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2011年2月 4日 (金)

歴史教育の時代区分はどうするか--平安時代・江戸時代でいい。

 来週は京都出張。さまざまなところから京都は寒いという情報。
 御寺のはなれでの作業は寒いので注意。公務日程より一日早く、(私のみ)日曜からうかがうことになったので、今日は代休。連週の出張先が2月の京都で5日となると、若干、鋭気をやしなわないともたない。
 歴史教育の関係で、時代区分はどうするのかという議論について相談をうける。


下記がお答えのだいたいの趣旨。

 「私は、当面のところ、縄文・弥生・古墳・飛鳥・奈良・平安・鎌倉・室町・戦国・安土桃山・江戸でよいという意見です。いわゆる首都を基準にした時代区分ですが、日本は一方で集中型の国家である事情があり、それは時代区分としてもそれなりの意味があると考えています。とくにここに政治都市の東西への移動が反映するのは、網野さんのいう「東西の地帯構造」、国家の独自性の問題もあるので有効な面があると思います。
 時代区分は東アジアと世界史の全体をみて議論しないと無意味な時代になっていると思います。それがうまくいっていない現状では、「古代・中世・近代」というただの「言葉」で、わかったようで、無内容なことをいうよりも、まだこの方が社会的通用性と知識としての価値があります。少しでも余計な知識を強制するのはさけたいというのが、私などの考え方です。ただしいうまでもないことですが、明治時代という言葉なとは不適当です。近代社会でよいと思います。そして中村政則氏がいうように、戦後は現代とするのが、よいでしょうか」。

 先日、「治承寿永の内乱」など、元号を事件名に使うのはやめようということを、ここに書いたところいろいろな反応があったが、上記もあまり常識的ではないかもしれない。ただ、私は、指導教官であった戸田芳実氏が、大きな歴史講座の編集に関わったとき、「平安時代を古代にとられた。もう古代・中世という分け方はやめた方がよい。奈良時代・平安時代でいくほかないのが現状」とつぶやいたのを聞いたことがあって、それ以来、そう考えるようになった。
 そもそも、「古代・中世・近世」といっても、歴史学の中で概念的に明瞭な訳ではない。さらに最近では、真剣に議論しようという人もいない。そういうところで、「古代・中世・近世」などという図式を続けるのは、ただの大勢順応の無責任にすぎない。写真家・岡村昭彦の『南ベトナム戦争従軍記』には「腐った野菜は売らないというのが八百屋さんの職業倫理であるとすれば、写真家の職業倫理は何か」という名言があったが、信じていない言葉は使わないというのが学者の職業倫理であろう。
 以前、パラダイムという言葉がはやったことがあるが、これはいわばターミノロジーの問題で、学術は、最低、ターミノロジーに責任をとらないとならないと思う。

 しかし、難しいのは、「時代区分」、「通史」というのは、歴史学にとっても歴史教育にとっても欠かせないことで、「時代区分」をhのターミノロジーがどうであっても、それらの時代が相互にどのように特徴づけられるのか、あるいは「通史」的な発展と変化はどういうものなのか、ということは無視できないことである。
 これについては、25年前の原稿、「中世史研究と歴史教育」をWEBPAGEにあげた。下記に冒頭の一部を引用。

 ベルギーの歴史家レオポール・ジェニコの著書『歴史学の伝統と革新』を読んで、本当にうらやましく思ったのは、歴史学が社会から大切にされている雰囲気が、その文章の端々に見てとれることであった。日本の歴史学の「伝統と革新」を問題としたら、とてもそうは行くまいと思う。

 私は、別に歴史学という学問に誇りを持っている訳ではない。むしろ、歴史学は相対的には「ひま」な学問であり、あるいは「縁の下の力持ち」の役割であると思っているほうである。けれども、だからといって歴史学が馬鹿にされてよいとは考えない。歴史学がその実力以下のマイナーな地位に置かれているのは、現代日本の文化が、貧困で反動的であり、しかも言葉の最もよい意味での「保守性」さえももたず、無責任に伝統破壊的なことと関連している。

 この論文は家永訴訟に関係する学会の事務局を、しばらくつとめた時の経験によったもの。こういう積もりでいわゆる社会史研究にとり組んでいた。いちいちはふれないが、現在からみると不十分なところも多いと思う。ただし、注(2)の梅原氏批判は、あまりに狭い言い方であったと思う。

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