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2011年6月 6日 (月)

通史と地主制論。江戸期社会=「地主満面開花」説

 朝の総武線の中。昨日、日曜日に会議で出たので、身体がボーとしている。少しゆっくりと研究を詰めてみたい。とくに通史をつめてみたい。これはずっとあった見果てぬ夢。昨日のような会議にでていると、研究をしながら、同時に教育に関わることの重要性を思い知る。
 昨日の会議では、藤木さんの「平和令」についての教師の側の受けとめ方について、若干の議論。私は、藤木さんが戦国期という時期に民衆の力量の蓄積の意味を強調する意見に基本的に賛成である。それに基礎をおくダイナミックな歴史の運動を措定することなしに江戸期社会はとけないのではないかと思う。
 問題は、それを前提とした上で、江戸期の農村支配の体制をどう考えるかということだが、「地主制満面開花」説ということになる。
 いま、『日本史研究』585の渡辺尚志論文「中世・近世移行期村落史研究の到達点と課題」を読み終える。勉強になり、好感がもてる議論だが、「小農自立論の創造的再生」ということには賛成できない。これは何といってもマルクスの誤読にもとづくシッポがきれていない。
 私見では、これでは上記の意味での藤木説との連続がとれない。つまり江戸期社会万々歳論になってしまう。江戸期研究者が藤木説に違和感を示すのは、結局、藤木説と小農自立論をつなげると、江戸期社会万々歳論になってしまって、それではいくら何でもということになるためだ。こういう理論枠組みでは、江戸期研究者の側で藤木説を受けとめるのはむずかしい。問題は、結局、江戸期にあるのではないか。
 「地主制満面開花」は、ただ、峰岸さんの意見が実感的に正しいという直観だけでやっているので、そして我々の世代では一般的な佐々木潤之介氏の『幕末社会論』のシェーマ(実際には小農自立はない)によっているので、実証的なものではない。藤木さんはそれではいわゆる「名主裏切り論」と同じだというかもしれない。
 けれども永原慶二氏のいう「領主制の自己否定」を経過して江戸期社会が形成されたという議論からすると、在地で地主制が上へ下へ満面開花してネットワークを張りめぐらせたのは当然ではないかと思う。小さな、いじましい私欲にまみた糞虫がさなぎになり、繭に入ったのち、多色のうす黒い蛾となって羽をのばし始める。これが地主制下の「下人支配」を徐々に縮めていくことを可能にした。これは下人が自己解放をしたという訳ではないと思う。そして百姓を代表し、同時に責任をとらせて、依存させるシステムを作り出した。もちろん、村方騒動のような色々な矛盾はあったが、こういう地主制の満面開花が見方によっては「小農自立」といえるような現象を生みだしたのではないだろうか。小農に社会構造上の基準線を求めるのではなく地主に求めるという立論からすると、こういうことになる。
 江戸期を、「非封建的な」、東アジア型の都市ー地主制国家のいちおうの完成、東アジア文明への最終的到達と考える根本理由がここにあるのだが、こういうイメージは、結局、70年代に作った意見。峰岸純夫・藤木久志の向こう側に稲垣泰彦・佐々木潤之介がいた時代に研究を始めたものからすると、ありうべき自然な意見の一つである。網野さんと社会史ショックの前の時代に戻ろうというのではないが、構造論の議論となると、地主論の主唱者のそばにいた立場からすると、こういうことになってしまう。
 歴史の運動論としては藤木説が正しい。そして歴史の構造論としては峰岸説が正しいというのが、私のように70年代の歴研中世史で勉強を教えられたものにはしみついているように思う。あまりに属人的・サークル的な研究史理解かも知れないから、もちろん考え直すべき点もあろうと思うが、やはりあの時代、いわゆる「民衆運動史」研究の時代はなつかしい。
 午前中は、科研の最終報告書を仕上げ、PDF化を終わらせてメールに添付。すべてが終わった。

 いま御弁当。
 歴史学研究会で盛本昌弘氏からもらった永松圭子さんの『日本中世付加税の研究』の書評(『ヒストリア』225号)をよんでいる。永松さんの詳細な仕事をよく追跡・評価して、ご自分の意見を展開している。彼の仕事は広い。
 この問題は、私も議論したことがあるが、この「付加税」というのは、結局のところ、収納過程で、都市と在地の地主層へのペイバックの方式である。こういうペイバックが国家を媒介として行われるようになるというのが、地主国家論の理解ということになる。

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