だいじな本ーー林宥一氏遺文集『銀輪』
書棚の一箇所に特別のコーナーがあって、先生・先輩・友人の遺文集がおいてある。迷ったとき、憂鬱な時、心が空虚な時に、時々手を伸ばす。
林宥一氏の遺文と追悼文をまとめた『銀輪』という本も、その一冊である。林さんとは、家永訴訟を支援する歴史学関係者の会の事務局でいっしょだった。1999年8月、自転車旅行の途中で急に亡くなった。それを聞いた時のショックをよく覚えている。最近、自転車に乗ることを始めたので、旅行に出る前に新品の折り畳み自転車の試乗をしていることを書いた追悼文などを読むと、残念この上ない。
林さんは私より一歳上。事務局をやっていたころは貧乏院生同士、ゆっくりはなす時間はなかった。一度、志賀高原の木戸池で家永訴訟を支援する全国連のスキー旅行があって、そこで一緒だった。2泊はしたはずだからあの時ぐらいゆっくり話せばよかったのに、そもそも私はスキーがうまくすべれず、とても落ち着かない気持ちだった。彼は高校時代から使っていたといっていたように思うが、古い革のスキー靴と長い竹のストックだったのではないかと思う。悠然とすべっていた。
ただ帰りの電車では、津田秀夫先生のお嬢さんと三人で長く話した記憶がある。鋭く、時々、苦笑気味になる目が忘れられない。
この『銀輪』で林さんがクリスチャンとしての思想に近い立場にあったことを知ったのは驚きだった。彼がある平和問題のネットワークの議論の中で述べた、次のような意見に、私は賛成である。
私が強調しようとしたことは、資本や労働者が国境をこえて移動し、それに伴なって貧困や環境問題が世界化するような時代状況のもとでは、平和的生存権の確立のためにはに民族や宗教のちがいを問わぬ連帯が不可欠である、ということであって、民族・宗教そのものが克服されるべき課題であると主張したつもりはまったくない。他方、T・O氏は、民族や宗教が「外皮」であって、この「外皮を引き剥がし生身の人間を取りだ」す必要があると主張されている。私には、このように大胆に言ってのけられる「勇気」は全然ない。民族・宗教のうちに自己のアイデンティティを求めてきた人類の歴史は「労働者階級」の歴史よりも何倍も長く、まさに民族・宗教こそが「生身の人間』の主体形成にとって最も重要な契機であったことを考えるならば、これをそう簡単に『超える』ことは不可能であると思う」「宗教についてはさらに一点つけ加えておきたい。『国内・国家間・世界の各次元で社会正義を推進するために労働者同士の、そして労働者との連帯が必要である。労働の主体が社会的に奴隷化し、労働者の搾取が増大し、貧困と飢えが拡大するときには、常に労働者の連帯がなければならない』。この言葉は、ローマ法王のものである(ヨハネ・パウロ二世の回勅)。」「日本のマスメディアのせいで、宗教といえば否定的な現象の脈絡でしか報道されず、他方、キリスト教といえば、いつまでも欧米列強の支配イデオロギーという硬直的反応しか示さない『知識人』がいるが、現代世界における民衆的『宗教改革』のうねりには学ぶべき内容が少なくない」
それから、歴史家としての感じ方、考え方を示す文章も共感を呼ぶものが多い。とくに林さんは、現代史研究では画期的な研究史的な意味をもった長野県埴科郡五加村の史料調査と研究の中心的な組織者であった。その関係で残っている、五加村研究会の歩みについての文章は、私の世代の研究者ならば、読んでいて一種の遙かな感情をもつのではないかと思う。
十二年をふり返って、「共同研究がこれほど大変なものだとは思わなかった」というのが率直なところである。個人的には私は、この十二年間の研究会の半ばまでは、次のような「思想」を抱いていたーー学問は最終的には人間の思想のあり方にかかわる行為であり、思想は一人一人が異なる個別的なものである。だが、共同研究ではこの個別性の希薄化が避けられない。したがって或る共同研究がどれほど秀れたものであっても、個人の学問的営みと比べるとそれは思想的個性において減価せざるをえないのではないか、と。
だが、私は途中で共同研究が個人研究より劣るという右のごとき「思想」から「転向」していった。第一に、歴史学が何よりんも経験・実証科学であり、研究の真価の八~九割はその実証性で決まるという点で真の共同性が築かれるならば、その優位は動かしがたい。第二に、現代に求められているのは単なる「思想」の個別性ではなく、これをすり合わせて築きあげていく「思想」の確かな共同性ではないかと考えるようになったからである。
みなさん、よいお年を。
歴史の研究者の方々には研究の充実を!
そして歴史学を大事に思っている方々の上に、よい時代を!
(一)
この花びらといふものは
なんで出来てゐるのであらう
これほどのものがこの世にあらうとは
ながくぼくは知らないでゐたやうだ
ーーー花がうつくしいとは
呼べなくなった
花をみながら
かうしてまたひとつことばを失ったことは
しんしんと
<お前は未だ生きてゐる>と思はせる
(二)
多くの友が死んだーー
花びらを見つめれば
花びらのひとつひとつは
亡友たちの面かげに
似ている。
と ふと思ったので
一層よく見守ろうとすると
ああしかしどういふ自然のいとなみか
あるひは友たちの息ぶきであるか
まざまざと 花びらが露を払ひのけその重なりを解かうとするーー
若死にをした友たち
かれらの明るい言葉をつたえることが
これからの私たちの仕事であろう
(堀田善衛「戦争」、『批評』一九四八年三月号)
『堀田善衛詩集 一九四二~一九六六』 集英社