火山・地震(1)霧島新燃岳ー前方後円墳は火山の幻想。
人間文化研究機構の報告準備で霧島新燃岳の噴火のことを知らず、帰りの新幹線のニューステロップで知って驚く。報告のため朝六時半に家を出て、日帰り夜11時前に帰宅。疲れ切る。
朝も、ばてていたが、入間田宣夫さんから電話。来月の『東北学』の座談会の件である。入間田さんの明るい声に励まされる。
東北学の座談会にむけて霧島火山帯のイメージについて、ちょうど検討中のところであった。
この霧島火山の画像はウィキペディアの「霧島山」から(English: Kirishima Mountains in Kyūshū, Japan. Taken from Kirino-ohashi Bridge on Route 221.日本語: 九州南部の霧島山。霧島山の北方、国道221号「霧の大橋」より撮影。日付 2009年5月(2009-05)。原典 投稿者自身による作品。作者 Ray_go)。
新燃岳は左手奥。同じ方向にある高千穂岳も、この画像ではみえないが、この画像のよいのは、霧島火山帯の成層火山の様子、いわゆるコニーデ型の富士山のような山容がよくわかること。
この鉢を伏せたような形が前方後円墳の後円部の原型にあり、前方部は、伏鉢のような主体部に近づく副山を表現しているというのが、私見。
中国の神秘思想に、「天円地方」つまり、天は丸く、地は四角いという観念があるが、その観念にそって、こういう霧島連山のような火山地帯を図案化すると、前方後円墳になる。
「前方後円墳は火山の幻想」というのが私見
問題は、これが「天孫降臨神話」と対になることで、日本神話論の重大問題に連続するのではないかというのが、入間田さん、赤坂憲雄さんとの座談会にむけて用意している原稿の一つの中身である。
霧島火山帯は、高千穂への「天孫降臨神話」との関係で、火山幻想の原点にあるというのが私見。
前方後円墳が火山祭祀を表現しているというのは、日本史上、もっとも火山活動が活発であった八・九世紀の歴史史料の解釈を根拠としたものである。
そのもっともよい例が、九世紀の伊豆神津島の噴火の例。
八三八年(承和五)のこの大噴火の爆裂音は京都にまで響き、降灰が関東から近畿地方におよんだ。神津島では巨大な「伏鉢」のような四つの「壟」(つか)を中心にした「神院」に様々な石室・閣室の石組みができあがったという(院とは建造物の区画のこと)。
「其嶋の東北角、新造の神院あり、其中に壟あり、高さ五百許丈、その周りは、八百許丈、其形は伏鉢のごとし」という訳である。
壟とは九世紀の漢字字典、『新撰字鏡』に「壟<塚なり、つかなり>」、『和名抄』に「墳墓<つか>」とある。『字訓』もいうように、大きな塚をいって「陵・墓」と同義の文字である。神のこもる墓ということになる。
この「つか」、つまり「伏鉢」のような山は高さ五百許丈(1500メートル)、周囲が八百許丈(2400メートル)というが、これがコニーデ型の火山を表現していることは明らかであろう。
ただ、これはやや誇大な数字である。神津島中央の天上山も五七四メートルしかないから。上記の記事は、現在、東北隅にある砂糖山にあたるだろうが、これはもっと低い。
さらに問題なのは、この「伏鉢」のような火山に「切岸」、つまり「片方が高く切り立って崖になったような所」が付属していることで、これを図案化したのが「前方部」であろうということになる。
この切岸に「階四重」があるというのが重要で、前方後円墳には、しばしば三段ほど段築があるのはよく知られている。そして、そこには「砂礫」が敷き詰められているというのは、前方後円墳の「葺き石」にあたる。
さらに、神津島噴火の記事には、家型埴輪を連想させる石室、また円筒埴輪列を彷彿させる「周垣」さらには、頂上の平なところに石の武人がいて、そのうしろには従者がいて、跪いているようにみえるなどというのは人形埴輪のイメージであろう。
これらを「新作」したのは炬をもって天から降った十二人の童子たちで、彼らは海に火を放ち、地に潜り込み、大石を震い上げて一〇日ほども活動したという(『続日本後紀』)。
