函館の街、アカデミーとライブラリー
函館の講演が終わり。無事に済んで、いま羽田からのモノレールの中。写真はホテルの窓から陸よりを映したもの。両側は海。
テーマは「史料の編纂と歴史情報の共有」。編纂という自分の仕事について、それがどういうことかなどということを講演したのは初めてである。なにしろ函館市、函館の商工会議所と函館みらい大学、図書館・博物館などが一緒に昨年度からはじめた講演会シリーズの名前が「文化と編纂」ということなので、「編纂」についてどう考えるかというところから議論をはじめるほかなかった。なぜ、こういう講演会シリーズの題名を選択したのかは聞き逃した。よい題だと思うというのは手前みそか。
編纂というのは、史料の群れ、史料群、大量の史料を正確に読み解いていくことだが、史料の向こう側には歴史社会それ自身が存在する。編纂は、その史料群にのみ注意を集中し、向こう側の歴史社会の把握を急がない、あるいは禁欲する方法態度ということになる。
私は、これは歴史学の別の言葉でいえば、「考証」という作業になるのだと考えてきた。「考証」というとあまりに古い言葉に感じる人が多いかも知れない。中国の清の「考証学」という言葉を思い出すかもしれない。しかし、この言葉は(そして考証学という言葉も)それ自身としてはプラスの意味をもっているのだというのが、黒田俊雄氏がどこかでしていた断言。「考証学」などということをもっとも鋭く批判しそうな黒田氏の断言だけに印象に残っている。これは自然科学でいえば「実験」などにあたる学術の基礎、事実確認なので、歴史学のベースになるというのが持論。
けれども、講演会の大テーマは「文化と編纂」なので、「編纂」が「文化」の基礎をつちかうものであるということを、どのように論じ、わかっていただこうかという点が、話の組み立ての基本となった。講演を用意していて、この点が一番困った。
一字の読みの違いで、文化的な理解の巨大な相違がでてくるということで、最近の『竹取物語』の本文校訂の仕事の報告をしたのだが、それが、もう一つの情報学・データベース・知識ベースによる「歴史情報の共有」という話とうまくつながらない。
前日、懇親会の後、その点を組み立て直し、『竹取物語』に登場する中国貿易の話を中心にして、函館が、ユーラシア東端の南からの日本海航路、北からのサハリン航路の交差点にあたるという話につなげることにした。函館で、『竹取物語』を読む場合には、『竹取物語』の段階でも、つまり九世紀にもラッコなどの海獣の毛皮交易は中国市場への輸出・貿易との連携があったのではないか。11世紀になれば昆布の交易は確実と思うという形で『竹取物語』を函館につなげることにした。
函館はそれ以降も、国際的な貿易港としての性格を持ち続けた。それは、函館の東で発見された、一四世紀後半の三八万枚といわれる日本最大量の中国銭の出土に明らかである。前日の函館市立博物館での越前・珠洲の大甕の現物はやはり印象的であった。休館日に館長ご自身に案内していただき臨場感がます。あれはどれだけ大きな富が函館から中国に向けて積み出されたかの証明であり、その意味で日本における近代初期の国際貿易港函館の繁栄につながる遺物であることを実感。田原館長のご意見では、あれだけの銭を道内で流通させる条件はなかったということなのだろうということで、近辺にはもっと銭甕が埋まっている可能性もあるということであった。
そして、それらの史料を編纂し、さらにデジタルデータとして公開し、函館に関する知識データとして組み上げていくことができるはずだと、「歴史情報の共有」という話の後半につなげた。 もう一つ見学した函館市立中央図書館は素晴らしいもの。稼働書庫20連前後の郷土史料は、明治末年に、この図書館が私設の組織として発足した時以来の方針で蓄積されたものという。新聞・ビラ・ポスターなどにおよぶ膨大な近代アーカイヴズとなっている。 函館のベイエリアにそびえるホテルから、両側の海と山をみたことを含めて、文化的な街のたたずまいはさすがであった。講演では『箱館奉行所日記』を編纂された稲垣敏子さんは、私たちの仲人。そのような私的関係をふくめたネットワークは、函館市民からは目に見えなかったかもしれないが、そのようなアカデミー・ライブラリをつなぐネットワークが地域の文化財を支えているのだと述べた。これは、私の目にもみえていなかったという意味で、何よりも私の実感であった。
