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2011年2月19日 (土)

私たちの世代の本。太田秀通『史学概論』

 今日(金曜日)は来週の公務の振り替え休日。朝早く目が覚めてベッドサイドメモ。その後は寝られず、頭が重い。起きて、メモをPCに入れていたが、ベッドの中での構想の生き生きしていたようには、文章は走らない。食事の後、やむをえずしばらく再寝=再審。その後に、作業開始。
 メモを起点に、例によってあっちこっちする。ある論文を読んで、その関係史料を読み出し、そこから別の論文に飛んで、そこに引用されているまた別の論文、やっともとの論文にもどって、遍歴過程をPCのいくつもの論題に分けて入れていると、時間は自動的に経っていく。こういう、いわばのんびりした仕事のやり方は楽しい。歴史学が何といっても手仕事であり、手触りのある仕事であるのは、ここに原点がある。私も、こういう時にはデータベースはまったくさわらない。
 こういう少しでものんびりした時間が、一定の年齢だから許されると思うと、申し訳ないような気持ちにもなる。しかし、こういう仕事の仕方を長くしてきたし、そこから何が出てくるかは不明なので、御許しを願う。
 どうなるかわからない知識を記憶するというのが、歴史家の仕事の一部なのだと思う。別の言い方をすれば、太田秀通先生の『史学概論』に、精神的生産は結果を予測できないとある。歴史学の場合は、とくにそうであるということだと思う。今、『史学概論』を取り出してきて、該当の部分をさがしてみた。自分の記憶している文章とも違い、かつ、この本は僕の本ではなく、相方の本の可能性もあって、線が引いてない。しかし、似たところを引用する。おそらくここを覚えていたのだろうと思う。

 
 この生産(精神的生産としての歴史学の研究)においては、あらかじめ生産物の形態が予想されてそれに近いものが生産されるのではなく、生産物としての認識内容は、原則的には、まったく知られないままに生産活動に入らなければならない。研究にはもちろん問題設定が先立ち、その問題に対する一定の予測があってはじめて具体的な研究が始まるのではあるが、その予測は研究過程でどのように裏切られるか分からないし、さらにその予測自体が、途中で変えられるという予測を含んだ、この意味で何ら具体的な姿をとらないものである。この点で歴史学の研究は、工業生産のごときものよりも、むしろ鉱山業に似ているといえよう。歴史研究という作業も、存在としての歴史をいろいろな側面から探し出していく過程である。それはまた歴史を切り開いて中身を見せるという点で解剖学に似ている(63頁)。

 
 記憶の中の言葉とは違うが、この趣旨を大事に頭の中にしまっていたことは事実である。これは職能人としての記憶である。
 久しぶりに取り出してきたので、『史学概論』の最後の文章を読む。この部分は、かってと同じ輝きをもって響いてくる。この部分は、私たちの世代の歴史の研究者の相当多くの人々が読んで知っていたはずである。この文章は記憶通りであった。少し長くなるが、引用してみる。

