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2011年6月 5日 (日)

保守でレパブリカンの歴史家。

 総武線の中。日曜。6月5日。歴史教育関係で午後から会議。千葉駅で階段を駆け上がったが、予定した電車を逃して10分遅れの電車。まだ汗だらけである。間に合うかどうか。
 昨日はややゆっくりしたが、毎日毎日、いろいろな状況と処理すべき課題と、情報の山をかき分けているという感じがやまない。トンネルの中。こういう慌ただしさが何によるのか、今週の出張で手仕事をしながら、よく考えてみたい。
 昨日は、仕事が一段落したので、部屋の整理。少し前から羽仁五郎の「レパブリカン・マニュフェスト」という文章を探している。気をつけるがまだ出てこない。まず『羽仁五郎歴史論著作集』が1巻でてこない。そこにあったのか、あるいは雑誌論文か。中身をよく覚えている訳ではないが、強い印象をもった。
 「デモクラット」と「レパブリカン」というと、アメリカのようだが、私は、デモクラットというよりもレパブリカンという方がしっくりくる。一種の事なかれ民主主義は日本社会の中から自然にでてくる側面がある。そうではなく、レパブリカンという行動原理が好きである。
 レパブリカンがアメリカではナショナリズム(あるいは実際は右翼)になるのは、パブリックを優先するという論理からだろうか。
 社会は、その内部に大きな利害対立をもっていて、その「利害状況」によって左右されるという形で、社会構成を語るのは大塚久雄先生。それはそうだが、どれだけの「利害」状況の相違、たとえば階級的利害の相違があっても、社会は一種の共同性をもっている。この共同性を大事にしよう、代表に任せることはせずに、いざとなれば行動するというのがレパブリカン。本来は、代表の中の代表、つまり「王制」を排除するというのが原初的な意味なのだろうか(これはつめて調べたことはない)。
 レパブリカンの政治的立場は、端的にいうと、市民という言葉も使うが、国民という言葉を使うことに躊躇しないということである。「国民」というレヴェルでの「利害状況」の一致や「責任」というのはたしかに存在し、それは「国民」が占有する「大地」によって存在させられているというのは、今回の大震災・原発震災を考えれば明らかなことだ。対自然と「国際関係」の中で、「国民」が一種の共同性をもたざるをえないのは、ずっと昔から同じことだと思う。もちろん、問題は、その共同性が幻想的な共同性か、多数者の共同性かなどなどという現実に関わってくるのだが。
 レパブリカンが行動的になり、一時期の羽仁さんのように偏っているのではないかと思われるような主張をしがちになるのは、危機に対する意識が「共和」「共同」ということに連動するからだと思う。デモクラットからレパブリカンへの移行が起こるのはそういう時である。そして、その「共和」が怖い問題を含むことをフランス革命は示しているが、この「共和」を経験したフランスの国民性が、サルコジ登場まではフランス社会に濃厚に残っていることは、最近のベッド本の池上夏樹氏のフランス便りを読んでいても思うことである。
 社会構成の共同性というのは、考えてみればあたりまえのことだが、これが社会構成論としては正しいと考えるようになったのは、ほぼ10年前のことだろうと思う。そして、その10年前、つまりおそらく今から20年前、私は「保守」と自分を意識するようになった。これは遺跡保存運動が大きかった。伝統を守れという運動である。これに取り組んで以降、歴史学は保守か、革新かといえば、私は「保守」と答えるという考え方になった。これは『歴史学を見つめ直す』という本に収めた論文で書いた。
 「保守で、レパブリカン」の歴史家といえば誤解をうけるかもしれないが、それでもかまわないと考えている。
 歴史学は「保守」か「革新」かという問題についてであるが、私は、そもそも「革新」という言葉が嫌いである。これは丸山真男から学んだこと。丸山真男の歴史論には根本的に賛成できないところがあるが、彼の理解を敷衍すると、革新というのは、「明治維新」という時の「維新」というのと同じ言葉であるというように考えた。
 「革新」という言葉は、2・11クーデターの「昭和維新」の「維新」であり、「革新」官僚の「革新」という言葉に通ずる。「維新」の「維」は「ここに」と読んで、「維新」というのは「ここに新たなり」という意味であるが、ようするに「過去を清算して、やり直し」ということである。この過去清算のイデオロギーが、日本の国家史・法史に骨絡みのものであることについては、笠松宏至氏に仕事があって、私はそれに賛成の立場から平安期国家の「維新」「新制」について考えてきた。この意味で、日本の歴史学者は、けっして歴史学が「革新」の学問であるなどという無教養なことをいってはならないと思うというのが、ずっともっている持論。
 そろそろ、錦糸町で、やっと汗が引いた。こういうことをズラズラと書いているのは、なかば自分の頭の整理であるが、以下は、念のために、つけ加えておきたいこと。
 歴史学は「保守」の学問であるが、決して「反動」の学問ではない。明らかに「進歩」の立場に立つ学問である。歴史の伝統を「保守」し、過去の教訓を生かし、現在の社会を知って、可能なかぎり犠牲のない「進歩」を目ざすのは当然のことである。

