古文書学は補助学か
「アーカイヴズの課題と中世史料論の状況」という、20年近く前に国文学研究資料館・史料館での特定研究の論集に載せてもらった文章を、WEBPAGEに載せた。
昨日、夜、帰宅しようとしたら、職場の玄関で、Y氏に会い、本郷まで歩いていったら、角のスタンドで飲まないかと誘われた。久しぶりに入って、マスターに歓迎される。
基礎研究とは何かという話になり、古文書学は独立の学問分野や補助学かと聞かれて、独立の分野で重要な基礎研究分野だよといったら、意外な顔をされる。先日もある人が、僕とその人とは別のある人がこの問題をめぐって激論し、その人との関係では、いかにも逆なように思えるが、僕が独立の分野だといったので、驚いたといっていた。保立は、いかにも、テーマ研究、方法学問第一という印象らしい。というよりも、僕は古文書学にコンプレクスがあるので、古文書学に対してどうしても斜めに構えた感じが伝わるのだろうと反省。
「独立」かどうかというのは、学問の成立規則、訓練、目的、ディスシプリンに独自なものがあるのかどうかという問題であろう。この場合だと、それらが本質的に歴史学の必要によって左右されるものかどうかということであろう。歴史学はその意味での優先性をもつかどうかということだろう。
もちろん、「補助学」かどうかという言い方をすれば、どんな学問も相互に補助学である。和紙などの特殊紙を研究する製紙科学にとっては、歴史学や古文書学は補助学であり、こちらからいったら、製紙科学は補助学である。相互に利用しあい、啓発しあうという意味では、学問はどういう場合も、相互に補助学である。そして、補助学が補助学である所以は、Aという学問がBという学問にとっては、一種の技術学になるということであって、これは自己を他の学問のための学と心得るという心的な態度を意味する。私としては、そう思わないような学問分野とはつき合いたくないし、奉仕ということを忘れたら、その学問なり、研究者なりは終わりだと思う。たとえば人文情報学と歴史学は、相互が相互にとって技術学となるという意味で、相互にそういう関係にあることはいうまでもない。
なにしろ、歴史学などは「諸学の下男あるいは婢女」といわれるのだから、全面補助学であって、他の学問に奉仕することを生き甲斐としているはずである(閑話休題。「諸学の婢女(はしため)」というのはジェンダー論からいって言葉に問題があるので、「諸学の下男」といってみたが、こちらもやや引いてしまう言葉であるのは否定できない)。
そういう意味では、独立かどうかというのは、第一に、その学問とのつき合い方で、こちらが補助学になることがあるかどうかということだろう。そして、古文書学の背後には、アーカイヴズや情報学という、歴史学からは独立した大分野がある以上、歴史学こそが補助学であるということになるのは、いうをまたないのである。この事情は、右の「アーカイヴズの課題と中世史料論の状況」でも同じような趣旨を述べたので、その部分を、この文章の最後に載せておいた(閑話休題。20年前に言っている意見をいまでも基本部分を維持しているというのを確認すると、自分が執拗な人間、偏屈な人間、オブスティナートな人間であることを自覚する。だから年取った歴史学者というのは嫌われるのだろう)。
しかし、それだけではなく、古文書学が歴史学内部の分化を越えた意味をもつ学問、そういう意味での基礎研究であるというのも、その独立性の理由だろうと思う。これは語彙の研究が、歴史学者の専攻の時代や分野を越えて研究され、言語学との関係において、その知識が精査され、蓄積されるべき基礎研究分野であるのと同じことである。
たとえば、いま、古文書学で問題となるのは、いわゆる中世、室町時代から、いわゆる近世、江戸時代への古文書のあり方の変化の全体を描きだすことだろう。以前、早川庄八氏の奈良時代古文書学の仕事が古文書学の展開にとって旋回点になったのと同じことである。これままさに古文書学が独立した基礎研究であり、補助学などという言い方を越えて虚心で取り組まなければならない学問分野であることをよく示している。
