カレル・チャペックの『オランダ絵図』
いま、京都出張でホテルの部屋に帰ってきたところ。夕食前の時間。
カレル・チャペックの『オランダ絵図』(『ちくま文庫』カレル・チャペック旅行記コレクション、飯島周訳)をもってきた。チャペックとケストナーが好きというのも、われわれの世代の特徴かもしれない。この本は、オランダという国、そしてベルギーという国が好きなので読んでいる。チャペックのオランダの絵がいい。この自転車の絵は傑作だと思う。小さい頃に読んだ『長い長い郵便やさんの御話』の挿絵も、彼自身の挿絵だったのだろうか。
チャペックいわく。「アムステルダムの町の中ほど、数多くの自転車を見たことはなかった。それはもはや動物の大群のようなもの、いわば自転車の群体で、バクテリアの集落とかアメーバの群れとか羽虫の大群に似たようなものになっている。人が街路を渡ることができるように、景観が瞬間的に自転車の流れを止め、それからふたたび大らかに道を開いてやる時、その光景はこの上なく美しい」
「私は自転車にのっている尼僧、自転車にのって牝牛を引っぱっていく農夫をみた。人々は自転車に乗って、ティータイムを楽しみ、子供と犬を運び、恋人たちはペダルを踏みながらたがいに手を握りあって、楽しい未来を夢見る」
オランダは自転車大国だが、チャペックが、この旅行記を書いた1931年からそうだとは知らなかった。チャペックの観察が面白い。「自転車に乗ることが、こんあにまで国民の慣習になっているなら、そのことが国民性にどんな影響をあたえるだろうか」と自問自答しての答えのいくつかを紹介すると、
「あまり苦労せずともよいように、またあまり騒ぎを起こさぬように、滑らかに前進していく」
「誰かと組みになって、または群集となってすすんでいく時でさえ、自転車にのっている人は歩行者よりももっと孤独で閉鎖的である」
「自転車は人々の中に一種の平等性と同質性を組織する」
「自転車は、人々に、慣性または惰性に頼ることを教える」
「そして、人々の中に、布団にくるまっているかのような静けさを求めたいというセンスを育成する」
自転車乗りの人々には、この本の、この部分をお読みになることをお奨めする。読んで苦笑するところと納得するところがあるに違いない。
自転車がオランダで誰もの交通手段になっているのは、オランダが平らな国だからである。以前、オランダから交換学生できていたフランクがオランダのことを「フラットカントリー」といっていたが、ああいう場所で小さいころから自転車に乗っていれば、たしかに国民性に影響するのではないかと思う。自転車は平等性と同質性と孤独を組織する。
フランクの自転車の乗り方はうまかった。身体の一部になっているような乗り方をする。山国チェコのチャペックは、「人間が座ったまま進んでいくのをみていると、どこか不自然だと思う」などと負け惜しみをいっているが、こういうのはたしかに「国民性」に影響するのではないか。そして自転車の影響は、よい影響ではないかと思う。
私はしばらくの間ベルギーにいたことがあり、仕事や観光のためにオランダに何度かいっただけなので、よく知っている訳ではない。アムステルダムとライデンにいっただけ。ただ、チャペックの文章が伝えようとしているオランダの雰囲気はよくわかる。
アムステルダムの運河の雰囲気は、アンネ・フランクの家の周辺の様子として記憶に残っているが、チャペックが1931年にオランダにいったのは国際ペン大会のチェコ代表として行ったものである。そのころからチャペックはナチスへの文化的抵抗に進み出ている。
チャペックは、病気で1938年に死去してしまったが、それはナチスのチェコ侵入の三ヶ月前のことであった。妹が大学時代によんでショックを受けた本が、ナチスへのチェコの抵抗運動の日記、フーチクの『絞首台からのレポート』であったことを思い出す。そして、第二次大戦末期のスターリンによる東欧に対する民族的政治家、さらに社会主義政治家に対する殺害を含んだ内政干渉についての歴史も思い出す。我々の世代は、私のような庶民家庭の出身でも、東欧の悲劇を考える条件を、『世界少年少女文学全集』(講談社)の、チャペックの『長い長い郵便やさんの御話』を読んだときからあたえられていた訳だ。
『オランダ紀行』を読んでいると、チャペックの闊達な気分と若さが印象的である。「ヒトラードイツに対する、高雅なしかし厳しい否認」(140頁)を宣言し、「(118頁)我々と、すべての人に大きな解放と創造の活気の道を開く仕事は、政治にかかっている」ということをチャペックのような人が述べているのを読むのは気持ちを厳粛にさせる。我々の世代の文化の受けとめ方は、個々人によって違っていても、そのルートを最後までたどっていくと、しばしば歴史と政治に結びついていった。現在の日本のからは、そういう文化の重層性と歴史性が失われているように思う。
『オランダ紀行』を読んでいると、ヨーロッパ文化の伝統的な豊かさと強さは、ヨーロッパがその内部で国際的な経験を提供し、人々に「国民性」を考え、国際的な友愛を考える多くの機会をあたえるという点にあるのではないかという感じをもたせる。東アジアの「平和」は、まだそういう豊かさをもっていないように思う。このシリーズ、『ちくま文庫』の「カレル・チャペック旅行記コレクション」には、イギリス、北欧、スペインがあるということなので、そのうちゆっくり読んでみたい。東アジアとヨーロッパにおける「国際」ということの意味と感覚の違いを考えてみたいと思う。
昨日は、怒りの感情に左右されて疲れた。怒りは必要であると、私は考える。一人で怒っていても何も変わる訳ではないのだから、馬鹿のような話ではあるが、怒らなければその先は始まらない。しかし、その先が、どれだけ豊かであるかによって、事柄はきまっていくのだろう。
さて、寒さと仕事、なによりも気分の関係で、ここのところしばらく自転車にのっていないが、出張から帰ったら、今週の週末は乗る積もり。
日本史研究会のNさんと食事をして、ホテルに帰ってきたところ。明日は今日の続きで府立総合資料館へ、そして昼には御寺へも。今から風呂。
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