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2010年10月28日 (木)

乳離れのできない歴史家

 これは家の庭のカリンの実。机に置いておき、さわるとにおいがよい。
 今日は休み。来週・再来週と駒場で授業をせねばならず、今日は自宅で準備をしないと間に合わない。
 駒場の授業は海洋アライアンスという東大の海洋学関係の大プロジェクトが教養学部生のために組織した文理融合の授業。この間、一年に一度、授業をしている。
 史料編纂所の所長をしていた頃、理系の部局長と気があって、色々なところへ行った。これはありがたい話で一種の役得であろうが、『かぐや姫と王権神話』では地震研の前所長O教授が文学好きなのを知っていて火山について教えてもらい、東北大学の谷口先生を紹介してもらった。
 海洋研とはとくに縁が多く、その関係で動員。しかし、ずっと授業をしていない上に、最近は海の研究からは撤退状態なので、話の組み立てが大変である。授業で立ち往生というのは、何度かやったが辛い経験。
 一回は去年と同じ話、「日本の海洋史と漁業」の概説で許してもらうが、一回は考え直さなければならない。河と海という話にしようか。ウナギの話で史料を読ませるか。いっそ「海の神話」ということを考えるか。これが今日の計画である。今日は雨。図書館にも行けない。
 しかし、そもそも私は授業がうまくない。これはどこら辺で学生と共通の興味関心をもてるかということについてのセンスがないのだと思う。大学院のゼミから撤退したのも、私なりの周辺事情はあるが、授業・ゼミにストレスがあるためだろう。
 そんなことをいうと、学部の先生からはブーイングだろう。先日も古い友人が来て、いかに私立大学の学部の研究者生活がたいへんであるかを力説。翌日、翌々日の予定が立たないのだという。彼も色々な管理職が多かったし、現在もそうだから、彼のいう通りであるとは思う。彼は、私と同室であって、編纂という仕事がどれだけ大変かを承知しているからなかなか反論はできない。彼のいた頃よりも、データベース事業を開始した史料編纂所は、多忙さが倍増以上しているといっても、仕方ない。同じく史料編纂所から転出した人が、これでコンピュータに関わらなくてよいと思うとほっとするといっていたのも記憶に新しい。ぶつぶつ。
 ただ、性格的なストレスということを越えて、授業というのは受け売りをする訳にはいかないというのが、私にとっては一番難しいところなのだと思う。私は、ようするにいわゆる「戦後歴史学」、つまりいわゆる「中世史」でいえば、石母田正氏に始まり、稲垣・永原・黒田・網野・戸田・石井・大山・河音などの諸先輩が担った学派にべったりの存在である。私は、その乳に吸い付いて、未だに離れることのできない存在でしかない。六〇を過ぎて乳離れのできない研究者などは冗談にもならないが、歴史学に「突破」はないので、勘弁である。
 私は、実際に彼らが面前にいる時に、その圧倒的な集団的影響力の下で研究者の途を歩んだ。自分の研究は、あくまでもその一部としての意味しかないこと、彼らの諸説の相互に矛盾する点をつき、かいくぐり、突きくぐりということをしていること、よく言えば、その総合から乗り越えを狙っているに過ぎないということを自覚している。ようするに受け売り研究者、エピゴーネンである。
 授業というのはその研究者の人間と本質が現れるものだと思う。「学問をなんのためにやっているか」が現れるものだと思う。ところが、私が授業でできるのは、根本的には受け売りである。受け売りをされる側が、元売りのことをよく知っていれはよいが、そうでなくては面白さはないだろう。しかも私の場合、「戦後中世史学」のホームグラウンドの平安時代・鎌倉時代初期の専攻である。戦後歴史学の全体を理解してくれなくては、ほとんど授業内容は意味がないはずである。
 しかし、学生にそれと同じ立場に立てということはできない。「戦後歴史学」が終焉状況に入っているのは認めざるをえない話だ。再生の道は、受け売り研究者にはわからない。彼らは彼らで、これだけ大量の研究が存在する中で、しかも研究職の途はほとんど閉ざされている中で、彼らの苦闘をしている。私などは、戦後歴史学の乳に吸い付くのに、高校時代以来からの経過があり、そのトラップにはまったことが自業自得であることを理解しているが、彼らにはそんなものはない。
 私のような不器用な人間には、結局、編纂と教育の二枚がけはできない。最後の大学院のゼミのメンバーにはいいたいことはいったし、あとは、私の仕事を論文で読んでもらう以上のことはできない。これ以上、彼らに役に立つことは出来ないということを確認してゼミをやめた。
 さて、しかし、海洋アライアンスの授業では何をやるか。昨年はレポートの時に、一部、コピペにみえるものがあって往生したが、そういうことがないようにするにはどうしようか。受け売りとコピペは違うぞという話でもしておくか。
 河音さんの奥さまから、解説執筆についての礼状が届き恐縮する。

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