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2011年4月26日 (火)

火山地震25地震を「なゐ」ということ。

 「地震」を古語で「なゐ」ということは、たしか乾とみ子さんのファンタジーにでてきたと思う。『こかげの家の小人たち』の続編で、アマンジャクの友人として出てきたのではなかっただろうか。一時、母校の国際キリスト教大学の副牧師をされていた荒井先生のお宅によくうかがってお子さんたちのための童話を読んだが、その中の一冊であったのだろうか。あるいは自分でも買って読んだのだろうか。そうだとするといまも自宅にあるはずであるが。

 先日、古地震関係の論文を読んでいたら、断層のことが江戸時代の地名に「ない割れ」とでてくるというのを読んだから、乾さんのファンタジーの前提に、そういう言い伝えがあったのかもしれないなどと思う。
 いま、総武線の中。先々週から少し身体の調子をおかしくして、本を探すこともおっくうになっている。原発の問題はさすがに気が重い。批判的な自然科学者たちの発言を読んでいると、原発の現状況は決して楽観すべきものではなく、人文科学にとっても深刻な問題だ。環境学の石弘之氏の一連の仕事を読んでいて考えることが多い。


 さて、地震は、より詳しくいうと、古くは、「なゐふるふ」と読んだ。辞書を引用しておくと、『古語辞典』(大野晋、岩波書店)は「ナは土地、ヰは居。本来地盤の意。「なゐ震り」「なゐ揺り」で地震の意味であったが、後にナヰだけで地震。ナは満州語na(土・土地)と同源」としている。
 「地震」の「ナ」をはじめて「地」の意味であると論定したのは、ふるく敷田年治の『古事記標註』があるが、本格的な議論は、『広辞苑』の著者として有名な新村出が、ナはツングース諸民族が「大地」を「ナ」naとしたことに語源があるとしたことにはじまる(新村出一九七一「天と地」同全集4)。新村は、「ツングース系の諸民族では地をナと呼び、朝鮮においてはナにラを添えてナラというとすると、古く金沢庄三郎はこのナラが奈良のもとであるとした。神話学の分野では、松村武雄『日本神話の研究』(第三巻)や三品彰英「銅鐸小考」などが、それを引き継いでおり、さらに右の『古語辞典』のほか『字訓』も同様なので、「ナ」が大地を意味することは承認してよいものと思われる。
 そして、「ナ」につけられた「ゐ」は、新村の言い方だと、一種のStability、固定性を示す用語であって、雲の静かな状態をクモヰ(雲居)と名付け、田圃の田をタヰ(田居)というなどの例を挙げている。敷居、屋根居などと同じ「居」であろうから、「なゐ」とは、漢字で表現すれば「地居」、より明瞭にいえば「地盤」という意味であるといってよいだろう。
 新村によると、「ウブスナ(産土・生土)」の「土」(な)こそ、この地を意味する「ナ」である。ウブスナの「ウブス」(その変形としてのムス)も重要な言葉であるが、生土とは生まれた土地、故郷、郷土のことであって、時代がくだると、「産砂」と書かれることも多い。しかし、新村の仕事を読んで、そもそも砂のスは、漢字の素があてられるように一種の形容詞であって、スナは「素土」(スナ)であって、その本体はやはり「ナ」にあることを知った。
 新村は「赤土」のことを「ヘナ」というのも、これに関係しているとするが、たしかに『節用集』(書言字考)に「埴 ヘナツチ」とあって、やわらかく粘りけのある土、つまり埴=粘土を古くから「ヘナ」といっていたことがわかる。「へなちょこ」「へなへな」などの言葉は、ここからきているのである。そして、このヘナ(hena)がハニ(hani)と母音交替することもあって、「埴」は「ハニ」とも読まれた。「埴生の宿」という場合の「埴生」とは、本来は「生す」「埴(=土)」であって、生土=ウブスナと同じことである。このようなナの音がニと母音の変化を行って「白土」をシラニ、赤土をアカニ、青土をアヲニといい、殖土をハニというように「土」を「ニ」と読んだ例がある。(『字訓』は「に」を土を意味する古語とはするが、「な」との関係は否定する)。
 また相当に広い面積の地面を「ヌ」といい、また「ノ」というのもナの変形である。草木の根を「ネ」というのも、最初は草木の根そのものを入ったのではなく、草木が地下にもぐり込んだということを根となずけたのではないか。潜り込んだたさがそのナに深く入るものをネという」(「根」の項)、「(野=ノは)新村出説になゐ(地震)のな(地)の母音交替形であるという」(「野」の項)としているのは興味深い。『字訓』は、新村説をうけて「ナ・ネは複合語も多く、古い基本語の一と考えられる。ナ・ネ・ノは大地・地下をいう語として一系をなすものとみることができる」という趣旨を述べているが、「ナ」が「地・野・根」などの自然としての大地を表現する言葉の基本語素であったということができるのである。
 興味深いのは、後になると、「なゐ」という語それ自身が「地震」の意味となってしまうことである。これは、普通、「地=ナ」という語が、もっぱら「地震る」という連語で使用されるようになる中で発生した誤解であるとされる。もちろん、それは間違いではないが、「地=ナ」という語が、本来、自然としての大地を表現するもので、人間の統御の外にあって暴威をふるう地震を表現するのにふさわしい用語であったという側面も考えるべきではないだろうか。
 よく知られているように、網野善彦は自然そのものとしての「大地」、無主の大地は平安時代以降になっても長く「地」という漢字で表現されたとしたが、ここからすると、無主の大地という意味での「地」は、本来は「ナ」と読まれていた可能性が高いということになる。網野がいう自然そのものという意味での「地」が奈良時代以前に「ナ」という語誌をもっていたというのが、すでに大枠では明らかになっていたことを知ったことになる。これがオオクニヌシ命の本来の名前、オオナムチの「ナ」であることも明らかになっていることである。学史というものはたしかに奥深いものであり、知らないのは自分だけということなのかもしれないと思う。
 長く考えていた土地範疇論が「土地範疇と地頭領主権」という題名の論文がそろそろ活字になるが、平安時代以降は、自然としての大地は「地あるいは地本」と表記し、それに対して、人間が利用・占有しいている土地のことは「敷地」(あるいは平安時代末期以降は)「下地」といったようである。これに対応させると、奈良時代以前は、自然としての大地を表現する「地(ナ)」に対して人間の利用する大地は、おそらく「土(クニ)」といったのだと思う。奈良時代以降、「土」をクニと読み、居住地の意味で使うことは、これまで何本かの論文で強調してきたことである。これを敷衍すると、自然神、地霊としてのオオアナムチが、文化神、国土神としてのオオクニヌシに転生したということになるのだろう。

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