和紙研究との関係でなんとなく重要だと思うようになったのは、まず越前奉書紙は、室町幕府奉行人奉書の竪紙のものの料紙をうけているということである。幕府奉行人奉書の竪紙のものは、澱粉が60%以上も入っており、白く、厚く、やや柔らかい高級な感じのする紙である。これが簀目がつまり、糸目が細くなり、澱粉の量が若干減り、人工的・大量生産的な感じになると、越前奉書になるように思う。ようするに、室町幕府の基本上級事務文書の系譜を引いて、江戸幕府の上級事務用紙はできるのである。
そして、権利者に権利をあたえるような文書、つまり身分的な意味、儀礼的な意味をもった決定文書については、室町幕府が将軍の安堵御教書や公帖に使用する強杉原が、秀吉の朱印状の文書料紙として引き継がれ、それが近世のシボの入った大高檀紙などといわれる紙に流れていく。
この過程で、雁皮紙あるいはほとんど雁皮紙と見分けがつかないような大型の楮紙が大きな意味をもつようであるが、それをふくめて、文書の縦横が巨大化するのが、古文書の形が変化する上で、実際には非常に大きな意味をもった。この過程で、極端に儀式張って、異様なほど大きい江戸時代の文書ができあがるのである。以前、水戸黄門などの映画で、封紙に「上」という一字をかいた「上意」を表現する巨大な手紙が登場することがあったが(いまもそうかどうかは知らない)、ああいう感じの仰々しい文書になっていくのである(だから江戸時代は嫌だ、というのが、もっと「素朴?」な時代をやっているものの感じ方)。
ずっと以前、佐藤進一先生の明治大学での古文書学の授業に、テンプラで(先生の許可はいただいたが)聞きに行った時に、もっとも印象的なことの一つが、佐藤さんは、つねに話の最後を江戸時代の文書体系の話でしめることだった。Y氏からは、高木昭作氏が、江戸時代の文書や儀礼体系の淵源が室町にあることを強調していたことを聞く。
さて、マスターは相当の年になったはずだが、元気である。この店はともかく本郷の角にあるので、私にとっては、娘の友達の床屋さん、Kくんのお父さんと並ぶ、長い間、もっとも定期的に会い、挨拶する人である。以前、マスターには木下順二氏の噂を聞いた。僕も姿をみかけたことがあるが、本郷は木下順二氏のスペース。先日は、ユーラシアしの鬚の大先生が、昼間にきて1時間以上、いろいろな雑談をしていったという話しも聞く。さすがに、マスターはいろいろな人を知っている。
いま、昼休みで、朝の電車で書いたものに、追加して、アップする。今日は、お弁当。パンよりは安いし、おいしい。先日、家でとっている市民生協の宣伝紙に、パンやおにぎりは高い。米を食べろ。そして、それが如何に安いか、農業はこれでよいかを考えろという熊本大学の先生の座談がでていて、それに影響されて、御願い。感謝。
歴史学は、一般的な言い方をすれば、歴史的社会の構成と運動を総体として具体的かつ論理的に復元し、未来にむけて現在の歴史的位置を確認することを役割としている社会・人文科学である。これに対して、現在確認されるようになったことによれば、アーカイヴスは、様々な「社会的な記憶装置」を記憶と情報の共有という原則の下に発展させ、維持・管理しつつ人類の未来につなげていくという課題をもっている。それは単に個別の学問と等置できるようなものではなく、本来、社会・組織体に不可欠な記憶・記録機能をや担うもの、その意味で社会的分業の体系の特殊な一環を直接に担う組織体・組織活動の形態である。現代的アーカイヴスは、その双子の兄弟である図書館や博物館とはことなって、文化・科学のみでなく、社会経済活動全般に直接につながるより広汎な裾野を有する組織・活動なのである。その中で、現代的アーカイヴスの理論は一種の情報の歴史・社会理論ともいうべき様相をみせているように思われる*7。社会的にみると、歴史学は、このような社会の記憶装置の全体に従属して存在しているものであるということになる。アーカイヴスの理論と実践は、(アーカイヴスにとってはやや問題児ともいうべき)双子の兄=博物館の理論と実践と連動しつつ、それをより広い社会的視座から監督する位置、いわば現代における百科全書派の総監督ともいうべき位置にあるのであり、歴史学はそのようなアーカイヴスにとっては補助学*8の一種なのである。