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2011年2月27日 (日)

私の好きな本。中井正一『美と集団の論理』

 高校から大学時代の最初にかけての愛読書の一つ、中井正一『美と集団の論理』は、背表紙は白、そして表紙全体は黄色。装丁が好きであった本というと、この本、そして従姉妹から長く借りていたカンディンスキーの前衛芸術論であったと思う。
 『美と集団の論理』の方は、ある人に貸したまま、結局、あげてしまった。いくつかの論文については、親しい記憶があり、それでも不便を感じていなかったのだが、昨年、『中国史』の勉強をした時期があって、その中で、小島毅氏の中央公論社版の『中国の歴史』の宋代をあつかったに感心し、それとの関係で、中井の世界史的な情報過程論を再確認したくなって、ネットワークで注文した。1500円しなかったように思う。記憶通りの綺麗な本を入手して喜んだ。下記は、その時に書いたメモを組み直したもの(カンディンスキーの方は、今度、従姉妹にあったら、また貸してもらおう。返したはずだと思うが、まだ返していないということだったらどうしよう。もう40年も前の話だ)。

 中井が『土曜日』に書いたエッセイのうち、もっとも著名なものを下に引用。
 人は営みの轟音のなかで、すき間を洩れる風のような不思議な想いにめぐりあうことがある。
 何故こんなに多くの人が歩いているのか。何故こんなに多くの人々が苦しんでいるのか、何故苦しみがあるのか。何故こんなに忙しいのか。何故人は笑っているのか。何故泣いているのか。
 小さな子供が母親にいくらでも問いかける問いのような、何か大きな問が、次から次へと追いかけるように、止まることなく湧いて来ることがある。
 それは想いというよりは、一つの感じである。自分にも判らない一つの心の動きである。そよそよと吹く風が、大気の全体を音もなく動かしているような、あらゆるものを親しく撫で、触って行く微かな感じである。
 そしてそこに漲るものは、大きな虚しさである。この凡ての営みが全体をあげて、寥々たる無の中に沈んでいくのではないかという感じである。
 それは実に太古の民をもが、大きな自然や、激しい人生に臨んで、懐いた感じであり、その時代その時代に於いて、その色合いが変わりその現わし方が違って来た想いである。そして、その想いの中に立止って、それを「道」にまで変えてきたことが度々である。

 中井正一は、第二次大戦前の京都大学の哲学教室で美学を専攻し、京都大学の講師をつとめた哲学者である。しかし、彼は戦争へ戦争へと流れる時代の動きのなかで、その自由主義的な言論を咎められ、特別高等警察によって検挙された。そして、そのために京都大学を追われ、郷里の瀬戸内海・尾道に戻って雌伏の生活を余儀なくされた。
 敗戦後、中井は、大学に戻ることなく、ふるさとを拠点として在野の立場から活発な文化的・社会的活動を展開した。現在からみると、彼にとっても、そして私たちの学術と文化の豊かさのためにも、彼がそれをじっくりと続けた上で、ゆっくりと大学に戻り、学問の世界にもどった方がよかったのではないか。現在では中井の名前を知る人は少ないかもしれないが、それが中井の仕事を知る、多くの人々の感想ではないかと思う。
 しかし、第二次大戦直後の状況の中で、その履歴や能力、また闊達な人柄がよく知られていたこともあって、中井は国立国会図書館の創立にあたって、副館長を委嘱された。中井の副館長職は、本来、あるいは実質上は館長職であったといわれているが、その仕事の環境は強靱をもって知られた中井の健康と精力を消耗させ、中井は、一九五二年、まだ五三歳という年齢で、胃癌に倒れた。国会図書館のカウンターの壁の上に刻まれている「真理は我らを自由にする」という銘文は(「国会図書館法」前文にも記載されている)、中井が残したものとしてよく知られている。
 大学時代、はじめて国会図書館に行ったとき、その銘文をみて、「ああこれか」と思ったのを覚えている。しかし、もう中井の死去の年よりも十年長生きをした上での、私の感想は、上に述べたように、結果論ではあるが、この就任が日本の学術と文化にとって本当によかったものとは思えないということである。程度の低いサードデグリーの政治家がほとんどを占める、たかが日本の国会のためにあたら貴重な人間を失って、何ということかということである。


 冒頭にかかげた「人は営みの轟音のなかで、すき間を洩れる風のような不思議な想いにめぐりあうことがある」という文章は、中井が、京都で仲間たちと発行していた自由主義的な週刊誌、『土曜日』の一九三六年八月十五日号に執筆した巻頭言の前半部分である。 私は高校時代から中井正一をよく読んだが、中井というと次の歌が思い浮かぶ。
 滔々と
 とよもし来たる敷き波の
 限りなければおもいあえなし
 『美と集団の論理』の「投げ込み」で、中井の次女の徳村杜紀子さんは、「東京にでてきた翌年の夏、台風のちかい大磯の海岸で、おしよせる一丈あまりの波にむかってぬき手をきって泳いでいった父の姿は、いまもはっきりと目にうかぶ」として、この歌を紹介している。
 この時代の京都大学の哲学は、三木清・戸坂潤・中井正一などの俊秀を擁していた。カント・ヘーゲル・マルクス・ウェーバーを読み抜き、フッサール・ハイデガー・サルトルらと共通する議論に挑んでいた彼らの仕事は、あきらかに当時の世界水準を越えている。しかし、三木も、戸坂も獄中で死去し、中井も、第二次大戦からの日本の国家と社会の復興の激務のなかでほとんど討死のようにして死んでいった。
 
