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2011年2月14日 (月)

雷神・竜神と落雷の先駆放電、ステップトリーダ

 今、京都の地下鉄の中。御寺にむかう途中。今日の泊まりのホテルはもと「宿房」のようなものなので、ネットワークの設備があるかどうかが気になるが、昨日の夜から頭についてはなれないことを書いておく。
 昨日夜(2011年2月5日)、お茶を取りにいったら、リヴィングで、相方と娘がNHKのワンダー・ワンダーという番組をみていた。雷のことと知って少しみていると、これが重要な話。
 落雷の直前に、ステップトリーダ(stepped leader)という先駆放電が枝分かれしながら、空から下ってくる。その枝分かれのうち、もっとも早く地上に接したルートに、一瞬、すべての放電が集中して、地面から空へ大放電が起こるというのが、落雷の構造であるという。大阪大学の河崎善一郎教授が落雷の多い町、オーストラリアのダーウィンでNHK取材班の0,001秒単位?(であったか、もう一つ0が多いかは聞き逃した)の撮影が可能な高性能ビデオで、この事前放電が、逐次、枝分かれしていく様子の撮影に成功した。線香花火の枝分かれのように広がっていく画像はすばらしいもので、世界でもはじめて撮影に成功したという。

(以上、2月6日、日曜執筆。結局、宿坊ホテルにはネットワーク設備がなく、その間、ブログを書き損なった。とても忙しくてできなかったというのもある。今、2月14日、翌週月曜日の帰りの総武線の中。先週出張につき、一日、メール処理などであけくれる。出張処理も名刺を整理し、調査のエクセルファイルなどをメインPCに移しただけ。それより、先々週?の人間文化研究機構での報告が締め切りが過ぎているという悲鳴のようなメールが来ているのに驚愕。たしかめてみると、たしかに、本来は、報告前に原稿をだせという要請があった。しかし、事前に原稿を提出して報告せよということは通常はないことで、夢にもしらず、驚愕。いちいちメールの添付ファイルの開催要項を確認して報告を準備するという人格ではないので、やむをえないのである。しかし、機構の事務の人には平謝りである)。
 電車の中で、書いている日記なので、脇道失礼。

 しかし、河崎先生の仕事は、大げさにいえば、フランクリンが雷の本質を明らかにして以来の成果かもしれない。放送直後にみた先生のブログも、大学問題、センター入試問題、教育問題などをふくめて共感。また自然系の学者の方が素質がいいという感想をもつ。

 ステップトリーダの画像をみていると、雷神が龍神と観念される理由がよくわかる気持ちがする。もちろん、稲妻が龍を表象させるというのは昔からいわれていたことだが、雷の構造がわかると。その感はさらに深い。

 以下に、私の雷神論を引用(『物語の中世』より。注記は相当省略)。

 「キビダンゴ」「武勇と太刀」「桃」という桃太郎民話の諸要素を個別に検討してきたが、それらを総合して中世における桃太郎民話の深層と原型を探るためには、柳田国男が「小さ子物語」と名付けたものの分析を欠くことができない。柳田は右にも引用した論文「桃太郎の誕生」の一節で、次ぎのように述べている。

私たちの名付けて「小さ子」物語と言はうとするものが,この昔話(「桃太郎譚」)の骨子であったかと思ふ.後世の所謂一寸法師,古くは竹取の翁の伝へにもそれは既に見えて居る。