 人間と生まれてだれしも悔いのないうちこめる生き方をしたいと思う。ひたむきに生命をうちこめる生き方をしたいと思う。誠実に恋を成就し、愛情と仕事とを二つながら完成したいと思う。美を愛し真理を尚び、できれば静かで平凡な幸福の中でひとすじ道を進めたいと思う。苦難にあっても自ら運命を切り開いて進もうと思う。豊かな心をもって醜いままのこの人間を愛し、人間性を最後まで信じようと思う。人生に光を求めて苦悩した人々を理解し、現実ときびしく対決して人類の教師となった人々を尊敬し、虚偽と戦い、ヒューマニズムに生きようと思う。絶望の中で生きる力をあたえる智恵と愛情がほしいと思う。学問以前の問題は、ぼくは(あるいはわたしは)いかに生くべきか、という具体的で切実な問題に集中してくる。これに対して、学問は、歴史学は、あるいは哲学は、どんな助言をすることができるであろうか。現実に対してどういう姿勢をとるか、ということと深くつながっている生き方の問題は、もとより学問の内容と関連してくる。だが、生き方の選択は、めいめいの自由意志に基づく決断によるほかない。学問以前の問題は歴史学と深くつながっているとはいえ、歴史学は、学問以前の問題に対しては、無力ではないまでも、決定的な力をもっていはいない。
 生にとっては、歴史学が明らかにした歴史認識の総体が、かえって邪魔になることさえあろう。歴史を知らぬ人の幸福な生き方は、万巻の史書を恥じしめるであろう。歴史学は人の知らぬうちにその意識を規定している必然性を示すかもしれない。だがその必然性を知らないことほど、愛にも憎しみにも純度を高める作用をするものはあるまい。無知はある意味で生の美徳でさえあるではないか。分別くさい歴史知識は、自由な生の造形を抑圧し、窒息させるだけではないか。去れ、去れ、歴史学のぼろ切れめ! 地球をわがものにしたからとて、この魂を、この生を失ってはどうにもなるまい。すべての歴史を知ったとて、それで魂が高められ、それで生が高められたなどといえるほどの精神なら、何も生き方について悩んだり、光ほしさに泣いたりするにも及ぶまい。歴史知識の一切を放下して、はじめて現実に動かされぬ自己の立場を明確にすることができる。現実に対し常に異邦人としてさらりと関係しうるのには、歴史から超越した一者との秘密の関係に立って、これをのみ怖れと戦きをもって愛さなければならないのではないか、という考えもあるであろう。この思想を歴史学的に批判し、その社会的根源を示すことは困難ではない。しかし生にとって、そのような批判の何と空しいことか。
 人間は社会的存在であり、未来への扉はみんなで開けて入らなければならないことは当然である。しかし人間は、社会的生産が個人の労働から出発することが示すように、何よりもまず個体である。個体であるとは、それが一つの全体であり、小宇宙であるということである。そのようなものとして、同じような汝と区別されるところに、個体であることの意味がある。人は最愛の恋人の手の傷の痛みを、どれだけ愛していたからといって、わが身に感じることができない。それは愛情にとって我慢のならぬことである。だがそれが個体としてのさだめであり、それだからこそまた愛情は人間を高める不滅の星となることができる。
 この個体である人間の、悔いを知らない、報いられなくとも満足できる、そのようなひたむきな生き方、そのような生き方を可能にするところの生命の燃焼、それを何のためにということが、個体としての人間の小宇宙を賭した生き方の問題の核心である。しかしこの何は、どのように高貴な何であっても、たとえば人間にとって最高の存在である人間の歴史の発展にそった解放ということであっても、外から示されただけでは、個体の生命を燃やす何とはならない。ここで問題なのは、何の質ではなくて、その何が何であれ、そのために力をつくし思いをつくし、そのために生命をすて、そのために生涯をささげて悔いないということではないか。騒がしい饒舌の知識は去れ。小宇宙の静かな星雲がひとりで形をとるのを待て。人は自らの苦悩を自ら征服しなければならないのだ。
 これが人間としての生き方の問題である。人間の科学を自負する歴史学は、この問題にも何がしかの助言をあたえることができかもしれない。しかし小宇宙のことはその内部で解決しなければならない。個体としての人間の尊厳を包蔵するこの問いの前に立ち尽くす若い人々に対して、不惑の歴史学は、自己の無力を悟りつつ、しかし人間の科学にふさわしい愛情をこめて、次のようにいうほかない。
 ――ひとりで開けて入れ。

 この文章は本当になつかしい。太田先生には、よく本郷の通りでお会いした。先生の長身が遠くからみえるとうれしくなって寄っていったという記憶がある。亡くなられてからもう何年だろう。追悼の会のことを思い出す。
 

(上記の入力は娘にやってもらう。ありがとう)。

 『史学概論』は、我々の世代だと必読文献だった。今ではほとんど会うことのない人々も特別の本として読んでいたことを覚えている。しばらく前までは、今でも相当の人がよんでいるのであろうと思っていたが、しかし、絶版のようである。私などは、太田さんの本に教えられることがなければ、歴史学の仕事を続けることはなかったのではないかとさえ思えるのだが、学問の世界における世代の変化を考え、どのようにしてか、語り継がねばと思う。

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