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2011年5月31日 (火)

ルドンの「黒の時代」と歴史理論の「黒さ」

 やっと峰岸純夫氏の著書『日本中世の社会構成・階級と身分』の書評を書き終える。長い間の宿題をすませた感じである。
 一昨日、日曜美術館でルドンをみる。
 起きてちょうど下へ行ったら、相方がいつもみる日曜美術館の始まりのところ。ルドンの黄金の絵、花の絵しかみたことはなく、「黒の時代」の絵に驚く。これがルドンか、エッという感じである。異形の生き物、巨大な目などの思念がそのまま形をとったような奇妙に喚起力のある絵である。それはルドンが少年の頃、人生上の孤独の中で、ダーウィンの進化論に興味をもち、顕微鏡下の微生物の描写に熱中したことの影響であるという。顕微鏡で観測をしていて、それが原点となった夜の闇と孤独と生命体の絵。
 けれども、こういう絵は、そもそも視覚とは何かということを強く感じさせるという説明に納得。そして、こういう「黒の時代」からルドンの色が生まれてくる様子の説明にも納得。生活の変化は当然の背景として、それは同時に画家がイメージを拡大する仕方とパステルという素材に関係しているという。

 驚きながらもルドンのオディロンという名前がでてきて、「このルドンは本当にオディロン・ルドンなのだろうか」といっているうちに、そうであることがわかる。相方に説明をし、驚きを話すと「駄目だよ。全部知っていると思うと」といわれる。「全部知っている」というのではなく、ともかく「記憶」しているという意識が先行するのが歴史家の病気であると弁解。

 仕事の話に移るが、ルドンの神秘的な黄金の絵についての「この人はどういう人なのだろう、どういう画家なのだろう」という記憶の中の疑問がとけていくのは、むかし読んだ史料の意味がうまく浮かび上がってくる時の感じと同じもの。私の場合は、歴史の仕事は、非常に受動的なもので、記憶したことがいつか、何かのきっかけで像をなしていくというものである。


 以上は、日曜美術館をみたすぐ後の日記。
以下は峰岸書評を書き終え、峰岸さんに「ともかく書きました。勉強になりました。批判をしました」と電話で御報告した後の、頭のストレッチ。

 さらに考えてみると、歴史学の仕事が受動的であるというのは、たんに自分の仕事の仕方が十分に構築的ではないということに過ぎないかもしれない。もちろん、研究のテーマを追究し、それに時間をとって、テーマの連鎖によって研究を進めるという仕事の仕方は、構築性を必要とするが、私の研究の相当部分を占めた社会史の研究は、むしろ多様な問題の検討を史料を中心に同時多発的に進めるというスタイルであった。これはある意味では史料まかせの受動的な仕事である。
 もちろん、歴史学の基礎としての語義史・史料論・制度史などについても感覚を養ってきたつもりではあるが、これはそのままではいわば職業的な内輪話である。「何のための歴史学か」という感じ方がはなれない、私の世代の感じ方からすると、社会史的な研究などの直接に歴史像を提供する仕事こそ、歴史家の社会的生産の本筋となる。これはオディロン・ルドンとの関係で比喩的にいえば、カラーの立体画あるいはアニメーションということになるだろう。

 その基礎になる語義史・史料論・制度史などの基礎研究は色つきではあるが、手許の平面的なスケッチとエクセル画面ということになる。


 これに対して、ルドンの「黒の時代」に対応するのは、歴史理論である。私は、いわゆる社会構成論が骨身にしみている研究世代なので、どのような歴史の発展と移行の理論を考えるかという骨組みにどうしても引きずり込まれる。社会構造論というのは、いわば歴史社会の仕組みを透視しようという仕事だから、神経を使う。そこでは受動的に史料に語らせるという訳にはいかず、史料を拷問にかけて、無理にでも語らせようとするような作業が必要になる。骨相手の仕事はなかなか要領をえない。。『魔の山』のレントゲン画像のようなものでもなく、さらに曖昧で憂鬱で思念丸出しの仕事である。ルドンでいえば「黒の時代」であるというように思う。

 面白かったのは「黒の時代」を越えたルドンが、友人への手紙で「ここだけの話だが、黒は疲れる」といったという話。同じように理論は疲れる。峰岸純夫氏の書評も理論ノートなので、本当に疲れた。書けないという時はパニックになった。いまになって、こんなことならば、私も、もっと長く黒の時代の鍛錬をし、躊躇することなく構築的な議論をしておくのであったと思う。しかし、やるべきことを終えて、本当にほっとした。

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