 以下、帰りの総武線。

 しかし、このごろ、「進歩」という言葉それ自身を、乗り越えられるべきこととして攻撃する議論が多い。しかし、「進歩」という考え方自身は必要なことである。もちろん、「進歩」とはいっても、19世紀の「進歩史観」ではない。それは文明の展開に一元的に「進歩」を求める「進歩」思想のことで、ブルジョアの時代、19世紀に特有なものである。そういう考え方は、これまでの延長線上に社会の発展を夢想するもので、それに賛成できないのは当然のことである。
 このような「進歩」「文明史観」を批判するのは重要なことである。しかし、いま、「進歩」思想を古いものだといって人々は、そのような批判を自分がいまはじめてしていると思っているようにみえる。それこそ無知と思い上がりと無教養というものであって、これまでの「文明」が私的な貪欲と汚辱を原動力としていたということは19世紀から十分に指摘されていた。もちろん、そこに現在からみれば不十分な点はあるが、しかし、その伝統をうけることなくして、ないしそれを知らずにいて何かが可能なものとは、私は思わない。

 自宅で、寝る前。今日の歴史教育の会議は疲れたが、面白かった。考えたのは、歴史における近代ということ。東アジアにおける近代をヨーロッパ起源とは考えない。歴史学の中では、いろいろな近代という問題がでていると、F氏がいう。問題は結局、「近代」ということをどう考えるかである。
 私の持論は「近代」はmodernの訳語であるが、modernは現代でもある。自分の生きている時代、modernが根本的にはいつからと考えるのか、それは自分と伝統の関わり方をどう理解するかに直結している。
 Modernとそれより以前の伝統の連続性を、自明のものとしている幸せな歴史意識をもっているのはヨーロッパ。それに対して、我々は一つのモダーンをもたず、伝統としてのModern、保守すべきModernをもたないということなのかもしれない。だからこそ逆に「保守と革新」という図式がでてくるのではないか。ここ20年ほど、この図式の現実的な意味が消えていったと思う。
 生きてきた歴史、おのもおのもの歴史の明瞭な像が重なり合って客観的にみえている歴史。社会と地域と協働の歴史。それをもたないModernは不幸なModernである。そのようなModernが構造化されている以上、未来と進歩をないがしろにすることはできない。

  テレビのETV特集。放射線測定を行った木村氏の仕事の放映をみる。偉い人だ。

 その後、荒俣宏氏がでてきて「我々の信頼していた文明がとわれている」という発言。驚いた。レトリックなのだろうか。それにしてもーー。

 私は、そして普通の歴史家は、決して、この日本社会の「文明」を信頼してはいなかった。問われているのが誰であり、何であるかはもっと明瞭なはず。その先に様々な問題があるということと、文明に問題を一般化することは違うだろう。

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