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2011年6月12日 (日)

史料の力・歴史学者の残すもの

 御寺の出張が昨日、金曜に終わり。今日、土曜は午前中が学術会議の分科会。午後は職場で御寺への出張のまとめ。そして、今は、土曜日深夜。岩手の救援のボランティアにでかけていた子供が帰ってきたのを迎えたところ、状況はたいへんそうで、疲れて言葉すくなである。
 御寺では和尚さんに東は津波がたいへんですと申し上げると、「保立さん。放射能はどうなんです」といわれる。別の和尚は津波の直後にトラック二台・ユンボをもって現地に向かい、今日あたりから三度目に出かけると聞く。禪僧の言葉と行動は鋭いので気後れするのがいつもの経験だが、同時に感動する。
 学術会議の議論は、細分化された科学の盲点をどう考えるか、理系と文系の融合が科学・技術に何をあたえるかを考えようというもの。私は、「国土観」ともいうべきものを共有する上で、文理融合の位置は高いかもしれないという意見をいった。「狭い国土」だが、そこで起きていることは多様である。そして、この列島は自然条件の上でも多様性に富んでいる。火山と地震という自然条件は、文化と歴史にも決定的な影響をあたえていることを常識化することを考えたいという趣旨。
 それは、今も新燃岳は噴火をしており、誘発地震は確実に起こるという国土で生活しているという認識を社会の基礎にすえるということだと思う。新燃岳の噴火がほとんど報道されないのはどういうことだろう。火山と地震は同じ地殻の運動だというのに。絶壁の上で踊っていてはならないだろうに。

 以下は、昨日の帰りの新幹線で、今回の御寺の調査を考えながら、書き始めたもの。あまりメリハリがきかないが、歴史学者の内省のレヴェルから「歴史哲学」のようなものを考え直してみたい。以前読んだ三木清の『歴史哲学』の歴史学的認識についての観察の節は、歴史学の仕事に内在できていないと思う。その時から考えていること。

 相当量の数のある文書群でこれまでまったく整理も調査も行われていないいものの調査ははじめてである。自分の分担の時代とはまったく違う。勉強になることも多いが、しかし、さすがに疲れる。今、目が覚めるともう小田原が近い。
 歴史学者の仕事が残るとはどういうことかを考える。残るのはおそらく三つ。第一はいうまでもなく広い意味での「史料」の保存ということ。第二が学説が残るということ。第三が直接の社会的な影響が残るということ。
 調査の帰りのムードの中で、ここでは第一の「史料の保存」について考えてみたい。この場合にまず問題なのは、歴史史料というものが、文書にせよ、遺跡にせよ、どれも「物」としてはきわめて脆弱な性格をもっていることである。紙は破けるし、遺跡は破壊される。
 それ故に歴史が不要な人々にとって史料は邪魔者であり、極端な場合は史料自身が意図的に消滅させられる。だから、直接の所蔵者あるいは保管者だけでなく、社会がそれを保護しなければならない。そのための社会的装置、社会的な記憶装置がアーカイヴズ=史料館であって、その専門職がアーキビストであることはいうまでもない。歴史家の研究は、この史料保存機能の上に存在することができるし、あるいは歴史家自身がアーキビストの役割を果たすことがある。
 しかし、「もの」としての史料は、脆弱であっても、史料の内容自身は、自分で自分を残すだけの力をもっている。歴史家は自分が残す力をもっているかのように幻想するが、しかし、実際には史料自身がその力をもっているのだというのが、とくに原蔵状態のままの史料にふれている時の実感である。これを忘れないことが大事だろうと思う。
 アーキビストの仕事は、その史料自身がもっている力を顕在化させ、史料それ自身のもっている自身を残す力を組織する作業であるということになるし、歴史家の仕事もほぼ同じである。
 こう考えると、歴史学の研究それ自身も、結局のところ、史料を使用した研究であって、史料の語るところを聞く作業である。歴史学研究それ自身がその仕事内容からいえば、すべて史料の力を解き放つ作業であるということになる。歴史家の仕事は、過去の史料を、そのもっている内容に即して現在の社会に戻していく作業であって、歴史家の仕事は、それを媒介するに過ぎないということになる。
 
 「史料の力を解き放つ作業」というのは、別の言い方をすれば、史料を通じてみえてくる過去の風景・情景を語るということである。語るというのは歴史家を主体とした言い方であるが、正確にはそれは歴史家を媒体として過去自身がものを語るのであって、歴史家は史料という「もの」に憑いていた過去の一端を語るのである。
 いうまでもないことながら、その意味では歴史家は「物語」を語るのである。しかし、一時もてはやされた「言語論的転回」という歴史学方法論の立場は、そこから飛躍して、この史料の声の客観性、史料に憑かれた歴史家の声の客観性、物語の客観性を否定しようとする。もちろん、史料がそのままで歴史の事実を語らない以上、ある意味で、これは正しい方法的な態度なのであるが、歴史家が史料を通じて過去の情報によって頭脳の一部を占有されているということ自身が時を越えた客観的な関係であるという単純な事実をわすれてはならないと思う。史料を前にした歴史家は、その向こう側にその史料を書き、使った人々、その「もの」としての史料に結ばれた人々、そしてその時代が存在することを実感する。史料は嘘をつくし、すぐには分からない言葉で語り、示すべき前提をわざわざ隠す。しかし、そこにも過去の客観と事実は反映しているのである。歴史家は、史料に憑かれるのが、その第一の心的態度であって、この憑依関係の客観性からはなれて主観というものをもってはならないのである。
 もちろん、それは極めてむずかしいことだが、歴史家は過去との出入り口のそばにいて、その前を通る、細かな過去の断片を映し出す事物に目をこらしているのであって、その自然な心理には、過去自身の実在を否定したり、史料が客体としての過去を反映していること自身を疑うということはありえない。素朴実在論といわばいえ、そういう人々こそ過去の絶対性ということを事物に即して感じることができないに過ぎないと思う。
 以上は、メモに過ぎないが、次の問題は歴史学の仕事にとって、現在と未来はどういう意味があるのかということに関わってくる。

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