アーカイヴスの問題は、広く、宗教学・日本文学・建築史・美術史などの人文科学、また近年における地震史料や気候関係史料の研究状況からみると、さらに自然科学をも含む日本の学術文化の共有の問題である。それは、河音能平が「各史料学は決して歴史学の下僕なのではなく、すべての文化的いとなみのための科学的基礎作業なのである」と述べている通りであり*9、その意味で、アーカイヴスの側が狭い意味での歴史学との関係にはこだわらないという立場をとっているのは正当な側面があるし、歴史学界は、アーカイヴスを狭い意味での歴史学の論理や利害に抱え込むような態度をとってはならないのは明らかである。 もちろん、歴史学が思想的・学問的に相対的に独自な意味と位置を有していることはいうまでもなく、それはアーカイヴス・社会の記憶装置という役割の中のみに局限できる存在ではない。歴史学固有の立場からすれば、アーカイヴスこそが補助学なのであり、たとえば歴史学と言語学が相互にとって補助学となるように、学問の分野・形態の間での学際的協力関係は、常にそのような相互的関係なのである。学際的関係は、言語・経済・政治などとその歴史が、客体的な全体の一部であるからこそ必要なのであるが、その全体性の中に、言語・経済・政治などの客観的諸側面が存在し、その相互的関係によって全体が構成されているからこそ、言語・経済・政治などが学問の客観的な分野として存在するのであり、根拠となる学なしに、それを離れて「全体の学」「学際的領域」なるものが先験的に存在するというのは単なる幻想である。百科全書派が新たな思想を生み出したことは事実であり、同じようなことが、アーカイヴス・ミューゼアムの運動の中からもたらされる可能性は現実に存在しているが、しかし、それが学問の客観的な諸分野の解体を意味するかのように幻想するのは、現実にはおのおのの根拠となる学への失望と無力の表現であるか、学問の安易なジャーナリズム化の表現であるにすぎないというのが実際であろう。 このような歴史学とアーカイヴスの関係の中で、「編纂」は、特別の位置を有している。前述のように、それはアーカイヴス的なドキュメンテーションの総過程の最終的成果という側面をもっている。と同時に、編纂は歴史学の基礎研究の成果に直接に依拠することなしには遂行不能な作業であり、それは実際上は歴史学の基礎研究の重要な一環という側面をもっている。そもそも歴史学の基礎研究は、その作業の対象となる様々な史料を可読の形態に翻訳することなしには成立しえない。この意味で、「編纂」は機能的・一般的にいえば、歴史学研究とアーカイヴスを媒介する位置に発生する作業領域を意味するということができる。問題は、このような境界領域の性格を両側面から過不足なく見極めることにあるのであるが、ここで参考になるのは、安藤正人が歴史学とアーカイヴスに固有の記録史料学との重なりの部分、境界の領域を「記録史料認識論」となずけて、歴史学とアーカイヴスの関係を論じていることである*10。つまり、ここでいう編纂は論の趣旨としては、安藤のいう「史料認識論」と重なることになるのである。編纂と史料論が深い関係をもって存在していることは確実である。もちろん、繰り返すが、編纂は、狭い意味、厳密な意味では、史料情報の活字テキスト形態への変換作業そのものであり、「史料認識論」あるいは「史料論」に解消することはできない。しかし、史料論が編纂作業にとって欠くことのできない存在であることも事実である。このような意味で歴史学とアーカイヴスの境界領域には編纂と史料論が存在しているのである。 アーカイヴスの側にとっては、歴史学との間で成立する編纂・史料論の研究は、諸学との境界領域で営む一つの研究形態にすぎないのであって、アーカイヴスは、まさにその全体を統括する知の形態たらんとする方向性をもつことになるのであろうが、しかし、アーカイヴスにとっても、それは最大の出発点であるはずである。歴史学は、境界領域を通じて、そのような位置に存在することを自己評価しなければならないのだろう。
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