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2011年3月 1日 (火)

武人のハニワ像ーー奈良茅原大墓古墳

 110301_092005 朝、総武線の中。2月25日の朝日新聞朝刊によると、四世紀の埴輪像で、武人を形容したものが出土したという。奈良県桜井市の茅原大墓古墳(全長86メートル)。古墳の東側のくびれ部で数百の埴輪片が見つかったのを組み合わせたところ、高さ67センチ、幅50センチの武人と判明。いわゆる「盾持人埴輪」である。顔の部分は縦17センチ、横16センチ。目やほおの周りに赤い顔料が残っていた(これは酒を呑んだというしるしだろうか)。一緒に置かれていた円筒埴輪から、古墳時代中期初め(4世紀末)の製作と推定されるという。これまで、このような埴輪の事例は5世紀初めから前半の拝塚古墳(福岡市)や墓山古墳(大坂羽曳野)。関東地方を中心に50箇所近くから100体以上が出土しているが、これはこれまででもっとも古い武人像の埴輪であるという。
 武士の埴輪についての研究がどうなっているのかはまったく知らないが、やはり気になるのは、伊豆国神津島の噴火関係史料に次のようにみえることである。

 また山岑に一院一門あり。その頂に人の坐する形の如き石あり。高さ十許丈、右手に剣を把み、左手に桙をもつ。その後ろに侍者あり。跪き貴主を瞻る(見る)。その辺、嵯峨にして通達すべからず。

 

 ようするに火山山頂部分に「院」、つまり建物の区間らしきものがあり、門がある。そしてその中でもひときわ高いところに、人が座っているようにみえる石がある。その石の高さは30メートル以上、武人は右手に剣をつかみ、左手には鉾をもっている。そしてその後ろに従者がいて、跪いて主人の武人を見守っているようにみえる、ということである。
 火山幻想の中に、武人の像が登場することは、前方後円墳の埴輪に武人像があることと対応しているのではないだろうか。普通に考えれば、埴輪で武人の像を造るというのは、古墳の被葬者に現世でつかえていた武士の姿を模造したもので、それは現世の延長ということになる。たしかに、人間の幻想が作り出したものという意味では、神話世界は現世の延長である。しかし、この幻想には特定の根拠があるはずであって、神話は、現世の姿と生活をそのまま映し出すという訳ではなく、幻想を通じて変形し、かつ転倒された姿をもつことはいうまでもないだろう。
 そこには、神話世界をあたかも現実であるかのように考えたり、感じたりする現実があったに違いない。その場合、火山の噴火の中で造られた磐の形が幻想の種となるというのは、十分にありうることだと思う。
 私見によれば、列島社会の山の神話は、磐座の神話という性格をもっているが、さらにその先には、火山神話がある。磐座にはさまざまな形をしたものがあるから、磐座の信仰のレヴェルで、怪異な姿をした磐を武人と観念したということはあってもよい。しかし、火山の噴火によって、そのような姿ものが作り出されたという神秘感ほど説得的なものはないだろう。人は、その生成の現場をみることなしに、幻想を固定することはないのではないか。そして、そういう記憶は個人の中のみではなく、集団の内部に蓄積され、一つの幻想の体系となっていくのではないだろうか。
 先日の座談会で赤坂憲雄氏に野本寛一氏の磐座についての分析が参考になるのではないか。民俗学で火山論に関係する仕事をしているのは野本さんであろうと教えられる。さっそく野本さんの『石の民俗』を見てみるつもりが、諸事にまぎれてまだになっている。山と磐座の幻想が火山幻想に展開する諸様相を考えてみたい。

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