草の実会、YS先生、平塚らいてう、かぐや姫、原始、女性は月神であった。
今日は自宅で仕事。明日、大坂の民博で人間文化研究情報資源と知識ベース」という人間文化研究機構主催の研究会があり、そこでの報告を、さっき、つまり本日正午までに送付せねばならず、職場にでている余裕なく、朝早くからパワーポイント書き。
締め切りは先週だったが、遅れていた。今日正午まで締め切りを延ばしてもらっていたので、必至である。11時30分にパワーポイントを送って、どうにかセーフ。「疲労困憊、思いを明日日帰りの新幹線のビールに馳す」というところである。しかし、今から、原稿化とパワーポイントの再整理をせねばならず、夜まで一日消える。
慌ただしい日は慌ただしいもので、朝、出身の高校の後輩のお母さん、Nさんから電話。その後輩と共通する高校時代の恩師、小説家の右遠俊郎先生の容態が、二・三年前から良くなく、その関係で何度か連絡をとったので、右遠先生のことかと緊張する。しかし、Nさんの相談は、ご自身が参加されていた「草の実会」の会誌の復刻版の話。復刻版が完成したが、しかるべき歴史の研究機関で、段ボール三箱分ほどの復刻版の寄贈をうけるところがないかという御相談。歴史の研究材料として生かし、永久保存してほしいということ。
草の実会という名前で相方が反応し、それは朝日新聞の投書欄からはじまった戦後の市民的な女性のサークルのことで、杉並を中心に原水爆禁止運動や、後には60年安保の時の「声なき声の会」につながっていった動きのことだと教えられる。私たちもよく知っている杉並の家永訴訟の主婦の会の人たちとも関係があったはず。私は、そこにNさんが関わられていたとは知らなかった。そうすると共通の知人があったに違いない。スモールワールド現象という訳だ。
Nさんには、国立の近現代の歴史の研究機関が存在しないこと、アーカイヴズが存在しないこととの関係でなかなかむずかしいのではないかと思うと申し上げる。日本国家の中枢に存在する健忘症症候群、あるいは過去忘却願望の話になる。高校時代以来、もう40年以上。5年、10年、15年に一度ほど御会いしたり、電話で話したことがあったかという御つき合いのNさんと、過去忘却症候群について話すというのは、考えてみれば不思議なこと。個人は個人の過去は忘れられないものである。
戦後史には登場する組織の一つ。大事なことなので、大学院時代の恩師の御一人、女性史のYS先生に久しぶりに電話して御意見をお聞きすると、「保立さんね。そういう記録が沢山でているけれども、どこも寄贈を受け付けない。本当にむずかしいのよ」といわれる。先生の声音には「あなたは昔から夢見がちだったからわからないかもしれないけど、本当に難しいのよ」という感じがただよう。
先生のお宅の近くの図書館が『日本歴史』(歴史学の学術雑誌)を一年で断裁してしまい、過去のものが読めないということがわかり、強くいって、一定期間は倉庫に保存するようにもっていけたが、どこもそういう状態だ。昔と違って、学術書の蒐書が貧困化し、入架を要請しても対応ははかばかしくない。さらに相当の貴重書を寄贈しようとしても、あまりよい顔をせず、「処分してもかまいません」という一筆を要請される。本当にどうしようもない。釈迦に説法だろうが、ここ10年の「新自由主義改革」のせいよといわれる。
けっして釈迦に説法ではありませんと申し上げる。歴史の学術雑誌の図書館による断裁というのは初めて聞いたことで驚くべきことである。それから先生は平塚らいてうのアーカイヴの整理をされているが、その苦労話もうかがう。
らいてうの自伝は、昨年、『かぐや姫と王権神話』を書く時に読んで感動したので、他人事ではない。
この本では、かぐや姫を月の女神と論定した。『竹取物語』のタイムスケジュール、「かぐや姫年表」を作成した結果によると、天皇によるかぐや姫の呼び出しが秋十月になる。これは新嘗祭の五節舞姫としての呼び出しを意味するはずであり、五節舞姫は月の女神の従者という位置づけであるという形で論じたもの。その部分を引用すると、
日本における冬至の祭は新嘗祭である。この新嘗祭の後の豊明節会で天女、月の仙女の格好をして舞った舞姫たちが、しばしば天皇と共寝したことも同じことであろう。そこに、中国と同様、月の力によって太陽の力を復活するという考え方が潜んでいたことを示唆するのは、最初の人臣摂政として有名な藤原基経が、清和天皇の大嘗祭の五節舞姫に出仕した妹の高子についてみた夢である。彼女は、五節舞姫として出仕した後、若干の事情はあったが、結局、清和のキサキとして陽成天皇を産んでいる。その夢というのは、高子が庭にはだかで仰向になって、大きく膨らんだおなかお腹を抱えて苦しんでいたところ(「庭中に露臥して、腹の脹満に苦しむ」)、腹部がつぶれて、その「気」が天に届いて「日」となったという生々しいものである(『三代実録』)。それは高子が清和のところに参上する前のことであるから、ちょうど大嘗祭の五節舞姫となった前後のことであったろう。つまり五節舞姫=月の仙女が、地上で裸体となって新しい太陽を産んだという訳である。
というもの。本来、原稿では、その後に次の文章が続いていた。
「元始、女性は実に太陽であった。今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く」とは、平塚らいてうの起草した『青鞜』発刊の辞、冒頭の有名な一節である。しかし、考えてみると、月が「他の光」、つまり太陽の光をうけて輝くというのは近代の天動説にもとづく知識である。それ故に、平塚らいてうの真意を受けとめた上で、高子の横臥の姿から、さらにトヨウケ姫ーワカウカ姫ーイザナミとさかのぼっていくと、東アジアにおける日月の観念としては、むしろ「元始、女性は月であった。しかし、太陽を産む月であった」というのが正しいように思われてくるのである。
これを書くのに、らいてうの自伝3冊を読んだ。第一冊目だけは、以前、読んでいたが、全冊を読むのは初めてであった。『かぐや姫と王権神話』は、難しくなってしまったが、本来、高校生に読ませたい。歴史の細部に興味をもってほしい。らいてうを身近に感じて欲しいなどということを考えたので、上記の文章を作ったが、新書版のぺージ数の制約があって、削除したのは残念だった。
歴史文化の見直しというのは、過去から近代まで連鎖反応のようにして、さまざまな見直しと再評価を必要とするものだと思う。そのようにして文化は豊かになっていくはずであるが、しかし、らいてうの遺品のなかのアーカイヴが尊重されないような社会というのは何という社会であろう。
週末にはNさんに電話して意見を御伝えすることになっているが、難しい問題だということを御伝えするだけになりそうで、憂鬱である。
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