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2011年2月 3日 (木)

和紙の研究と歴史学のミクロ化

 和紙の研究をしていて、面白いのは、これがまったくの集団研究であることである。製紙科学の先生と私たち、そして技官の方々と大学院生というペアの組み方は自然科学の研究体制とまったく同じである。
 そして、和紙という「もの」を共通の対象として、研究が徐々に進んでいく。ああでもないこうでもないという雑談と急な発見が研究の進展を決め、さらに個々人の興味や仕事、そして思考のスタイルの相違さえも研究を進める動因とする。そこでは狭い意味のプライオリティなどは問題にならない。
 人文社会系の学問では、個人研究が中心である以上、やむをえない側面があるのではあるが、しばしば、どうでもいいことがプライオリティの問題となり、その分、研究の進展に余計な手続きや手間がいるのと比べると、実にすっきりしている。
100dic  掲げた写真は、王子製紙の研究所からの提供。いわゆる美濃紙(柔細胞紙)の高精細顕微鏡写真である。昨日、メール添付で御提供いただき、その綺麗さに、暫時、見とれる。本当にありがとうございました。

          

  我々が顕微鏡でみた場合、とくに目がなれていない場合や、照明の具合などもあって、最初は、とても、ここまで綺麗には「膜」はみえない。2・3年、「膜」があるのではないかと言い続けてきて、照明の方式が確定して、私にはつねにみえるようになったのであるが、それを前提とすると、たしかにこうみえるのである。和紙科研のHPには下手なスケッチを載せたが、これでまったく明瞭になった。これで目を作って、少しなれれば、誰でも100倍の携帯顕微鏡で「膜」をみることができるようになると思う。

 これは我々の和紙分類では第三番目の「柔細胞紙」となづけたもの。美濃紙という言葉は室町時代の後期にしか確認できないが、こういう紙質をもった紙、つまり、この写真でよくみえるような薄い膜が優越する紙質の紙は、1300年代には確認できるというのが、昨年の研究の最大の成果であった。

 この膜は、楮繊維の内部に存在する柔細胞が、鞘などに入っている状態から出て、つぶれて重なって膜状になったものである。この膜を作るために、丸く、広く、平べったい面のある木槌で、楮の繊維をよく叩解する。こまかな過程は、実際に顕微鏡観察をしながら和紙の作成をしてもらうほかないが、この膜がキーであり、その基本組成もだいたいわかったので、研究の方向はほぼ明瞭になったというところである。

 なお、我々の和紙の物理分類では、このほかに、(1)純粋繊維紙(上記の柔細胞などの不純物をすべてとって、純粋な繊維のみで漉いた紙。最上級紙)、(2)澱粉紙(米粉を添加した紙。表面処理がよくなり、増量にもなる)、(3)強紙があり、計四種類となる。なお、現在の問題の焦点は、最後の「強紙」である。これも柔細胞などの非繊維物質の製紙過程での特定の処理の仕方によって作られるものと考えている。

 和紙は、本来、奈良時代以前、朝鮮の渡来系の人々によって技術が伝えられたもので、そのため、和紙のうちでもっともよい紙は伝統的に「檀紙」と呼ばれてきた。「檀」は「檀君」の「檀」。つまり「まゆみ」の木の繊維を利用した輝度の高い高級紙である。朝鮮の神話的な建国者、「檀君」が、檀の木の下で受胎したというのは有名な話であるが、それが「檀紙」という最高級和紙の名称となって残っているのは興味深い話である。近年、正倉院の和紙の中で、たしかに檀の繊維で作成された真弓紙が確認されたのは、その時代の研究者ならばよくしっていることである。
 和紙は、こうして出発したのだが、豊かで清らかな水と純良な楮に味方されて、平安時代、いわゆる流漉の技法が発展し、その中で楮の中の柔細胞を、むしろ生かして製紙をする技術、あるいは米粉を添加する技術が発達し、東アジアの中でも独特な美しさをもつ和紙が生みだされたというのが、私の仮説。

 私も最初から、こういう和紙に興味をもっている訳ではなかった。そして、今でも興味は深くなったものの、厳密にはあくまでも職場の仕事の一部であって、本来、私がしなければならない仕事、つまり、先輩や研究史の関係で、私がすべきこと、ベリーフとしての仕事であるという訳ではない。しかし、上のような意味で、通常の歴史研究者ではしないような種類の仕事に参加できたことは貴重なことであった。

 こういうことになったのは、研究所の編纂=考証という仕事の性格によるのだと思うが、業務上の必要から和紙を顕微鏡でのぞいた経験が大きい。ある文書群の保存の政策と具体的処置にかかわったことがあって、その文書群を研究する科学研究費をいただいた。その中で、当時、活発に行われ出した和紙研究を研究テーマの一つとしたので、自分でも顕微鏡をのぞいて和紙繊維をみるようになったという経過である。
 これは必要だと思ったのは、今でもよく覚えているが、内容からではすぐに文書名がつけられない文書について、その料紙の観察から、近江の戦国大名、佐々木六角氏の文書であることを特定した経験であった。ようするに佐々木六角氏は、こういう紙を使っている。役人=奉行人は、その執務場所にこういう紙を準備しているということがわかれば、その紙を使っているから、この文書は佐々木六角氏が出したものだと特定できるということになる。
 「藁をもつかむ」という言葉があるが、そもそも編纂が難しい文書というものはあり、どうしようもない時は「藁をもつかむ」という感じになる。もちろん、編纂にはもっと安定した知識と体系性や徹底性が必要なことはよく知っているが、そのようなものに若干欠けている私にとっては、大事な「藁」である。

 こういう経験をする中で、しばらく前から歴史学のミクロ化が必然的になるのではないかと考えるようになった。先日のブログで歴史科学の巨大科学化の必要ということをいったが、巨大科学が同時に学問のミクロ化をともなっているというのは、宇宙科学と似たような話である。おそらく、ここ十年は、このような意味でのミクロ化の動向が本格的になっていく時期になるだろう。その場合の基礎に歴史情報学があることはいうまでもないが、内容としては、上記の和紙分析だとか、あるいは筆跡による個人データの分析などが脚光を浴びるに違いない。
 その間は、このような種類の基礎研究も、一つの先端研究の位置を占めることになる。それ故に基礎研究が先端研究であるうちに、必要なパラダイムと体制をつくることが必要になることになる。
 先日、東京大学情報学環の10周年の記念講演会で、大坂大学の鷲田小弥太氏が、基礎研究所は一般に15年の命と考えてよいという怖いことをいっていた。それは、こういう基礎研究が先端研究として生産的な時期がだいたい15年ということであろう。もちろん、私のいる研究所のような人文社会系の研究所は、一般に複合的な使命と多様性、長期蓄積性をもつので、そういうことにはならないと思う。
 だが、人文社会系の諸学問でも、基礎研究、先端研究、そして応用研究の関係に意識的である必要は、自然科学と同様だろう。そして、歴史学の現代的意義という真っ正面からの問題設定をしないとしても、最近の状況をみていると、人文社会系にとってもっとも必要なのは広い意味での応用科学なのかもしれないとさえ思うようになった。こういう学術の論理と感じ方の共通性が、文理をこえて了解されることは、いわゆる危機にある大学にとって大切なことかもしれない。

 総武線で書き出して、いま馬喰町。
 そして、今から昼休み。和紙研究については、このブログ左下にはってある和紙科研HPもごらんください。
 以上は、だいたい和紙科研のHPにのっていますが、若干の新私見をふくみます。そういうことは、「手続き」上、基本的にはブログには書かないことにしていますが、これはむしろ自然科学研究なので、問題はないと考えています。

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