 歴史というものは、「滔々ととよもし来たる敷き波」のようなものであり、「この凡ての営みが全体をあげて、寥々たる無の中に沈んでいくのではないかという感じ」であり、「大きな虚しさ」であり、そして「すき間を洩れる風のような不思議な想い」であるというのが、歴史の「営みの轟音」を体験した人、体験せざるをえなかった人々の実感であるのだと思う。
 もちろん、このような感情、感慨をそのまま受け入れてよいのかどうかは一つの問題である。「大きな虚しさ」「不思議な想い」のレヴェルではすまないような経験というものを、私も聞いているし、知っている。しかし、中井のいうことが「歴史とは何か」ということを考える入り口であることはたしかだと思う。
 私は、中井が国会図書館副館長として上京してきた年、一九四八年に生まれた、いわゆる「戦後世代」である。戦争の記憶と経験を、どう考えるかは、私までの世代では大きな問題であったと思う。
 もちろん、「生まれた時が悪いのか、それとも俺が悪いのか」、個々人の人間としてのつらさというものは、どういう時代でも変わらず、とくに近年では、一人一人の内的な生活としては救いのない局面こそが増えているのではないかとも思う。
 とはいえ、私などの人生は、「平和」の中で経過し、耳をすませば、どこかに歴史の「営みの轟音」が聞こえるような気もするが、「隙間風」のなかで右往左往しているという程度のものである。第二次世界大戦後、日本では「平和」が続いている。世界各地では、多くの人間が、戦争・革命・災害の轟音のなかで裏返され、押しつぶされるという境遇の中におかれているのに対して、日本は奇妙に静かな社会である。第二次大戦をアジア太平洋地域に引き起こした張本人の国でありながら、こういう状態が許されている根拠は、どこにあるのか、それをどう考えるかは、歴史家としては必須の自問である。
 もちろん、「平和」は、どのような平和であっても価値がある。とくに東アジアの平和の意味は深い。しかし、だからといって、我々が「歴史の轟音」を聞く能力を失ってはいけないのではないか。歴史の轟音を聞いたのは、我々の父母の世代であり、あるいは我々の師や先輩にあたる世代であり、私たちにとって、そんなに遠い人々ではない。それが聞こえなくなっているとしたら、それは、現実の日本社会のどこか深くに、何らかの病巣が巣くい始めていることを示すのではないか。あるいは日本社会は、そのような不安を感じることさえなくなっているのだろうか。
 私は歴史と社会が轟音をもって変化することがよいという訳ではない。歴史と社会の変化は、可能であるのならば、漸進的である方がよいのは当然であろう。本質的な変化は着実に人知れずに進められる。一般に世上に取り上げられる変化、マスコミが取り上げる変化は浮動的な変化であることがしばしばである。より基礎的で、身近な組織や集団、会社・役所や(私の場合は大学)などをとってみても、できる限り慎重な過程と周到な合意、未来展望の下に変化の道に進むことがのぞましいのはいうまでもなかろう。
 それは個々人や個々の組織にとっては、実際はきわめて難しいことであるが、しかし、社会の基礎単位での議論と合意について、丁寧で柔らかい態度がとれないようでは、社会全体が軋みだすだろう。そして各所で矛盾がたまり、社会全体が不快な軋みの音になれていけば、それは、いつかは、人々を押しつぶす轟音に転調するだろう。どこでも軋みが聞こえ出すとしたら、それは、その社会のシステムに構造的な問題があったことを意味するから、そうなればとどろき渡る轟音に抗して、暴発し狂い回る社会組織を統御する荒業を覚悟しなければならない。しかし、できることならば、軋み音の段階で、どうにかして不快なシステムを手直しし、調律されたエンジンの回転音を取り戻すことことが望ましいのは明かである。
 いま考えると、私は、高校時代、堀田善衛をよく読み、その中で戦争を経験した人々の姿に引かれ、それが戸坂潤・三木清・中井正一への興味に向かった。そして、そこからいわゆる「戦後歴史学」に親しいものを感じ、その中に踏み入っていった。そうであるだけに、彼らの仕事と比較して、歴史学が何ができるかということをずっと考えてきた。
 それにしても、中井の著作は多様であり、彼の美学関係の著作集の方は、そんなに読んでいない。ほとんど買ったはずだが、最近、見ていない。どこに置いたのだろうか。とくに「日本美」についての中井の分析もよくわからないまま過ぎた。『美と集団の論理』を、読み直した上で、小さな版の美学関係の著作集の方も、そのうちに読んでみたいものだと思う。

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