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2010年12月21日 (火)

日本の海と漁業の歴史ーー海洋アライアンス授業記録

 海洋アライアンスという東大の海洋研、生産研その他の海洋関係の研究者を中心とし、文科・社会科も参加した一大プロジェクトがあって、いろいろな縁があって参加している。
 駒場で教養部の学生のための初級講座のようなものがあって、昨日は駒場で授業。「日本の海の歴史と漁業」。大きすぎる題名だが、そういう種類のことを期待されているので仕方ない。
 前日、準備をしていて、夜中の4時近くなって、授業は10時40分から。
 ほとんど寝ずに授業をして、ともかくも「目あたらしい内容で面白かった」という感想アンケートが学生から来るのは、やはりそれなりに楽しい。さすがに夕方はまいった。

 冒頭で述べた「海の豊かさー富は農業のみでない。日本の社会構成に極めて大きな影響。日本にとってもっとも大事で伝統的な、農業と水産業の統一。これを人々の歴史知識の中に定置するために文理融合が決定的に重要」というテーマは通ったようである。
 また、理系の学生が多いので、「日本史の自然的要因と海として、(1)オホーツク海氷と黒潮(北大低温科学研究所の研究成果)、(2)列島海域の多様性(3700以上の島々と28000㎞の海岸線)、(3)火山性島国(山地60㌫、(イ)太平洋プレート火山帯、(ロ)大興安嶺・長白山脈Hotspot型火山帯。総じて、岩塩の不在、狩猟・牧畜よりも漁撈の優越(東アジアの中でも独自)」という問題は面白かったようである。昨年も、(1)(2)はいったが、今年は(3)をつけ加えたことが、個人的な満足。
 オホーツクの海氷がシベリアの寒極から吹く風によって形成され、結氷から排除された酸素と塩分・鉄分を大量に含む重い水とともに、樺太東側を南流し、それが北太平洋の心臓のような役割を果たしている。これによって北太平洋の東西で鮭漁という文化を創り出すという話は、それこそアライアンスの関係で仕入れ、蓄積した知識。これに火山論をつけ加えたのは私見。
 しかし、さすがに自分の授業感覚がずれていて、例によって沢山詰め込みすぎ。「通史」というのは、やはり一回では無理である。室町時代まで、ともかく話を通すのがたいへんであった。
 奈良時代以前は、安曇氏(日本海ルート)、紀氏(瀬戸内海ルート)、その上にそびえ立つ王権の山野河海支配のイデオロギーという話。奈良時代から平安時代は、贄人神人・供御人という職能漁民の話。そして、耽羅(済州島)のアワビの話。房総半島には最近まで済州島から海女さんが来ていたという話には、学生がもっと驚くかと思ったが、話し方が悪かったか、あまりに意外な話だったのか、反応はもう一つ。
 平安時代は、塩堤や湊田の話で海辺の水田開発論をやった上で、漁民の商人化、廻船運営の話をする。そして、平家政権の下での全国的な水運体系について話して、この時代に、海の開発の大枠が終了したという形で、話を組み立てた。
 その上で、日本の自然に対応する生態学的な生産・分配システムを前提に江戸時代にむけて歴史の「近世化」が進むという展開とした。室町時代のイワシの大量輸送の話を十分にする時間がなかったのが残念。「江戸時代にむけて海との物質代謝に社会的な物質代謝が大規模に入り込む」という論点は十分には伝わらなかったと思う。
 学生の感想に、「漁業が本格化したのは、それでも江戸時代のように感じますが、どうなのでしょうか」とあったのは、その証明のようなもの。

 網野さんの終生の課題は、漁業の本格化、廻船の発達などという事態が江戸時代のことであるとされている。これを突きくずさなければならないということだったはずである。私は、漁業史の本格的な研究から30年は離れているので、これを突きくずすことがどれだけ大変かという網野さんの実感も忘れていたのかもしれない。
 学生の感想には「日本では、海に対してあまり目が向けられていないのだなあと、このシリーズ授業では毎回実感させられるのですが、それは現在の日本で(!)、今日の講義で、昔の日本で海が非常に重要視されていたことをはじめて知り、驚きました」というのもあった。
 ようするに、網野さんが漁業を強調することが必要だと判断した社会の文化イデオロギー状況は、かわっていないということである。
 もう30年以上前、漁業の論文をはじめて書いた頃、網野さんが「日本には漁業史の研究者が五人もいない。保立くんが論文を書いたから5人になったかもしれない」といって指を折っていたことを思い出す。
 それにしても、学生が面白がったのは、以前、『日本の社会史』に書いた山野河海論との関係で、最近、考えている「龍、蛇、イモリ、やもり(守宮)、サンショウウオなどのは虫類・両生類と大気・水循環、そして水田耕作の国土観」という、いわゆる社会史的な、文化史的な話であったのは否定できないところ、通史とうまく統合した話にはならなかったのが残念であった。
 あらためて、徹底的に通史を展開することが必要なのかもしれないと考える。前日、網野さんや大林太良、黛弘道氏などの仕事を読み返していても、そう思った。
 
 もう一つ感想。授業の後処理で講義の骨子をP0WERーPOINT5枚ほどにまとめて送った。
 WEBオープンもありうるので、新しい論点と実証の部分は省略。自分はかまわないが、しかし、他の研究者の眼に万が一ふれたら、向こうは困るだろう。こちらがプライオリティを主張する気はまったくなくても。
 私は、研究のプライオリティを気にして研究するというのは職業研究者としては邪道であると考える方で、本質的には、どんどんオープンしてしまえばよいという考え方である。
 しかし、そうはいっても、現状で、年長の研究者が、授業で話したことをどんどんWEBに載せていったり、さらにはブログで書き散らしたとしたら、若い研究者にとって、そんなに迷惑なことはないと思う。そこで、このブログでも、新しい実証的論点をそのまま書くのは、その意味でひかえている。そういうことで、教育の場で使用した教材のうち、新しい実証論点はいちおう削って提出することにした。
 こういう種類の問題は、学術情報のオープンとととに、いろいろ問題になるような気がするので、近く、自分なりの意見と、このブログでの学術情報の扱いについての原則のようなことをまとめる積もり。

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