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2011年4月 3日 (日)

地震火山19貞観地震翌々年の出羽鳥海山の噴火

 奈良時代と平安時代初期、つまり八・九世紀は地震活動が活発化した時期であるとともに、火山噴火が活発化した時期である。地震と噴火がプレート・断層の運動とマグマの運動として、相互に深く関係することはいうまでもない。実際、新聞報道によれば、三月11日の東北東海岸地震の後、各地の火山が活発化している。もちろん、新聞報道の3月25日段階では、その13の火山の活動は沈静化しつつあるというが、状況をみておくことは必要であるという。
 そこで、どこまで参考になるかは別として、9世紀の火山噴火についても、静岡大学防災センターから公開されている古代中世地震・噴火データベースに追加・修正できる若干の事実についてふれることにしたい。
 私見では現在の地殻運動は、九世紀の地震・噴火活動と似たところはあるものの、九世紀よりも規模は小さいように思う。とくに火山活動は明らかに九世紀の方が活発である。それゆえに、現在、これから九世紀のような活発な火山活動が始まるとは思えない。しかし、いま、九世紀の火山活動について文献の側からわかることを考えておくのは、地震論のためにも重要だろう。
 ここでは、今回の東北東海岸地震の震源地から近い、出羽鳥海山の噴火についてふれる。林信太郎「鳥海山貞観十三年(871年)噴火で溶岩流は噴出したか?」(『歴史地震』17号、2001年)によれば、「鳥海山は秋田山形県境に位置する巨大な成層火山であり、1974年に水蒸気爆発を起こした活火山である。また、最近の噴火頻度からみて21世紀中に噴火する可能性が高い」といわれる。
 また理科年表は下記の通り。

91. 鳥海山  ○↑V∩~
578?, 708~714?, 804~06?, 839?, 850?, 871(普通の火山爆発、火山泥流、貞観13),939, 1659, 1740(普通の火山爆発, 火山泥流, 天文5)~1741, 1801(山頂噴火, 普通の火山爆発, 溶岩円頂丘, 享和岳(新山)生成, 死者8, 享和1)~1804, 1821, 1834?, 1974(Ⅲ1~Ⅳ28, 山頂噴火, 水蒸気爆発, 火山泥流, 昭和49)

 まず、貞観津波の二年後、貞観13年(871)に起きた鳥海山の噴火の史料を次ぎに掲げる。

 是より先、出羽國司の言ふ。從三位勲五等大物忌神社、飽海郡の山上にあり、巖石は壁立し、人跡は稀に到るのみ。夏冬に雪を戴き、禿にして草木なし。去んぬる四月八日、山上に火ありて、土石を焼く。また声ありて、雷のごとし。山より出ずるところの河、泥水泛溢し、其色青黒にして、臭気充満、人の聞くにたえず、死魚、多く浮び、壅塞して流れず。二つの大蛇あり、長さおのおの十許丈、相連なり流出し、海口に入る。小蛇の隨がうもの其數をしらず、縁河の苗稼、流損するもの多く、或は濁水に浮かぶ。草木も臭朽して生ぜず。古老に聞くに、いまだかって、有かくのごときの異あることなし、但し弘仁年中に山中に火見ゆ。其後、幾くならずして、兵杖を事とすることあり、蓍亀に決するに、ならびに云く、彼国の名神、祷るところいまだ賽(礼)せざるによる。また冢墓・骸骨、その山水を汙す(けがす)。これにより怒りを発し、山を焼く。この災異に至って、もし鎮謝せざれば、兵役あるべし。この日、国宰に下知し、宿祷に賽し、旧骸を去り、ならびに鎮謝之法を行う〔『日本三代実録』貞観十三年五月十六日条)。

 以下、現代語訳。
大物忌神社は鳥海山の山頂にあるが、そこで四月八日に噴火があって、土石を焼き、爆発音が聞こえた。しかも、山から発する川に泥水があふれ、硫黄の臭気が充満した。死んだ魚が多く浮かび、川はせき止められた状態になっている。30メートルを越える長さの蛇が二匹、あい連なって流れ出し、海口に入ったが、それにしたがって、多数の小さな蛇も流れた。川べりの作物は流損してしまい、草木さえ生えない状態である。国の古老たちに聞いたところ、こんなことはこれまでなかった。ただ弘仁年中に山で爆発があり、その後に(蝦夷との)戦闘が発生した。そこで占いを行ったところ、これは名神に祈祷をしながら特段の御礼をしていないためである。また山中に墓や遺体遺棄の場があって山を汚すことに神が怒って山を焼いているのである。この災異にも鎮謝することをしないと、戦闘が起きるであろう。そこで、この日、国司に下知して、御礼をし、遺骸を整理し、鎮謝の法を行うことにした。

 火山噴火には水蒸気噴火とマグマ噴火の二形態があるが、鳥海山におけるマグマ噴火は、1801年の噴火における溶岩ドームの出現事件として史料的に明瞭に確認される。しかし、この貞観十三年の鳥海山の噴火についても、林論文はマグマ噴火の可能性を示唆している。これは古代中世地震噴火データベースでも踏襲され、この貞観十三年噴火について「鳥海山 M3 山頂に火が見え、泥水が流れてきて異様な臭気がした。川の魚がたくさん死んだ。二匹の大蛇が、無数の小蛇とともに出現した。北に開いた馬蹄形カルデラ内に新鮮な微地形を保持してみられる溶岩流の噴火であろう」とある通りである。
 これは鳥海山山頂から北西に流れる溶岩流の様子から立論されており、林論文は、上記の史料の「大蛇」が、この溶岩流を象徴的に表現するものである可能性を示唆している。もちろん、林論文もいうように、これが「本物の蛇である可能性」は否定できず、実際、洪水などに際して蛇が群れをなして川を流れ下る様子は、九世紀以降、しばしば史料に確認することができる。参照保立「中世における山野河海の領有と支配」『日本の社会史二境界領域と交通』、岩波書店、一九八七年一一月)。しかし、火山泥流の発生が川のせき止めを起こし、下流にも硫黄災害を引き起こす規模のものであったことなど、この爆発の規模の大きさからしても、また上記溶岩流の実状からしても、この爆発がマグマ爆発を含んでいたという火山学の分析は確度が高いのであろう。

