ゴードン・チャイルドの伝記『考古学の変革者』
ゴードン・チャイルドの伝記『考古学の変革者』(サリー・グリーン著、近藤義郎、山口晋子訳、岩波書店、1987年刊)を読んだ。ゴードン・チャイルドが先史時代の考古学をはじめて確実な基礎の上にすえた20世紀最大の考古学者であるということは知っていたし、大学院時代にゴードン・チャイルドの英文論文を読んだ記憶もある。けれども、まとまったものを読むのははじめて。もっと早く読むべきものであった。こんなに面白いものはない。素人が先史考古学の知識を得ていく上での結晶軸にすることができるように思う。
ゴードン・チャイルドは、シャイで、変わった顔立ちであることが一つの理由となって、他人と最終的にうち解けないところがあったというが、上の写真だと、とくに変わった顔立ちにも思えない。
この本には「もともと妙な顔つきを服装がさらに強調していた」「夏はごく短い半ズボンに靴下、大きなごつい長靴。とくに彼を特徴づけたのは、古光りする黒色のレインコートで、いつも腕にかかえるか、ケープ風に無造作に肩にかけるかしていた」といい、たしかに奇矯なところのある人であったらしいが、顔立ちそのものは、イギリス人には少ないかもしれないが、日本にはよくいそうなタイプである。「もともと妙な顔つき」というのは、イギリス人の見方なのだろう。イタズラでありながら社交下手であったというが、この写真で、その感じはわかるように思う。
驚いたのは、チャイルドがアガサ・クリスティとよくブリッジをしたという話で、二人は、クリスティの夫のマックス・アーロンがチャイルドが所長をしていたロンドン大学考古学研究所の西アジア考古学の教授であったという関係であったという。ゴードンは、有名なイギリス共産党の創設者、パーム・ダットとオックスフォード時代以来の親友であるというから、クリスティの小説にでてくるような、少し奇矯な左翼の学者というのは、こういうイメージなのかもしれない。イギリスの19世紀末期から20世紀前半の知識人世界というものが、どういう感じのものかがよくわかる気がする。
ゴードンが1957年に、考古学研究所から引退して、故国のオーストラリアにもどり、半年ほどで崖から飛び降りて自死したことも、はじめて知った。おいしいものと贅沢が好きで、独身を貫き、膨大な研究一筋で生きた人間が、著書その他、すべてを研究所に寄贈し、仕事をなしおえた満足感と脱力感の中で、身体の衰えと不如意のみを予感し、自死の道を選択したらしい。彼の考え方では、ハンガリーへのソ連軍の侵略とフルシチョフによるスターリンの行動の曝露もショックであったという。
チャーティズム運動から、マルクス、ダーウィン、W・モリス、H・G・ウェルズなどと続いたイギリス左翼、合理主義の伝統が、どういうように終結したかもわかる感じがする。ヘーゲルとマルクスが教養の基礎にあり、唯物論者であることを否定せず、他方で自分をクローチェ主義者であるといい、「ヨーロッパ文明は、資本主義もスターリン主義も同じように、暗黒時代にむかって取り返しのつかない道をたどりつつある」といい、第二次大戦中、ソ連の全体主義的性格を指摘しながら、戦後に、考古学が人類史の希望をもたらすという楽観的な展望を述べ、さらにスターリンの著作を誉めあげたというような動揺の様子が、よくわかる。これも歴史家の欝なのかもしれない。
死去の数週間前にかかれた告別の辞、「イギリス考古学の直面している主要な課題に関する四十年間の結論」の中の次の一節は、いまでも通用するのではないかと思う。
「我々のもっとも緊急な必要事は、なお信頼できる絶対編年、すなわち少なくとも異なる文化地域における諸事象相互間の前後・同時の関係を対比できる世界的な時間の枠組みである。オーリニャックや新石器時代という種類の言葉で時間の正確な幅を指すと間違って信じているようなことは許されない」。
私は、東アジアの先史時代の「世界的な時間の枠組み」について、宮本一夫『中国の歴史(1) 神話から歴史へ』(講談社)で、はじめて確実らしいイメージをもったが、本当のところ、現状ではどうなっているのか、よくわかる一冊の本はないものか。それにしても、歴史の研究者でありながら、知らないことが多すぎる。少し勉強をしなければと思う。
先日の新聞に、「旧石器偽造事件」によって考古学が一挙に社会的信頼を失ったという記事があったが、右のチャイルドの文章の最後は次のようになっている。
「考古学は、今日、非常に残念にもまだ大学の学問としての地位を確保していない。それを歴史諸科学との統合によって打ち立てねばならない。そうすることによって究極的には、世間をさわがす発見やさらには気のきいたラジオ、テレビ番組によって得られるより、はるかに確固とした社会的地位を手に入れるだろう」。
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