『日本文学誌要』益田勝美先生追悼特別号
今日は再来週の御寺への出張準備で出勤。
昨日、峰岸純夫さんの著書の書評で行き詰まり、破綻的な気持ちで就寝。峰岸さんの今回発刊の著書『日本中世の社会構成・階級と身分』をどう読むかは、長い宿題で、現在の研究状況で飛び抜けて重要な意味をもっているという考え方なので、それがうまく書評できないというのは、自分の能力不足は当然として、それを越えた相当の挫折感。これまでやってきた仕事と人生の自己評価にかかわる。
朝、気を取り直してメモを続け、「どうにかなるか」とやや明るくなり、電車の中で書評作業を続ける。ともかくも、そう書けるようになった。私は歴史家の職業病といわれる欝はないが、60をすぎてこれでは困る。記憶と手作業が勝負の仕事で、なかば無理筋にこだわるのがよくないのは知っている。しかし、ほかに執念がそうある訳でもないので、この一群を突き抜ければいいはず。
雨の中を歩き、疲れて赤門を入ってくると、学生が一杯で驚く。世間は五月。東大は五月祭であった。我が家の卯の花も咲いている。気を取り戻して、職場の郵便ボックスを確認すると、いくつかの封筒。法政大学からのものを開けると、『日本文学誌要、益田勝美先生追悼特別号』(法政大学国文学会)が入っている。益田さんのことにふれることが多いので、御好意だと思うが意外さに喜ぶ。いただいて本当にありがたかった。仕事に取りかかるのをわすれて、追悼文をすべて読む。
一度、益田勝美氏という人を「みてみたい」と思っていた。私の戦後派知識人アディクティヴ。昨年益田氏の仕事にたよって一冊の本を書き、今どうされているのだろうと、日本文学の友人に聞いたら、その少し前になくなったと聞いて愕然としたことを思い出す。
おそらく現在、五〇歳以上の人文学の研究者にとっては神話的な人物の一人。この追悼特集号を読んで、知りたかったことがいくつもわかり、またまったく知らずにいて、驚いたことも多い。石見益田氏の御出身(つまり益田家文書の益田家)であったというのもその一つ。益田氏の仕事で読まなけばと思っていた、氏の国語教育論についても事情がわかる。
論文もいま考えていることに接する問題が多く、帰りの電車で楽しみに読もうと思う。
それにつけても、先行する世代の仕事をどうにかして引き継ぎたいと思う。いま引き継がなければ、私たちの世代が引き継がなければという気持ちになる。
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