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2011年4月14日 (木)

地震火山23小山真人『富士山大爆発が迫っている』

小山真人『富士山大爆発が迫っている』(技術評論社2009)について
 学者をやっていると仕事の上での読書というのは楽しいものではない。もちろん、もう少し余裕があれば別だが、追われるように仕事をしていると、人の仕事をじっくり読む機会はへっていく。もちろん、研究だけの時間がとれ、追われるように仕事をするというのは独特の楽しみがあるが、それは自分の研究の構想をねり、あれからあれへと論点をふくらませ、草稿を書いていく楽しみであって、そこでは「本」というのは、あっちこっちをひっくり返すものであって、それは読書の楽しみではない。とくに歴史学の場合は、というよりも私の場合は、じっくりと読むということが少なくなり、どうしても必要になったり、あっと気が付いて集中して読んだ時には、しばしば自分の欠落や狭さや偏見を自覚することになる。そうなると楽しいどころではなくなる。これは年をとっても気が休まらない学問であると思う。
 けれども、学者をやっていて楽しい読書というのは、たしかにある。それは、歴史学の普通の世界から相当離れた学問の著作を集中して読む時であろう。最近では、『かぐや姫と王権神話』の執筆のために、集中的に神話学の本を読んだ時は楽しかった。私は、こういう時に、自分のことをやはり「戦後派歴史学」であると思うのだが、神話学というと、大林太良氏のものしか読んでおらず、この機会に、三品彰英、松村武雄、松前健などの古典的な仕事を拾い読みした。おのおの独特の経歴の方々であるから、神話学の世界というものも覗けたような気もして、これは独特の経験であった。
 最近は地震学・火山学の本にはまっている。これは端倪すべからざる学問分野である。そもそも歴史学をやっていると、とくに最近の日本の経済学、法学などの「正統的」学問はほとんど馬鹿にみえてくるので、端倪すべからざるなどという経験がなくなる。また歴史学者は(少なくとも私の場合は)一般には純正の自然科学を理解する能力はないので、いよいよ唯我独尊になってくる。
 ところが、地学関係の仕事は、私たちでも理解ができるし、歴史学と同じような意味で「時間」を扱う学問であり、さらに理論的に厳密であり、社会的な有用性を表面に立てる。石母田正氏のエッセイを読んでいると「地団研」の地質学者への言及が多いが、ようするに、歴史学者がは伝統的に地質学に弱い、地質学を尊重するということなのだということを実感している。
 さて、いろいろの感想は以上として、本書『富士山大爆発が迫っている』(技術評論社)は、「(1)火山はどうしてできる」「(2)富士山のおいたち」「(3)歴史時代の二大噴火」「(4)富士山のハザードマップ」「(5)富士山の噴火予知と防災計画」「(6)火山とともに生きる」の計6章からなっている。

 「(1)火山はどうしてできる」
 この第一章は、は火山論を中心としたプレートテクトニクス、地質構造学の概説。プレートとプレートの境界地帯に火山と地震多発地帯が集中していて、日本は火山と地震のマークで地形もみえないという例の恐い世界地図がでてくる。そして、火山がなぜできるかの説明がある。プレートの沈み込みにともなってできる火山、プレートの拡大・引き延ばしの地帯に上昇する火山、そしてプレートより深いところからマグマが上昇してくるホットスポット型の火山の図解がわかりやすい。興味があるのはホットスポット型の火山なるもの。
 『かぐや姫と王権神話』を書いた時に読んだ江原幸雄『中国大陸の火山・地熱・温泉』(九州大学出版会、二〇〇三)によれば、「東北アジアの火山分布は、(1)カムチャッカから日本列島につづく太平洋プレートの沈み込みにともなう火山帯、(2)内モンゴル自治区に聳える大興安嶺山脈と黒龍江省から韓半島にむかう長白山脈に広がるホットスポット型の玄武岩質火山の二列に区分される」という。東北アジアは、この大興安嶺山脈と長白山脈をふくめれば、本当に一帯が火山地帯なのである。それが、この地域の神話・民俗に共通する影響をあたえたのは明らかな事実で、有名な「騎馬民族国家節」ではなく、「東アジア火山国家説」こそが必要というのが私の試論。
 小山の図による説明によって、ホットスポット型火山というものの実体がよくわかったが、江原の説明では、東北アジアのホットスポット型火山は日本周辺でのプレート沈み込みに関係して生まれたものであろうとしている。そこまでふくめて火山地帯論の状況がどうなっているか、それを知りたいものである。

