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2010年10月 7日 (木)

鈴木大拙全集の古書価格への怒り

 昨日、御寺の史料の目録を作っていて「仏国禅師観音懺法図讃」というものがでてきた。仏国禅師といえば、私が知っているのは、後嵯峨の息子で、有名な建長寺の高峰顕日のことであるが、この図讃は宋版の木活字本で、しかも見事な竹紙で作られている。私が目にしたこと、調査したことのある竹紙の中では保存もよく、新品の時はどんなに見事なものだったろうと思える。新品をみてみたい。よくみる江戸期の竹紙は相対的に薄手だが、これは少し厚い。厚いとはいっても、さらに古い宋版一切経でみたことのある、何となく荒々しい感じのする紙とは違って、簀目もほそく、糸目は1センチあるかないかというものである。
 これが宋版の御経であるとなると、仏国は鎌倉末期の日本の僧侶であるから、時代は別として話があわない。無教養を曝露するが、私は中国仏教史がまったくわからないので、こまってしまった。
 こういう時はネットワークを引くにかぎるので引いてみると、「仏国禅師観音懺法図讃」というものがドンピシャででてきた。他に論文もあったが、鈴木大拙全集35巻にも関係する記述がある。大拙全集を見るのが手早いということで、書庫に行ったが後補分の31巻以降はない。昼休みに総合図書館にいって、検索すると、総合図書館などの近辺にはないというのが検索結果、書誌情報の入力に癖もあるということなので、書庫に入ってみたが、やはり存在しない。
 結局、午後は別の仕事が目白押しで、そのままにしていたが、帰宅間際になって、帰り道の千葉市図書館によってみようと思いつき、ネットワークで、本があるかどうかを確認したところ、「あるある」。しかも平日は夜九時まで空いているというので、八時頃に図書館によった。
 検索して、それを印刷して、カウンターにもっていくと2分ほどで書庫から出てきた。夜だから早いということもあるが、我が大学よりも、我が自治体図書館の方がはるかに優秀である。我が大学、一般に大学図書館は政府にいじめられているから仕方がない部分があるとはいっても、しかし、こういう対照を実感すると、たいへんにお寒いものを感じる。
 鈴木大拙の解説は短いが、仏国禅師は「仏国惟白禅師」であり、「趙宋の名匠で頗る文藻に富んでいた。善哉童子南方遍歴の跡を図して、それに自ら賛を加えた。無尽居士張商英は、これに序して『人境交参、事理倶顕、則意詳文簡』とした」ということであった。
 以上。さらに感想を三つ。
(1)実は、昨日は財布を家にわすれたことに東京駅で気づいて、朝、地下鉄に乗れずに立ち往生。改札口の人に頼んで、本郷までの仮切符をだしてもらい(ありがとうございました)、帰宅の時に返却した。図書館のカードは財布の中で、もっておらず、本を借りるのは無理かと思ったが、聞いてみたら、名前のわかるものと、住所などの記入で確認できるということで、大拙全集を借りることもできた。
 日本の社会は基本的なところで親切さというのがある社会で、Well-organizedであると思う。これをシステム的な協同社会に組み上げていくことができれば、そしてもう少し自由と寛容のレヴェルが高ければ、この社会はよい社会であると思う。
(2)しばらく前、鈴木大拙の全集を買って勉強をしようと考えたことがあり、古書を調べてみたら、全巻で2万円を切るものもあった。鈴木大拙といえば、何といっても、二〇世紀の日本の思想家の中では大きな存在で、私などの高校時代には、大拙の本は読むべき本の一冊であった。それが2万円。つまり、一冊1000円以下というのは何ということだろう。ようするにそういうものを読まない時代になっているのだ。
 それ以外にも、津田左右吉全集も同じような値段で、先週末に行った近くの古本屋では三木清全集が全巻、8000円だった。いつか岩波書店の編集者に話したら、変なことで怒る人だという顔をして、岩波の思想大系、古典文学大系などもほとんど値がないに等しいといっていた。これは日本の文化の基礎崩壊とでもいえるような事態なのではないだろうか。大学にそろっていないことも、その一環ということになり、他人事ではない。
