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2011年5月15日 (日)

火山地震27地震の歴史の本の紹介、東京新聞

 先日の『東北学』の座談会の延長で、『東北学』の次号(8月発行)に「貞観津波論」を書くようにということでやっている。「貞観津波と大地動乱の時代」ということで、八九世紀の地震噴火の概観、そして陸奥国の状況ということでやっている。そろそろ締め切りなので、書けなかったらたいへんであると押し詰められる。こういうパニックは、私の場合、さけられそうにない。しかし、夕方前になって、どうにかなりそうだという予感。ともかく気分を変えるのに、猫の砂を買いに出たら友人にあって疲労困憊した顔をみられた。床屋にも行かねばならないが、余裕がない。
 大震災の状況はいろいろなことを考えさせる。木村茂光氏が『歴史評論』6月号のエッセイに「最近明らかにされつつある貞観の大地震をもちだすまでもなく、日本列島の歴史にはこのような大災害が数多く埋まっていることは間違いない。そのような大災害によって失滅した歴史事実を復元しなければいけないという問題意識や、それを可能にする方法を私たちは収得してきているであろうか」と述べている。その他、共感するところが多い。「ああ我、何をなせし」ということではあるがーーー。

 次は、先週の日曜日の東京新聞(5月8日)にのせた地震についての読書紹介「地震列島の歴史」。

 東日本の太平洋岸を襲った大地震を歴史から考えるために、つまり根本から考えるために参考となる本を紹介したい。
 二一世紀前半にも発生が予想される東海・南海トラフ大地震の過去の諸事例については、矢田俊文『中世の巨大地震』(吉川弘文館)がある。中世では一〇九六年、一三六〇年、一四九八年の三回の東南海大地震が起きており、以降、だいたい百年から百五十年ごとに発生しているという。本書は徹底的な史料蒐集によって、これまで不明瞭であった中世の地震、特に一四九八年の明応地震の実像を明らかにしており、中世史研究は、本書によって初めて歴史地震についての詳細な叙述を提供することができた。
 歴史学は、百年、百年を越える時間を実感するためにあるという私の持論からすると、矢田は、この地震列島の歴史を読むという歴史学の責務をほぼ一人で果たしたことになる。本人はそう考えないかもしれないが、「大地と海原」の歴史分析を強調した網野善彦を継ぐ仕事であると思う。
 矢田の共同研究者の一人、地震学の石橋克彦の『大地動乱の時代』(岩波新書)も必読。地震とは何か、東海大地震とは何かを、その最初の予知者として臨場感をもって述べる。日本の地震学においてプレートテクトニクスの導入は世界水準から十年遅れたといわれるが、予知される地震への恐れと自分の従事する学問の現状への焦慮が重なっている叙述は独特の緊迫感がある。ほぼ半分が江戸時代の地震に当てられているから、矢田の本とあわせれば、地震史の全容が分かる。
 もう一点、通史の体裁をとった寒川旭『地震の日本史』(中公新書)も分かりやすく有益だ。寒川は、全国の発掘現場を歩いて、地下に残された地震による液状化遺構の発見の方法を伝授し、その中で、「地震考古学」という分野を作り出した。今回の東日本大地震の原型といわれる九世紀の大地震、「貞観地震」の津波痕跡にもふれている。本書の出版は四年前の二〇〇七年。それ以降、「貞観地震」の研究がさらに進み、昨年には原発との関係を含めて研究者が強い警告を発していたことは、よく知られている。

 

 記者の方が掲載の『東京新聞』を送ってくれる。いつも読んでいるAS新聞と雰囲気が違って面白く、共感できる記事も多い。社会面には福島第二原発の許可取り消しをもとめた原告の一人、早川篤雄さんの自宅は第二原発から6㌔、第一原発から16㌔で、現在、避難をされているということ。避難所から知人宅を転々としてやっとアパートに落ち着いたと。現在71歳になられたとのこと。私より一〇歳年長という方である。御怒りの様子と、しかし静かなお人柄が伝わり、共感。
 時々、新聞は替えるべきなのかもしれないと思う。

なお、文中の「本人はそう考えないかもしれないが」というのは、矢田さんが網野さんの学説について、どう御考えかはわからないが、というのが正確な表現。この文章は何となく失礼かと気になるので弁明。今の段階で、網野さんの「大地論」をどう考えるか、仲間の率直な意見を聞きたい。

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