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2011年2月22日 (火)

『歴史評論』三月号、編纂の時間と研究の時間

 『歴史評論』の新刊、3月号がついた。考えさせられることが多い。
 昨日は同僚の手伝い。今日は週一日の研究日。
 私は編纂がおもな仕事だが、その中を流れる時間は、出版予算と出版年度というものがあるので、年度で区切られる。もちろん、編纂というのは基礎研究なので、かならずしも年度で区切る合理性がある訳ではない。
 一定のノルマを定期的に果たしていれば、実験や研究事業の終了時の変更は十分にありうるというのが、自然系の常識であり、相互信頼の形であるが、それと同じように、当然のこととして編纂の期限には柔軟性が必要である。
編纂事業というものは、集団事業であり、かつ東アジアの修史の文化伝統の中では、そもそも御役所仕事という気分が残ってしまうが、それでも、自然系と同様な意味で、研究時間を自己設定する自由というものは、研究者の基本的な自由の一つである。

 研究である以上、意外な成り行きというものはつねにあり、十分な研究を背景にするためには、もう少し時間の余裕がほしいというのが、この仕事について以来の考え方であった。とくに私は、そもそも歴史家の勉強の基礎をなす大学時代・大学院時代にいわゆる正統的な歴史学の授業をほとんど受けていないので、編纂という仕事に必要な基礎を欠いているところがある。その自覚がコンプレクスであるだけに、その気持ちが強かった。
 また私の編纂対象は古文書集で、その関係で、文書の内容は政治史・制度史・宗教史から、経済史・村落史・社会史などの全面にわたり、かつ時代も平安時代から江戸時代初頭に及ぶ。こうなると本当の意味で十分な研究にもとづいて編纂を処理するのは、なかなか困難が多い。そして、そもそも、編纂という仕事は、手仕事なので、仕事を詰めて詰めて、校正をやりながら、徐々に問題点が明瞭になってくる。出版年の半ばを過ぎても、20箇所ほどの難読箇所や疑問箇所は残っている。その頃からは恥も外聞もなくなって、上司・同僚に聞いてまわるということになる。いわゆる「編纂の恥はかきすて」である。実力のないものは仕方がない。
 しかし、それを一つづつつぶしていっても、モグラたたきのように、疑問が飛び出てくる。それをどうにか叩いているうちに、ギリギリのところで、重大なミスを回避できたことが何度あったかという記憶である。十分な時間があれば、関係するすべての情報を集めて、無駄な探索もした上で、史料の翻刻と解釈という狭い現象レヴェルの理解に集中するということになる。それを努力するのではあるが、実際上の時間の制約は、それを許さないことも多い。そうなると、そこで動き出すのは、結局、感覚の問題ということにもなる。

 つまり、編纂の最後は、しばしば、注意力をふくめた感性のレヴェルがものをいうということになる。だいたい、はるか昔の文字を読むというのは、それを執筆した人の気持ちになりきるというような感覚移動が必要である。これはけっして歴史の再体験ということではないが、理性のみではなく、感覚の集中のようなものが必要になるということです。年齢の高くなった人が編纂をやるのは厳しいのではないかなどといわれるのは、そういう理由もあると思う。(他人事ではない)。
 それだけに、ともかくも無事に一冊を編纂できたという時の開放感は何ともいえない。編纂・出版事業が、集団事業として行われている以上、一定のノルマは必要で、その意味で、出版年度というのは、一面では自己規律である。しかし、それは逆にいえば、そういうものがないと開放感というものがなくなるということでもあって、開放感のために年度というものはあるというのが、私などの感じ方であった。私が現在の職場に就職したことは、それでも実際の出版が四月・五月になってしまうということはしばしばあった。そうでない場合でも四月は、まだまだ編纂仕事の整理やメモ残しで落ち着かない。
 五月の半ばを過ぎれば本当の意味で解放され、気候もよく、私の場合はお世話になった歴史学研究会の大会が近づく。それらすべてを含めて五月はよい季節であったという記憶が強い。
 現在は、私の職場でもコンピュータの利用と世話がたいへんになり、さらに業務の種類もふえ、研究状況も変わり、大学と歴史学をめぐる状況はきびしくなるばかりであるから、事態は大きく変わっているのかもしれない。

 それでも、編纂を流れる時間と研究を流れる時間という大きな相違は変わっていないのではないかと思う。

 研究を流れる時間。つまり学史を流れる時間というのは、ゆったりと長期的なもので、それは、通常、意識していないだけに、研究者にとっては特別な時間感覚である。これは歴史学者の脚もとに存在していて、もっとも親しい「歴史的時間」の類型であるといってよいのかもしれない。歴史学は究極のところでは、「歴史的時間」の永遠性、一回性、客観性の時間意識を作り出すための学問なのであるが、歴史学者にとっても、この「歴史的時間」の感覚を作っていくのは、訓練がいることである。数学の小平邦彦先生は、数学者には「数覚」というべき感性が必要であるということをいわれるが、歴史学者にとっても「歴史的時間」の感覚というのは同じような位置がある。
 現在の若手では、おそらく大きく異なっているのであろうが、私の場合、歴史的時間の意識のもっとも身近なスタイルが、「学史を流れる時間」のようなものであった。

 今月号の『歴史評論』は、それを感じさせる。まずは黒羽清隆氏の本についての書評が掲載されていて、懐かしく読む。黒羽さんとは教科書訴訟を支援する歴史学関係者の会で、黒羽さんがニュースの編集長、私が事務局。あの時にさんざんお世話になった「仕事場」という印刷デザイン工房はどうなっているのだろう。彼女は江田さんといったと思う。
 そして林基氏についての追悼記が掲載されている。林さんの追悼記の書き手のお一人が長く会っていない斉藤純氏であることも、私にとって、「学史を流れる時間」を鮮明に感じさせる内容である。私たちの世代の研究者にとっては、林さんの仕事は専攻の時代を越えて衝撃力があった。そういう時代を越えた衝撃力というのは、現在の歴史学からは消えているのかもしれない。無条件に尊敬される方であったらしい。稲垣泰彦さんの奥さまたちがもっていた林さんを囲む勉強会の話、また網野さんの林さんへの挨拶の話も思い出す。
 今月号の『歴史評論』は読むところが多く、河内祥輔氏の著作についての近藤成一氏の書評も、私にとっては、同じようなことを感じさせる内容である。近藤成一氏の書評は道理をふまえつつも、疑問を提示したもので、了解できる点が多い。私も河内氏の仕事を近藤さんと同じような形で位置づけてきた。私にとっては、近藤さん以上に、河内氏の仕事は、ここ二〇年ほど大きな意味を持ち続けていただけに、そろそろ自身の研究の時間に画期をつける積もりで面と向き合うべきなのだろうと思う。

 河内氏は、以前、私の職場にいた先輩。彼が、編纂を終えた冊について、しばらく後になって、よりよい史料の存在を知り、切歯扼腕していたことを思い出す。これは編纂者としての私にとっては原風景の一つである。
 研究者の時間、編纂者の時間という、二重の時間感覚をもちえただけでも幸せであったと考えることにする。

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