 データーベースには、この貞観13年噴火のほか、右の史料に「弘仁年中に山中に火見ゆ」とある弘仁年間(810~824)の噴火が掲げられている。その弘仁年間の噴火が、どのようなスタイルのものであったからは分からないが、注意したいのは、データベースが掲げる、この二件のほかにも、「承和六年」に爆発音をともなう噴火があったことが文献史料からわかることである。
 その史料を次ぎに掲げる。

奉授出羽國飽海郡正五位下勲五等大物忌神從四位下。餘如故。充神封二戸。詔曰。天皇が詔旨に坐。大物忌大神に申賜はく。頃皇朝に縁有物怪て卜詢に。大神爲祟賜へり。加以。遣唐使第二舶人等廻來申く。去年八月に南賊境に漂落て相戰時。彼衆我寡て力甚不敵なり。儻而克敵るは。似有神助と申。今依此事て臆量に。去年(承和六年)出羽國言上たる。大神の於雲裏て。十日間、戦声をなすの後に石兵零りと申せりし月日。與彼南海戰間。正是符契せり。大神の威稜令遠被たる事を。且奉驚異。且奉歡喜。故以從四位爵を奉授。兩戸之封奉充らくを申賜はくと申(『続日本後紀』卷九承和七年(八四〇)七月己亥廿六日)。
 

 つまり、「去年」、承和七年の前年、承和六年(839)に出羽国から、大神(鳥海山の大物忌神)が、雲の裏で、十日間、「戦声」を上げるのが聞こえ、その後に、「石兵」が、降った(零り・ふれり)という事件があったというのである。この「石兵」とは小さな火山弾である。
 右の史料で歴史家として興味深いのは、この鳥海山の火山弾噴火がちょうどこの頃に中国に派遣された承和遣唐使の帰船の一艘が、「南の賊境」に漂着して、島民と戦闘になったという事件との関係で記録に残されたことである。つまり、南海での戦闘の日時と、この「石兵」(火山弾)の降下の日時が一緒だった。それは、鳥海山の火山神が、遣唐使船の苦境を救うために、南海に戦闘にでかけたことを意味するという解釈がされて、そのお陰で、この火山弾噴火の記録が『三代実録』に残ったという訳である。逆にいうと、こういう偶然がなくては、火山弾噴火のような小噴火の記録は残らないということになる。
 こうして、小さな水蒸気噴火であった可能性があるとはいえ、承和六年(839)にも鳥海山が噴火していたことがわかるのである。そして、この事件は、当時の国家にとっては、きわめて印象的であったようで、鳥海山については、それ以外にも、貞観十年(八六八)、仁和元年(八八五)の二回、石鏃が降ったことが記録されている(『三代実録』貞観十年(八六八)四月十五日条、『同』仁和元年(八八五)十一月廿一日条)。この「石鏃」つまり、石のヤジリは、承和六年の「石兵」よりも小さなものかもしれないが、これも小規模な水蒸気爆発であったのであろう。
 ようするに、貞観陸奥国大地震の翌々年、貞観十三年(871)の相対的に大きな噴火のほかにも、その前後、鳥海山は、弘仁年間(810~824)、承和六年(839)、貞観十年(868)、仁和元年(885)と頻々と大小の噴火をくり返していたことになる。
 このような9世紀における鳥海山の火山活動の活発さが、陸奥国貞観地震・津波を引き起こしたプレート運動との関係があるのはどうかは、文献史家には想像がつくことではない。また「鳥海山は秋田山形県境に位置する巨大な成層火山であり、1974年に水蒸気爆発を起こした活火山である。また、最近の噴火頻度からみて21世紀中に噴火する可能性が高い」という火山学による予測についても、論ずる立場にはない。少なくとも2011年3月25日の朝日新聞の記事「13火山の活動、活発化」のリストの中には、鳥海山は入っていない。
 しかし、その記事でコメントをした静岡大学の小山真人教授(火山学)は、「巨大地震によって地下のマグマだまりが揺さぶられたり、地殻変動や地震波が伝わることでマグマだまりにかかる力が変わったりすると、地震がふえることがある」「火山活動が活発化しないか、1,2ヶ月は注意してみていく必要がある」と述べている。
 なお、前記のように理科年表には、「(1)578?, (2)708~714?,(3)804~06?, (4)839?, (5)850?, (6)871(普通の火山爆発、火山泥流、貞観13),(7)939」という記録がある。しかし、「鳥海山の歴史時代の噴火活動に関する再検討」(植木貞人、堀修一郎、日本火山学会講演予稿集、2001(2))にもあるように、(1)(2)(3)などは江戸時代の伝承にもとづく記録であって、事実史料として採用することはむずかしい。そいゆえに、これは上記にそって修正する必要があるように思う。
 『理科年表』は会員になれば、データベースでみることができるようであり、また気象庁でも相当のデータ公開がされている。しかし、地震・火山などについては、原史料にまでさかのぼったデータベースを、地理情報システム(GIS)などを利用して見やすい形で提供することが必要であろうと思う。
 原発情報に十分な透明性が必要なことが強調されている。それは当然のことであるが、これまでの責任を痛感するならば、さらに考えるべきことは多いだろうと思う。「国民の共同性」は学術情報の共有なしにはありえない。

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