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2011年3月22日 (火)

地震火山(14)貞観津波に最初に注目した人ー今村明恒

Akitsune_imamura1

 貞観地震についてはじめて注目した研究者は今村明恒(1870-1948写真はウィキペディアより)。今村は、日本の地震学の最初の確立者であり、関東大震災の危険を予知した研究者として著名である。今村は、自然科学者であるが、歴史史料を扱う能力も高く、歴史地震学の分野でも、実質上、最初の開拓者である。

 彼が貞観地震についてふれた論文は、下記の二つの論文。

(イ)「日本に於ける過去の地震活動について(未定稿)」(『地震』8巻,121-134頁)、
(ロ)「日本に於ける過去の地震活動について(増訂)」(『地震』8巻,600ー606頁)であろう。
 
 そのうち、貞観地震にふれた部分は下記の通り。

(イ)「三陸沖に於ける地下大活動は過去1500年間において次の3回を数える。Ⅰ貞観11年5月26日(西紀869Ⅶ13)、Ⅱ慶長16年10月28日(西紀1611ろ12ⅩⅡ)、Ⅲ明治29年6月15日(西紀1896)および昭和8年3月3日(西紀1933)」(上記「未定稿」134頁)。

(ロ)「三陸太平洋沿岸に於ける大津波中特に規模の雄大であったのは、貞観11年(西紀869年)、慶長16(1611年)のものであって、明治29年(1896年)のもの之に次ぎ、昭和8年(1933年)のもの、又之に次ぐであろう」(上記「増訂」601頁)。

 今村は津波が海底地盤の隆起によって起こるということをはじめて論じた学者とされるが、「これらが(これらの津波がーー筆者注)いずれも上記地震活動の旺盛期のみに起こったのは特筆すべき事実といわねばならぬ」とする。
 問題は、ここで日本列島における「地震活動の旺盛期」を試論的に提示していることで、それは、(1)7世紀末期から9世紀末、(2)16世紀末から18世紀初頭、(3)19世紀半ば以降の三期であるという。
 
 ここでは(1)(2)期が問題であるが、これについて、今村は「活動旺盛期、とくに第1期、第2期はその期間あまり長からざるにかかわらず、地震活動が、この間に本邦における地震帯の全系統を少なくも一巡しているようにみえる。これはまったく偶然の結果かもしれないが、しかし各期における活動の原因が広く日本に対して働きつつあった一勢力にありとみる時、斯様な現象の起こるのもむしろ自然のように思われる」としている(なお、この(1)(2)期がどちらも富士山の大噴火をともなっていることが注目されよう)。

 今村が列島の自然史の中で、地震活動の集中期を設定したことが、今の歴史地震学のレヴェルで正しいのかどうかはわからない。地震噴火が文献史料だと、とくに九世紀に集中するようにみえるのは、史料上の偶然にもよるという批判もある(早川由起夫『歴史地震』15号論文)。しかし、「広く日本に対して働きつつあった一勢力」というものが存在し、一定の周期で、列島全体の『動乱の時代』がやってくるという想定は、それ自身として興味深い。
 
 以上から、今村が、貞観津波(869年)を日本列島における歴史的な地震活動の最初の活発期、「7世紀末期から9世紀末」の最後にあたる重要な地震として位置づけていることがわかる。
 この論文の発表は1936年。『地震』第8巻3号と12号に掲載されたもの。未定稿と増訂で内容は重なっており、しかも未完のものだが、今村の仕事にとっても、歴史地震学にとっても重要な意義をもつ論文のようである(『地震』は「地震学会」の機関誌。地震学会は東京帝国大学理学部地震学教室内におかれていた)。

 今村は、このような体系的な理解にもとずき、(3)期は進行中であり、しかも(1)(2)期で発生した大規模な東南海地震が未発生であることに注目し、東南海地震の発生を警告し、私費を投じて地震測候所を各地に設置した。警告通り、1944年に東南海地震が発生し、戦争状態の下で大きな被害をまねいたことが知られている。いわゆる「東海大地震」問題の学説史的な根っこは、どうもここにあるらしい。
 歴史学でいうと、中田薫のような人なのだろうと思う。歴史学でも、石母田正・佐藤進一・永原慶二・網野善彦・石井進・笠松宏至などの著名な戦後派歴史学者は、みな中田との格闘の中で自己の学説を形成した。そして中田学説の乗り越えは、まだ我々の世代の課題として残っている。いわゆる「明治の学者は偉かった」ということであるが、それにしても、地震学の場合は、国土の運命に具体的に関わるだけに影響が大きい。歴史学もこの列島社会の運命に関わる学問ではあるが、今村の貞観津波論についての言及を知ると複雑な感慨をもたされる。

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