 しかし、若い人々は、本格的な勉強をしようと思えば、今が機会なのかもしれない。私の若い時は、とても津田左右吉を揃えようという余裕はなかったが、古典著作をそろえることができるのである。なかなか置き場所も問題で、この前はやはり時間がないと考えたが、私だって、定年になって、退職金を使う余裕があれば、津田、鈴木は是非買っておきたいと思う。おのおのを2ヶ月かけて読めば、頭の中が変わるだろうと思う。
 必要なところをみていたら、すぐそばの、大拙の短文の下記に惹かれた。
「本願の根源。人間は思うたより余計に、本能的心理というもので動作しているかのごとくみえる。これが業である。しかして、自分等は皆論理的に行動しているのだと考えている。これも業である。/////「人」が「心」を通して「物」に働きかける。「物」がその心を映して「人」に響応する。「物」は「物」だけでなくなって、「物」の「心」が人の心と相交わる。一つになる。/////業苦は業苦でついにのがれられぬものか。どうもそうらしい。それで、それら一切をひっかついだままで、弥陀の誓願海へ飛び込む。ここに宗教的安住の世界がある。<親鸞上人七百回大遠忌記念講演会パンフレット>」
 立派なものだと思う。「欲求と自己意識」「物の対象性と呪物性。物の親和力」「業苦と安住」。こういうことを、こういう風に語るのが東アジア宗教なのだと思う。
(3)私は『平安王朝』という本のあとがきで、平安時代の政治史や制度史は相対的に簡単で、しつこくやっていれば誰でも研究論文を書くことができるので、読者にも、是非、挑んでみて欲しいと書いたことがある。人には、「そんなことはない」「研究者を馬鹿にしているようだ」といわれたことがある。
 しかし、歴史学というのは、開かれたもので、多くの人が作業に参加することができる物だと思う。ヨーロッパでは日曜歴史家といわれたアリエスがいる。社会的・人生的経験をつんだ人々が、自分の仕事に関係する特定の分野の歴史の研究を行えば相当の成果をあげることができる。たとえば林業の研究はきわめて少ないが、林業に従事したことのある人が研究に入れば、現在より、具体的な問題がわかってくる可能性は高い。
 とくに江戸時代以降の歴史の研究などは、とても専門研究者だけでは人数がたりない。少なくとも将来の社会では、趣味としては歴史学は非常によいものになると思う。もちろん、どの分野にもかならずいる一言居士のような人が歴史好きの人には多いかも知れないし、学問外的なこだわりがあっては困る。また、基礎作業としての史料検索の便宜がデータベース・知識ベースの形で整っていることも条件だろう。歴史理論と通史的な概説がつねに洗練された形で用意されていること、研究が全体として明らかにしたことが、細かな点まで知識ベースの形で一覧可能になっていることも重要だろう。
 それらの条件があれば、自分たちの社会を省察する上で歴史学は本当によいもので、宗教的観想にも替えることができるものだと思う。ようするに宗教というのは永遠の時間、通常の人生より、長い時間の観想の仕方だから。
 昨日読んだ『「日本」とは何か』で、網野さんは「学問は決して歴史家だけの専売特許ではない。未知の問題は沢山あり、社会全体にそういう探求の意欲が広がり、多くの人が参加するようになれば、学問の質も根本的に変わる。夢のようなことをいうと思われるかも知れないが」といっていた。
 図書館の話にもどれば、研究のためには、個別論文などは電子情報があればすむが、古典や広汎な仮説を含んだ学説史をしるためには、やはり本が必要である。昨日の経験は、そのレヴェルの図書館をつくる条件も、それなりに整いつつあるのかもしれないという感じであった。

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