「(2)富士山のおいたち」
 この第二章は、富士山の地質学的な分析によって富士と箱根の関係、富士が本来はツインピークであったことなど、具体的にわかる。まず、富士は同じ火道を何度も使用して噴火した複成火山で、しかも大量の火山噴出物が層をなして大円錐体となって積もったせ成層火山であること。ただし、成層火山よりも、大円錐火山というのが最近の火山学の言い方らしい。「休火山という言葉は、いまでは使われていません」ともあって、私などは、そんなことをいわれてもそういうように習ったといいたくなるが、学問というのは「君子豹変」だから仕方がない。
 もう一つは、富士の地下構造の問題で、これが面白い。つまり東日本が直立しているのは、アムールプレートとオホーツクプレートが東西から押し合っているためだが、その股に食い込むようにして、南からフィリピンプレートが潜り込んでいる。ここら辺はよく理解できる訳ではないが、ようするに、フィリピンプレートは軽い大地、伊豆半島を上にのせて北上運動をしているからだろうか、伊豆半島とその先に突出する富士山の方向には沈み込まず、西と東に分かれてアムールプレートとオホーツクプレートの下に沈み込んでいる。富士山の北にはフィリピンプレートの沈み込みが確認されないということのようである。いずれにせよ、富士山はプレートの股の部分に突出した異様な火山であるらしい。しかも、その直接に接触する三枚のプレートのさらに下には太平洋プレートが沈み込んでいる。
 そういう条件の中で富士がどのように巨大化してきたかが、この章では書かれている。
 
「(3)歴史時代の二大噴火」
 この章は富士の貞観の噴火と宝永の噴火についての説明。宝永噴火と貞観六年(八六四)の噴火の比較が面白い。貞観噴火は溶岩型、宝永の噴火は火砕流と噴石型で、富士の噴火の二類型を代表しているという。貞観噴火では「せの海」という富士の北の湖の埋没と分断によって、富士五湖が形成されることはよく知られている。ボーリングなどによってこの「せの海」の容積を試算して、貞観噴火のマグマの総量を14億立方メートルとすることができたという報告である。
 私が面白かったのは、都良香の「富士山記」に描かれた富士山の貞観噴火後の富士山の火口の風景について、小山氏が、これは現実に火口まで上った人の伝聞にもとづいて書いているのであろうとした点。「富士山記」には「虎石」という石がでてくるが、それらしい石がいまでも富士火口に存在しているというのである。私は富士山に登ったことがなく、また十分な調査が不足していたのか、これを知らなかった。

 小山は富士山の噴火のハザードマップを作成した人。その経験をふまえた「(4)富士山のハザードマップ」「(5)富士山の噴火予知と防災計画」「(6)火山とともに生きる」のうちで、私に興味深かったのは、小山が逆に日本の国土は火山なしには貧困なものとなったろうと火山の恩恵を強調していることであった。つまり、もし噴火がなかったとすると、日本の山がちの国土には、急峻な地帯ばかりがふえて、盆地・平野と、そこに存在する土壌がなかったろうという。火山の神は豊穣の神ではないかというのが、私の推定であったが、火山の神がなんで豊穣かというのはうまく説明ができない部分があった。もちろん、それは直接に農業的なものというよりも、鉱業資源に関わる観念であった可能性もり、神話時代の人々が、どのように「火山の富み」を理解していたのかはわからない。これは当時の人々の「国土感覚」に関わるのだろうと思う。しかし、原理的にはこういう説明でよいのであろうと教えられた。
 一つつけ加えておけば、日本における黄金の産出は火山列島という地質条件によるところが多いという。プレートとプレートの境界地帯に火山と地震多発地帯が集中しているという世界地図をみれば、黄金は、火山地帯にできる。日本の陸奥国の黄金が火山ラインにそったものであることはよく知られている。そして、ギリシャの北、トラキア、ヒマラヤ、そして日本列島から南海に連なる火山地帯、さらにアメリカ大陸西岸からマヤ・インカ文明の地域に懸けて黄金は産出するのである。
 なお、「地震・噴火史料データベース」が、小山が教授をつとめる静岡大学防災センターから公開されていることも付言しておきたい。

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