火山・地震(2)新燃岳の火山雷ー火山の美とかぐや姫
霧島新燃岳の火山写真で「マグマ、流れ出る溶岩、火山雷」が同時に写っている写真をみた(ホームページ制作の工房「舞麗歩」所在地〒899-5117 鹿児島県霧島市隼人町見次1277-2)が作成したHP「きりなび」から転載)。
見事な写真である。そのキャプションに「新燃岳の噴火の様子をきりなびスタッフが韓国岳とその周辺で撮影しました。勢い良く吹き上がるマグマ、流れ出る溶岩、火山雷が写っております」とある。黒雲の中の稲妻が火山雷である。
こういう火山爆発の幻想的な美しさに火山の女神の原像があったのではないか。つまりかぐや姫の原像があったのではないかというのが、私見。
876年(貞観九)の阿曽火山の爆発では、「去る五月十一日の夜に奇光照り輝やく」という記事がある(『三代実録』)。これは火山雷ではないだろうか。
阿蘇の神は「健磐龍命」と「姫神」が山巓にいたとあるように、火山の神には女神が必ずいた。神津島火山の描写では、マグマの輝きが、「金色眩曜」などと表現されている。
さらに興味深いのは、大規模な火山の噴火が起こり大気の上層に微細な火山灰が吹き上げられた場合にみられる光冠現象である。火山の光冠現象の写真は入手できなかったが、下記は公刊はウィキペディア「光冠」にのっている通常の月の光冠現象の写真(Description: Photo of full moon with diffraction ring due to thin clouds Information:Photographer: Tom Ruen、Location: New Brighton, Minnesota 、Date: September 21, 2002 (Full moon)、Time: ~10 pm CDT、Equipment: Digital camera、Exposures: 1/10s, F2.8、Source: English Wikipedia, original upload 2 May 2004 by en:User:Tomruen)。
ウィキペディアの火山光冠現象についての説明には、「雲を構成する水滴よりも直径の小さい火山灰が浮遊している場合、直径が10度以上にもなる巨大な光冠が見られることがある。 これは特に、1883年8月のインドネシアのクラカタウ山の噴火の際にこの現象を発見したビショップ師(Rev. Sereno Edward Bishop 1827年 - 1909年)にちなんでビショップの環(わ) (Bishop's ring) と呼ばれる。同様の現象は核実験の際にも観測されたことがある」とある。
このような火山に随伴する光学現象が強い印象を残したことはいうまでもないだろう。ユカラの英雄譚、ポイヤウンぺ物語に「赤輪姫」という物語がある。北海道も火山活動が活発だから、このような光学現象がカムイの一つとして印象されたのではないかなどと考える。
『かぐや姫と王権神話』執筆の時に、火山雷や火山光冠現象のよい写真を捜したが、なかった。火山光冠現象で利用できる写真はまだ適当なものがないが、火山雷の写真は美しい。その時に見た火山関係写真集では、雲が紫色のものがあり、これも綺麗であった。
『かぐや姫と王権神話』の関係部分を引用しておく。
そうだとすると、カグヤ姫という名前の意味するものが問題になるだろう。それがただ輝くような美しい姫君という決まり文句であるとは思えない。『字訓』によれば、この「かぐ」という言葉は、「かがよふ(耀・赫)」「かげ(影)」「かがり(篝)」などと語幹kag-を共有する言葉であって、火や光の揺れ動く様子をいい、雷神の眼の光から、揺れる珠の光りまで、微妙なニュアンスをふくんでいるという(『字訓』)。たとえば、次のようである。
見渡せば近きものから石隠り耀ふ珠を取らずは已まじ(『万葉集』九五一)
燈の陰に耀ふ虚蝉の妹が咲まひし面影にみゆ(『万葉集』二六四二)
そして、『古事記』『日本書紀』には、崇神の嫁の迦具夜比売のほかにも、崇神の孫の景行の妻と娘に「訶具漏比売・香余理比売」が登場する。また景行から仁徳にいたるまで朝廷に奉仕したという伝承をもつ武内宿弥の母の影姫、武烈大王と平群臣鮪の間の争いの種となった美女・影姫、安閑大王の妻の香香有姫など、これらの名称には「揺らめく火」の美しさが籠められているのではないだろうか。さらに注意しておきたいのは、神統譜の世界に入れば、大年神の妻の一人に香用比売という女神が登場して、大香山戸臣神を生んでいることである。この香具山は、藤原京の東、飛鳥の東北部にわだかまる小丘であるが、「高天原」にも存在し、また天から落下してきたという伝説をもつ日本神話の宇宙論的中心である(『伊豫国風土記逸文』)。そして、『日本書紀』のイワレヒコ・神武神話によると、大和国の軍事的制圧に苦しんだとき、イワレヒコは天の香具山の土をとって八十平瓮・厳瓮を作り、大伴氏の遠祖・道臣命に厳媛という名前をあたえ女装をさせてタカミムスビを祭った。その水を厳罔象女といい、盛り上げた粮を厳稲魂女といい、薪を厳山雷といい、火を厳香来雷といったという。
さきに大伴坂上郎女が祖神を齋う「忌み」の中で、竹珠の環飾りを身につけ、膝をおって、地に齋瓮を据える様子についてふれたが、女装した道臣命=厳媛も、竹珠の環飾り(あるいはそれと等価のもの)を身につけたに違いない。竹珠の環飾りをつけて竹の精となった物忌女が、厳瓮=齋瓮を前にした忌みの中で使う火を「厳香来雷」といったのであって、ここには「竹」とセットになった「火」のkag-の観念があるのである。こうして、天の香具山・厳香来雷のカグとカグヤ姫のカグが同値であったということになれば、カグヤ姫の名前の「かぐ」の背景には、何らかの意味で火に関係するカグヤ姫神話というべきものがあることは確実であろう。
ともあれ、以上のような火山神の系譜を確認すると、カグヤ姫の神話的なイメージの中核には口絵裏にかかげたようないわゆる光環現象を始めとした火山のもつ様々な幻想的な美しさがあったのではないか。このような輝き・kag-こそ、タカミムスビを中心とした王家の火山神の観念の中でのカグヤ姫の位置はここにあった。カグヤ姫は、タカミムスビを「祖」とする「日神」「月神」よりも、非日常的で幻想的な美の女神として、タカミムスビのそばにいる神なのである。
降灰の被害が起きているらしい。歴史資料にもデータは多く、火山爆発の美しさなどは考える余裕がない場合もあろうが、かぐや姫が火山の女神であるということになれば、『竹取物語』の読み方や、日本の自然に対する子供たちの見方を豊かにすることができるかもしれない。それはひいては火山に対する態度や備えに役立つかもしれない。そしてさらに、火山被害などの自然災害への(ヨーロッパなどと比べて)日本ではきわめて遅れている公的補償への社会的合意を作っていく上で、間接的ではあれ有効な役割をするかもしれない。
ともかく、自然史・自然と歴史学ということを本格的に考え、史料を再検討するべき時期である。
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