『かぐや姫と王権神話』で述べたように、タカミムスビが火山神としての性格をもつとすれば、その系譜をひく王の墓が火山の山巓と噴火丘の様相を帯びるのは自然なことであろう。考古学の近藤義郎さんの前方後円墳の墳形は、前方部は階段・墓道であり、後円部がきわめて強い禁忌におかれているという研究の到達点とも、これはうまく一致する(『前方後円墳観察への招待』)。
これまで、火山神話と火山への禁忌の思想が、史料にもとづいて検討されたことはなかった。これは非常に奇妙なことである。
そもそも、前方後円墳は「磐構へ作れる塚」(『万葉集』一八〇一)といわれます。『日本書紀』『古事記』に頻出する、天の磐船、磐座、磐戸などの表現は、「磐石飛び乱る」などといわれる火山爆発の記憶を核とした幻想ではないでしょうか。「磐」という言葉を追跡してみる必要があるように思います。
火山神話の原型は霧島火山
前方後円墳は墳丘の形態などの可視的部分でいえばほとんどが近畿以外の外部要素で、ヤマトに突然登場したものといわれます(北条芳隆「前方後円墳と倭王権」)。
つまり、崇神のしばらく前の段階で火山信仰が古墳というヴィジュアルな形でヤマトに持ち込まれた。初期のヤマト王権のアイデンティティの内部に火山神話=タカミムスヒ神話があったということになります。
広瀬和雄氏は、この時期の国家について「前方後円墳国家」という定義をあたえていますが、その中枢にはいわば「火山王権」があったことになります。
しかも、それは西かららしいということになると、この時代の前後、だいたい二世紀後半に九州から畿内地方へ列島の政治センターが移動したといわれる事態(吉村武彦『ヤマト王権』)に関係するものであった可能性が高くなります。
つまり「天孫降臨神話」に登場する日向高千穂峰は霧島火山帯の中枢ですから、この火山神話が九州で共有されており、それが何らかの経過で畿内へ持ち込まれたと考えるのが素直であろうと思います。
とはいっても、それに対応するイワレヒコ神話、「神武東征」神話自身は、創作されたものです。さきほど使用した言葉でいえば、まずはユナイテッドチーフダムの中での幻想と創話と伝承の側面が優越するものと考えるべきであると思います。
その同盟には早くから九州勢力も参加していたはずです。創話能力を評価せず、直接に氏族の移動や征服に根拠を求めてしまうのは、一種の軍事史観になりかねません。それは何といっても歴史学の取るべき立場ではありません。
ただ、問題は畿内が列島内部においては火山活動が微弱な地域であることで、火山神話の中央波及は、何らかの形で九州地方に所縁のある集団の活躍を考えざるをえないのではないかということです。
いずれにせよ、畿内を中心とした前方後円墳の全国的な拡大は、火山神話の全国的な普及と統合の過程の物的証拠であると考えます。
そこで九州の大火山、霧島火山帯と中央構造性より東の富士火山帯の火山爆発の記憶が合成され、その最終的結果が、かぐや姫の富士山頂からの帰天であるということになるでしょうか。
以上、ほとんどは、『かぐや姫と王権神話』に書いたことです。ただ、最後の部分(急にですます調になっている部分)は、ここではじめて述べることですが、上記、座談会のための素稿の一部で、三月には発刊されるので、ブログでの一部発表は許されると考えました。
宮崎の方々は、口蹄疫からいろいろたいへんではないかと思いますが、神話では、火山は日本の自然の「豊かさ・富み」の原型であると考えられていたふしがあります。新燃岳の噴火が人畜の事故をもたらしませんように。
なお、文中の『続日本後紀』の史料は、古代中世地震史料研究会(代表 石橋 克彦、神戸大学教授)の 作成した古代・中世地震噴火史料データベースからコピーしました。ありがとうございました。この研究会には御誘いをうけながら、当時、職場の編纂や図書・コンピュータ関係業務などの多忙のために失礼をしてしまいました。こういう形で、自分の研究が火山に関わってくるとは、当時は思いもしませんでした。歴史学からの火山研究は永原慶二先生の『富士山宝永大爆発』(集英社新書)がありますが、この列島の歴史を考える歴史学の社会的義務の一つであることを、今になって実感しています。
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