「文化と編纂」というシリーズ講演会を、ここ何年かやられているようで、題名のユニークさに驚く。石井さんに何度か話しをきいた志海苔館の古銭の見学が楽しみ。
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