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2011年1月13日 (木)

教科書叙述についての相談をうけてーー山民と下人

 教科書叙述についての相談をうけた。『一遍聖絵』の商人らしき人々の前後に描かれている「狩人」はどういう性格の人かということ。
 この問題については、ちょうど、以前、須磨千頴先生が学士院賞を受けられたときの南山大学の紀要特集号に書かせていただいたことがあり、WEBPAGEに載せるので、それをみてくださいといった。そこで、今、載せておいた。こういう時もブログは便利なものだ。
 柳田国男に「山立と山伏」という論文がある。高取正男氏がこれは重要であるとっていたというのか、高取さんに関係論文があるというのだったか、戸田芳実さんに聞いたことがある。それ以来、気になっていた「山立」ということについて論じたもの。
 「藁帽子」をかぶった人間は、たしかに狩人なのではあるが、社会的な性格としては「下人」が送迎役を果たしている姿ではないかと論じたものである。読んでいただければ分かるが、領主のテリトリーに入った旅人が要望をすると、下人をつけてくれて送迎をしてくれるということがあったようで、その場合に腕っ節の強い下人は、しばしば山民から提供されたらしい。逆にいうと、領主下人の中の腕っ節の強いのには、狩人がいたということになる。
領主の下人が山番をし、山の管理をしているということでもあるだろう。
 戸田芳実・網野善彦の水軍領主、海賊領主という言葉をかりれば、山賊領主とでもいえる様相ということになる。下人が武家領主の軍事力を構成したことは松本新八郎氏以来の共通了解であるが、その場合の、クッションの一つとして、下人=狩人という側面があるのではないか。下人身分の人々の多様な存在の仕方を追跡することが必要であると思う。
 私は、領主制論が不評になったということは、端的にいえば、従属的な立場にある領主下人のような存在に研究者の興味がむかわなくなったということだと思うというのが「持論」。私にとっては、領主制論批判にどうしても賛成できない理由がここにある。下人論をやらないなんて信じられないという訳である。これは昨日も書いたように一種の「自動思考」になっていて、その意味では困ったものである。年が高くなってきて、持論が増えるというのは耄碌の証拠である。「持論」といえば聞こえはよいが、「自動思考」にすぎないという訳だ。
 もちろん、下人論の到達点は、基本的には峰岸純夫さんの「下人について」で結論がでているところがあるので、研究者の関心が向かわないのはやむをえないところがあるのだが、峰岸論文は身分論が片方にあるので、それを全部考えなくてはならないのが大変である。
 研究史は、下人論から身分論にいった訳だが、身分論、身分差別論を下人論からみなおしてみたい、領主制論と身分論の統一というのが長い間の課題である。さて、峰岸さんの本の書評。
 なお、関係するので、「教材としての社会史」という短文もWEBPAGEに載せておいた。歴史教育で「下人論」をどう扱うかを述べたもの。

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