綱渡りのような話の組み立てであったが、熱心に聞いていただき感謝。北海道史=アイヌ民族の歴史はこれまで勉強したことがなかったが、PCの中の読書メモ、榎森進さんの「アイヌ民族の去就」(『北から見直す日本史』大和書房、2001年)の読書メモによって、急遽、話を組み立て直した。これはやはり見事な論文である。もう一度考えてみようと思う。先日の日韓強制併合100年の姜徳相さんの報告レジュメには、併合後の日本国家を「天皇制民族複合国家」と規定した一節があったが、私の律令国家=民族複合国家論では、北海道と擦文文化、アイヌの問題が欠落している。
長尾真国会図書館長の講演があった後、対談ということになったが、期せずして、情報化の時代だからこそ、人の力、ライブラリアンの専門性が重要になっているということになる。ネットワークに蓄積された知識から「デ・ファクト」を取り出すことはやはりできない。それはライブラリアンによるガイダンスがいるということであった。これは「編纂」論からいえば、ライブラリアンは一種の「編集者」であるということになるのだろうと思う。編纂=ドキュメンテーションに対して、生産された学術書のうちで、何を蒐書に、何を開架書庫に並べるかは、ようするにエディターの職能に類似してくる。その意味では、ライブラリアンはアカデミーとエディターの間にいる職能であるということではないかと思う。情報化の大波の中で、出版業界と図書館の間にいろいろな問題が起きていることを側聞するが、このような職能の類似性のレヴェルでの議論が生産的なのだと思う。
「編纂=現象学」というのは、直接に史料の向こう側の実態を求めることを急がずに、まず大量の史料世界の相互関係のみに、注意を集中する方法態度ということになる。ハイデッカー的にいえば、「世界・内・存在」の現象世界をある意味で没価値的に操作するということになる。情報学の人が、ハイデッカーのオントロジーという言葉を使うので、ハイデッカーを読んでみて、いろいろなことがわかった。一番大きかったのは、三木清がふたたび読めるようになったこと。
「世界・内・存在」とは日常性の世界であるが事物の相互的な関係を有用性というレヴェルで処理しているのが、目についた。これはマルクスをふくむ古典派経済学に対するベーム・パヴェルク以降の効用経済学が、使用価値・効用の世界に自己を局限するのと、照応した動向であると私は考えている。ハイデッカーを読んでいると、所詮、あたりまえのことを下手に言っているという印象が強いが、しかし、ともかく、そういう意味での「現象学」が、学問的な操作の方法論として意味をもったこと、もっていることは確認できることではある。もちろん、その有効性は、結局、学問研究の技術的方法論だから、学者の技術的必要(あるいは自問自答)をこえた世界観的な意味をハイデッカーがもっているとは思えない。所詮、学者の読み物である。
ただ、行く飛行機の中で読んでいた井筒俊彦氏の『意識と本質』の言い方をかりると、事物それ自身を固定的に「本質」として見るのではなく、その向こう側にある絶対世界に飛躍するのでもなく、事物=史料の連鎖(「縁起」「依他起性」)をそれ自身として認識する態度という東洋思想一般の論理。事物の向こうにあるものを「無」とするか「真如」とするかは別として、現象界を深層意識のレヴェルから突き放して観照する心的態度ということになると、議論の外貌は、ハイデッカーと似てくることを知った。こういうのは、哲学では当然のことなのだろうが、私には、三木清を考える上でも、収穫だったし、ハイデッカーを読んでいるより、歴史家としては勉強になる。
歴史学の立場からいえば、個々の「史料」は歴史社会という実態あるいは運動が、自己を文字あるいは史料という形で表現したもの、「現象」ということになるが、この現象としての現象にあくまでも執着する態度が編纂ということになるだろう。その向こうにある「無」「真如」とは何かというのは、なかなか一致することは難しい。
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