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2010年12月 6日 (月)

歴史叙述の難しさ

 身体の調子がもとに戻った訳ではないが、ともかく仕事を再開して、徐々に長大になっていく義経論の作業をしていると、このような文章を、いったい、いわゆる読書人が読んでくれるものであろうかという疑念が強くなる。
 歴史学の言葉というものはどういうものなのか。歴史叙述というのは、どういう作業なのか。この問題について定見をもつことが難しくなっているのではないかと思う。
 こういう気持ちになって思い出すのは、かって、戸田芳実氏が、歴史学者の叙述が「アカデミックな研究の累積とこみ入った論争の膠着のために、いささか難解で無味乾燥な内容になってきたという印象が強い」と述べたことである(「初期中世の見方」1978年、『日本中世の民衆と領主』校倉書房所収)。戸田さんは、こういう自覚から、晩年、異なった視野を求めた実験に転身したのだが、同じようなこと考えるのは「歳」というものだろうか。しかし、私の場合にはまだ「業」の中途で転身する訳にはいかず、また悟ってはいられないという気もする。

 私たちの世代だと、歴史叙述というと思い出すのは、やはり石母田さんの『平家物語』であるとか、『中世的世界の形成』などになる。どちらも大学生の時代に読んだものだが、そこには自由な言葉があったというのが第一の印象であり、第二の印象は、その叙述のもつテンポが同時に論理として印象に刻みつけられるということであった。そして、第三に、その全体が、広い意味で、やはり歴史における現在を照射する力をもっているということが感じられたというのが、私などの経験である。
 そのような歴史叙述は、本当に難しくなっていると思う。個別の研究が進み、細部を描き出すことも可能になってはいるが、全体を明瞭にできるところまでは研究が進んでおらず、かつ歴史学のもつ論理と主張を提示しにくい状況がある。

 よくいわれるのは、いわゆる「リーダブルな」文章を書けということである。もちろん、それは必要なことである。とくに丁寧に書くという意味での分かりやすさは重要で、丁寧に書くためには丁寧な調査が必要で、それが大事なことであることはいうまでもない。しかし、こうして細かく丁寧な叙述ができあがったとしても、それは趣味の共通する人には趣旨がわかるとはいえ、叙述の自由さ、論理的な快さ、メリハリのきいた主張などをもつことはなかなか難しいのである。
 そして、リーダブルということでどうしても避けたいのは、日常的な常識あるいは決まり文句への依存である。それを意識的に使うことはありうるが、しかし、それがまずいことであるという認識さえないとすると、それは学問ではなくなる。
 また、リーダブルな文章というのが、研究者、あるいはその本の扱っている「歴史のテーマ」に興味のある人に読みやすいということだけでよいとは思えない。もちろん、程度問題であるとはいえ、研究者向けの論文の文章が読みにくくなるのは別にたいした問題ではないと思う。それは歴史叙述とは違い、所詮、実務報告書である。

 歴史叙述を実際に書くものにとって、一番困難なのは、いうまでもないことながら、叙述の臨場感を維持することである。人の仕事に依拠して叙述をしても、それは臨場感を生みださない。これは授業の際に臨場感なしに話せば、学生たちが眠ってしまうというのとほぼ同じことである。
 歴史叙述の場合に、やっかいなのは、臨場感というものは、新しい史料の発見、あるいは新しい史料の読み方の発見を必要条件とするということである。この場合、レトリクや論理だけが新しいということは本質的にありえないのである。そして、そうであるにもかかわらず、著作の筋立てと論理に適合し、さらに印象を喚起することができるような「史料」、あるいは「史料の読み方」というものは、都合よくは存在しない。
 もちろん、歴史叙述に取り組む前に、必要な史料や史料解釈が自分の個別の論文によって発見されていれば理想的である。しかし、実際には、問題が大きければ大きいほど、個別論文を書くというよりも全体的な枠組みで叙述をせざるをえないというところに追い込まれてから、新しい史料の読みが発見される方が、実は普通である。ようするに、そのような発見は、努力の積み重ねはあるとしても、本質的に偶然的な要素をもつのである。

 こうして、少なくとも私のような凡庸な歴史家は、歴史叙述に取り組む中で、「ああでもない」「こうでもない」と苦闘しているうちに、史料の利用法を見極め(悪くいえば諦め)、やや無理をして史料をはめ込んだ叙述をでっち上げる。そして、さらに論理と叙述の順序を整序し、どうにか全体を組み上げるということになる。こういう経過をたどってできあがった歴史叙述は、ゴツゴツとした、とてもリーダブルとはいえないようなものになるが、それをどうにか筋だけは通るところに仕上げるのに、相当のエネルギーを消耗することになる。そして最後の突破口を抜けることができたのかどうか、自分でも判断できないところで、たたずんでいるのを発見するということになる。そして、それをリーダブルなものにするのはさらなる体力が要求されることになる。
 以上、結論もないような独り言であるが、最後に、戸田さんが「アカデミックな研究の累積とこみ入った論争の膠着」といったこととの関係で、西郷信綱氏の「古代研究の罠」という文章を引用しておきたい(『古代の声』1985、朝日新聞社)。

ある誤った思いこみや固定観念が長いあいだ訂正されずにもっともらしく通用し、それに気づくものがなかなかいない、といったおめでたく、かつコッケイな現象は、どの学問の分野にも多かれ少なかれ見られるものだろうが、古代研究はそうした傾向のとりわけいちじるしい分野の一つといえそうである。文献史料が限られているため、その解読を通じて意味を見きわめるのに推測や創造に頼る度合いが相対的に高くならざるをえない、という自体とそれは関連する。つまり、一つの考えなり説なりが事実の抵抗に出逢い、その力で否応なくひっくり返される機会が、そこでは非常にとぼしいわけだ。そのことが古代研究の魅力や面白さとも微妙に包みあっているのだけれども、うっかりすると、私たちを即自性の天国の住人に落とし入れかねぬ罠があちこちに待ち伏せているのも確かである。

 西郷さんの場合、これを書き出しにして、自己破壊に踏み出しているのが立派なところである。

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