火山地震(4)ー日向の前方後円墳の軸線?
今、帰りの総武線。
考古学のブログ、「私的な考古学」をみていたら、前方後円墳が火山をもした「山」ではなかったかという私説への言及を発見。しかも、このブログは「前方後円墳=山」論の論者として、『かぐや姫と王権神話』でも参照した北条芳隆氏のブログであった。
考古学のブログは、「私的な考古学」というブログと「北の考古学」というブログの二つを最近みるようになった。「私的な考古学」が北条さんのブログであることは、今回、プロフィールをみてはじめて知った。どちらも内容がある。そして仕事の現場紹介という意味では、このブログと似ている。
北条氏の「前方後円墳=火山説」へのコメントはたいへんにありがたい。エイヤっと言い切ったことへの始めての学問的反応である。それは次のようなもの。
併せて保立道久氏の『かぐや姫と王権神話』(洋泉社)と『黄金国家』(青木書店)を読み始めています。保立氏の前著は竹取物語の成立の背景を古代の王権論との関わりのなかに探るという魅力的な著作ですが、そのなかに、前方後円墳が火山を模した「山」ではなかったか、という仮説が提示されていたのには驚きました。仮説として有効かどうかについて即断はできませんが、沼津市界隈の前方後円(方)墳の軸線が富士山の山頂に向けられている事実や、埼玉稲荷山古墳の中軸線も富士山に向かう事実を想起させるものでした。こうした事実を文献史学の専門家である保立氏がご存じかどうかは不明ですが、古墳と火山との関係について明確な解釈を与えた目下唯一の作業ということになるかもしれません。また後者の本は表題から受ける印象とは異なって理論的な展開の書。読み応えがあります。
これはまったく知らなかった。実は、『かぐや姫と王権神話』を執筆したとき、「前方後円墳=火山」という「仮説」がすでに存在するかどうかは重大な問題なので、人を介し、あるいは紹介をしてもらって考古の方にも意見をうかがった。しかし、そういう仮説は聞いたことがないということであった。
もしこういうことがあるのだとすると、日本中の前方後円墳の方位と、その地域における火山の位置の関係を調査してみれば、「前方後円墳=火山」という仮説の当否の一定部分が判明することになる。
霧島火山帯の側の日向の古墳はどうなのだろうか。これはすぐにも調べてみたい問題だ。
調べてみると、日向の古墳の軸線は北をむいていて、霧島連峰の方を向いている古墳はほとんどない。北条さんが奈良女のシンポジウムで展開している古墳方位論、都出比呂志氏の「北枕」論をふくめて、慎重に検討したい(追記、翌日)。
もし一致する部分があれば、それは歴史時代における火山の爆発の記憶の痕跡を示すことになるから、あるいは自然科学的な火山学にとっても意味があることかも知れない。古墳時代の火山爆発などは記録がない訳だから、もし前方後円墳の軸線線上に火山があれば、それは古墳時代の記憶を示すことになる。はるか昔の人々の自然についての記憶が発掘できるというのは歴史学にとっても決定的な問題である。
富士山といえば、昨日、職場の友人と銭湯の富士山のペンキ絵の話をしていた。彼女によると、この風習は、それなりの伝統があるかもしれないということであった。あとで考えたが、オオナムチ(大国主命)が火山の神と温泉の神を兼ねていたように、「火山」と「お湯」はセットなのではないかと思う。火山をみながら温泉に入るという美意識があるのではないだろうか。
先日、伊藤克己氏から、彼が代表をしている日本温泉文化研究会編集の『温泉をよむ』(講談社現代新書)をいただいた。これは本当に面白い本で、温泉に表現される日本の伝統文化の破壊というものをどう考えるかはきわめて大きな問題である。この本が、それを論じる姿勢に共感する。そして、考えてみれば、温泉論は火山論に直結する。
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