 この柳田の「小さ子」という用語は、『日本霊異記』(上の三)にみえる,雷とともに天から「小子」が落ちてきて女を妊娠させ,頭に蛇をまとった赤ん坊が生まれて,異様に強力な男に成長したという説話などから来ていると思われる。つまり「小さ子」=雷神の精霊という図式が柳田が構想したものなのである。そして雷神が水神であることはいうまでもない。雷神は一般に「龍神」「蛇神」として表現されるが、別稿でみたように(保立「中世における山野河海の領有と支配」『日本の社会史』②、岩波書店、一九八七年)、中世の史料には梅雨や台風の出水にともなって多数の蛇が山から下流に下っていく様子が報告されており、人々は「蛇」、そしてその「祖」としての「龍」をもって水神と考えていたのである。私は先にみた田の神の神体としての「丸石」は、本来は、この龍のもつという「珠」「玉」を意味したのではないかと考えている。
 しかし、この「小さ子」という言葉は、それ自体としては「侏儒」=小人という意味であった(『書言字考節用集』四)。ようするに、「小さ子」物語とは、それ自体としては世界各地に分布する小人伝説の一つなのであって、そういう観点から割り切っていえば、桃太郎民話の中にひそむ「仙果と小人」という話型自体は、たとえば白雪姫伝説における「リンゴ」と「七人の小人」と変わらないことになるだろう。さすがにそこまではいっていないものの、そのような普遍論的な見方は、柳田の仕事を引き継いだ石田英一郎の見解では、特に強調されている。その点で、ややもすれば神秘化して受け取られる余地のある柳田の言説と対比して、石田の研究はきわめて重要な意味をもっているのであるが、石田によれば、日本の小人伝説の特徴は、王権の始祖を「龍蛇の裔」に求める東アジアから沿太平洋にひろがる古代信仰の一部であることにあった。たとえば、『南越志』には、端渓の人、温氏の媼が水中にえた不思議な卵が、守宮に変異し、さらに龍にかわって、媼のために働いたという龍母伝説が載せられており、そのような事例はきわめて多いという(石田『桃太郎の母』二〇五頁)。そのもっとも著名なものが、たとえば漢王朝の始祖・劉邦は母が雷電に感じて受胎したという感精伝説であろう。そして、問題は、このような観念が日本王権の内部にも存在したことであって、たとえば,雄略天皇が后と「婚合」している最中,その場に小子部栖軽というお付きの従者が誤って踏み入ると同時に雷がなり,ことを妨げられた天皇が激怒したという話が知られている。そして、咎められた栖軽は天皇の「汝、鳴雷を請け奉らむや」という命令によって、雷雲を追跡し、「天の鳴雷神、天皇請け呼び奉る」と叫んで、落ちてきた雷神を捕まえ、それを「■(挙の下に車)籠」に入れて宮廷に連行したというのである(保立前掲「塗籠と女の領域」。なお、現在の段階では正確なことはいえないが、「守宮神」という名前にも一定の意味があった可能性がある。というのは、「守宮神」の「守宮」とは、「ヤモリ」、つまり、しばしば人間の住居に住み着く爬虫類のヤモリを意味する。このヤモリが、平安時代初期の日本語辞書=『和名抄』では「常に屋壁に在る故に守宮と名づく也」という説明が付され、「龍子」・「蜥蜴」と同義とされているのである。もし、これを採用することができれば、ヤモリは邸宅にすむ龍の子であるということになる。石田の紹介によれば、本文でふれたように『南越志』には「守宮」=ヤモリが登場しており、このような観念は中国で成立したものである可能性が高いから、それによって直接に日本中世の童子神にかかわる意識形態を説明しうるものかどうかは問題が残るが、一応述べておきたい。
 この説話には、一方で、雷鳴の時の性交、そしてその性交によって生まれた子どもは特別な意味をもっていること、他方で、小子部=侏儒は、雷神を統御しうる異能をもつ存在であり、その意味で雷神に通ずる存在であることなどの感精伝説にかかわる王権神話を示している(注、これがきわめて古くからの観念だったことは,辰巳和弘『高殿の考古学』(白水社、一九九〇年)を参照。辰巳は豪族居館の考古学的な分析を前提として、奈良の佐味田古墳から出土した家屋文鏡の図像を解析し、雷が今にも落下しようとしている高殿の中には,キヌガサがさしかけられていること,戸がしまっていることなどから首長がこもっており、彼は妃と同衾して神の来臨をまっているとした。また仁徳天皇が,ある朝,高殿の上で国中をみまわし,「民のかまどはにぎわいにけり」という歌を詠んだという話は有名だが、これも仁徳と妃の同衾の場における国見であるという)。
 古代と比べて中世の王権は、より文明化されており、雄略天皇の場合のように明瞭な逸話は残っていないが、しかし、このような観念は中世にまで伝えられていたと考えられる。それを示唆する史料の第一は、孔雀は「雷の声を聞いて孕む」という言説との関係で、知足院関白藤原忠実が「雷するにおそれなき物」として、「人界には転輪聖王」と述べたと伝えられることである(『中外抄』上)。これは王の身体と性についての中世の仏教的言説の一部であるといってよいだろう。第二は、王の性の場所を象徴する清涼殿の塗籠・「夜の御殿」に棲み、内侍所の神鏡を守護する天皇の守護霊、「守宮神」といわれた霊威の性格であって、別稿でみたように、一方で、それは「夜ノ御殿ノ傍、塗籠ノウチヒラヒラトヒラメキ光りケレバ」という雷光、稲光を発散する天神としての性格をもち、他方で「七八歳バカリナル小童」の姿をとる小人神でもあったのである(『続古事談』五、諸道)。中世の王の性の周囲に雷鳴と小人の観念が残っていたことは確実であろう。第三は、鎌倉時代、ある貴族の日記に残されていた噂話であって、それによれば、京都二条堀河の武士の宿所に落ちた雷が「小法師」となって、大勢の見物人がみている前を内裏の方向に走っていったという(『平戸記』寛元三年正月一二日条)。後にふれるように、ここで雷神が「小法師」といわれていることは興味深い問題を示唆するが、彼が内裏の方向に走り去ったということからすると、これも王権と雷神小童の関係を示す神話の一部として理解できよう。
 このような神話・伝説は、江戸時代になっても,金太郎は山姥が雷鳴によって受胎してうまれた子どもであるという俗説になって残っているのであり、桃太郎民話の中に、このような伝説が流れ込んでいることは十分に了解できるのである。

 

 以上の前稿では、稲妻=龍という議論にも、雷の実態にも十分には踏みこんでいなかったことがわかる。
 番組によると、人は、このステップトリーダの事前放電を感覚することがあるという、これが王権とセックス、雷がなっている時のセックスという神話の背後にある「自然」なのかもしれない。
 鳴弦と呼ばれる、お付きの武士が弓をならす行為は、このステップトリーダによって起こる皮膚感覚にたいして、どのように影響するのだろうか。河崎教授にそれを確かめてもらいたいと思う。
 いうまでもなく、前近代、塔への落雷、人間への落雷は神の意志を表現するものとされていた。それは洋の東西をとわない。それらをふくめて人文学的な雷論が可能になり、史料の読み直しが可能にならないか、などと思う。

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