地震火山(11)寒川旭『地震考古学』と地盤液状化
一昨日、本当に久しぶりに自転車で花見川ルートへ。梅の花が咲いている。そして今年はじめてのモンシロチョウをみた。小学生のころ、春、蝶が飛び始めるのを心待ちにしていたが、そのころの東京では、最初のモンシロチョウは3月12日・13日頃だったと思う。昨日は3月19日だから、そんなに遅れている訳ではない。
公園の道路にひびが入っている。そして谷戸に入って国道に上がってくる坂道にもヒビが入っている。崖を被覆するコンクリの破片が落ちているから、これは地震にともなうヒビであることは確実。 わが家は、その谷戸から東南へ、いくつか丘を越えた、別の水系の谷戸にあるが、谷戸の入り口あたりでは、3月11日には液状化が起きた。三軒並びの住宅がかしぎ、その真ん中のラーメン屋さんは閉店の掲示がでている。写真はその横の道の液状化のあと。黄砂の部分。地震後、しばらく経ってからだから明瞭ではないが、直後は相当のものであった。
地震にともなう液状化は、地盤の深部にある砂礫層の構造が崩れると同時に、内部の水の圧力が一挙に増大することによって、上の土地を突き破って液状になった砂が噴出する現象である。
この液状化の痕跡が各地の遺跡で確認されたのは、1986年、滋賀県高島町今津の北仰西海道遺跡が始めて。寒川旭『地震考古学』によれば、寒川氏が町史編纂室で、遺跡の発掘を担当している葛原秀雄氏を紹介され、「遺跡で地震の跡がでるとしたら、どんな形になりますか」と質問され、しばらく前の日本海中部地震の水田の風景を思い出して「砂のつまった割れ目がたくさん見つかるはずです」と答えたところ、「それらしいものが、今掘っている現場にある」といわれて見に行ったとのこと。これが「地震考古学」という分野の実質上の出発点になったという。 これは日本の考古学の新しい社会的役割が発見されたということでもあるように思う。それまでも、考古学は地面と地盤を調査するという意味では地質学と深く関係するものではあったが、これによって地震の痕跡を調査し記録するという新しい役割が生まれた。これを系統的に蓄積して、地域の人々にも見やすい形にしていくというのは、地震学の研究のために、そして地域の安全のために必要なことである。 国家や各自治体は、それを十分に認識してほしい。遺跡調査がなぜ必要かということを自治体や市民に説明することはおうおうにして困難をともなうが、これは絶対的な必要であるように思う。考古学の位置づけを考え直さないとならないし、調査体制の強化が実際上の必要であることが強調されてよいと思う。 千葉では幕張と美浜町で液状化が起きているが、自宅近くをみても各地で液状化が起きているに相違ない。現代の通常の生活では、地盤というものを意識することがないように思うが、これは地域で共有しなければならないものなのかもしれないと思う。表面の利用・占有は私的に行われるものだが、地盤それ自身は共通するものだから、何らかの意味での共有を考えざるをえない。いわゆるコモンズ(社会的共通財)であるということの意味を正確に考える必要があるのだと思う。コモンズとしての土地・大地というと、ことあたらしいが、従来からの歴史学では、大塚久雄先生の「共同態」、あるいは網野善彦さんが強調した「無縁」の問題が、これにあたる。 地盤に対する意識というものが、平安時代から鎌倉時代にどのようなものであったかというのが、最近の研究テーマの一つであった。どうも下地という言葉が土地の占有される表層部、地本というのが地盤自体を示すらしい。こういう迂遠にみえる問題も、実際には、きわめて現実的・現代的な問題であることを、液状化の跡をみながら、考えている。
寒川旭『地震考古学』(中公新書、1992年)は、その意味でも重要な本である。御一読を。
わが家は生協の生活クラブに入っているが、「さつまあげ」などの練り物は、石巻市の高橋徳治商店からきている。高橋商店の練り物はおいしいと地震前に食卓の話題になったばかり。
連れ合いが、生協のHPで掲示をみつけた。
◆宮城県石巻市の高橋徳治商店の状況
(1)社員のHさんからの情報(16日20時):「社長は牧山社務所に避難中、従業員は7割ぐらいが安否確認できているが、先に帰宅した従業員との安否確認ができていない。工場は第一工場は残っているが瓦礫の山で近づけない。第二工場は流失。」
(2)高橋さんは生きている(3月18日00:42)
生きていたよ。昨日までいろいろ探したけどわからず、ヤキモキしてたけど、現地に行けば開ける。比較的に元気だった。そして(避難村の)村長の役割をきちんと果たしている。明日、重茂に行けば、また開ける。米の支援10トンを水沢に入れる。東京から支援の2人が明日来る。明日の積み込みは満載だ。今日とは大違い。積みきれない。 。
高橋徳治さんの顔写真が載っていて、はじめて(写真で)お目にかかる。お元気で御活躍を!
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