『竹取物語』と『鉢かづき』ーー講演準備に四苦八苦
朝の総武線の中。
6月25日に京都の橘大学の女性歴史文化研究所の講演があって、一昨日、レジュメを送る約束の日が過ぎているという電話があって、あわてて昨日からその準備にかかる。私は頭を切り換えるのが下手で、鈍い。さかんに頭が抵抗している。「一昨日まで考えたことや発想を十分なメモにもしていないではないか。中途半端のままに残して、それを覚えていろというのか」と、頭が乱暴な主人に抗議している。
昨日は、一日どうするか迷う。以前、『物語の中世』で書いたことのある「鉢かづき姫」を組み直す積もりで、昨年、御引き受けしたもので、もうテーマを書いたポスターもでている。昨年は、十分な時間があると思っていた。しかし、3月以降、急遽、地震の研究を進めているので、書いたものを組み直し、史料を点検しなおす余裕がなかった。
田端泰子さんと一緒の講演なので、前に書いたものと同じというのは失礼であるし、組み立て途中のあまりみっともない話しもできない。
夜寝ながら、ともかく「降臨した天女」というところから始めようということに決め、メモを残し、朝、見なおしてみた。
すでにほとんどは書いてあることなので、ブログにメモをしても同学の方々の迷惑にはならないと思うが、実は「鉢かづき」は天女譚の一種である。その意味では『竹取物語』とセットになる話である。しかし、『竹取物語』が昇天した天女の話であるとすれば、これは山蔭中将という九世紀の清和天皇側近の貴族の家に降臨した天女の物語である。そして、山蔭の血筋は、中正ー時姫とつらなって、時姫が兼家の妻、つまり道長の母となって、王母の家柄を作っていくという話しなのである。平安王朝の母系をたどると天女の血筋につながるという訳である。
話しは、この鉢かづきの結婚、山蔭中将の血筋から始める倒叙法にすることにした。天女の結婚というところから始めて、物語をさかのぼって説明していくことに決めた。つまり、鉢かづきが、山蔭中将の「湯殿の火焚き」として住み込んだというのは、山蔭中将の家が、ながく天皇が大嘗会などで湯浴みする際の世話をする家柄であったことに関係がある。天皇は湯浴みの後に「天の羽衣」を着るが、その着脱の世話をするのが天女の血を引く貴族であるという王権神話が、鉢かづき物語の本質であるという話しになる。
鉢かづきが着る「鉢」は乞食の姿なのであるが、同時に、その秘面の意味は、天女の容貌を秘匿するという点にもあったということになる。
ただ、前に書いたことで十分に解けなかったのが、鉢かづきが長谷観音の申し子であることの意味であった。これは西郷信綱さんの論文「長谷寺の夢」(『古代の夢』平凡社)で解くことができるのに昨年気が付いたのである。西郷さんによると、長谷寺のある初瀬は、三輪山信仰に対応する水の聖地だという。水は母性原理であって、それ故に美福門院が長谷観音にこもって胎内の女子を男子に変成させ、近衛天皇を生んだという御産の神となるということになる。こうして、鉢かづきが長谷観音の申し子であるというのは、じつに話が合っていたのである。 さて、これを結論にしようということはよいが、西郷さんもいうように、長谷はアマテラスと同体である。佐藤弘夫氏の『アマテラスの変貌』(法蔵館)は長谷のアマテラスの神体が、雨宝童子という童形の仏であったことを実見したショックから話しがはじまっている(右の著書から長谷寺の雨宝童子の像をコピー)。ようするに問題は必然的に宗教論・神話論に結びついていく。『物語の中世』には「神話・物語・民話」という副題をつけたが、民話論が中心で、神話は不十分であった。その残り仕事という頭の動きがあるのだろう、最近の仕事が神話に引きつけられていくことに気づく。よく事柄の全体と、その目ざすものを考えて、そして歴史学者としての地盤を確認しながら進まなければならない、そして早くもっと後の時代へ引き返さねばならないと気持ちを引き締める。
今、橘から電話があって、講演題目の確認。この画面をみながら、あわてて考えて、講演題目は「鉢かつぎ物語から長谷寺の夢へ」と変えてもらう。ここに記録すれば忘れない。
私にとって講演がたいへんなのは、一つは材料の仕込みがあるという当然の事情がある。材料と筋立てが熟してないうちに話すことになるのがきつい。そして、そのほかに、何らかの現在性のようなものがないと話しができないという性格である。いわゆる淡々とした話しということができない上に、歴史事実の謎解きの過程を御話しするのがあまり好きでない、得手でない、あるいは謎解きができないのである。そう考えていると、やはり歴史というものは書くものであると感じる。
とくに鉢かづきで心配なのは、以前に授業で話した時、学生が話しの内容を知らなかったことである。鉢かづきの謎解き(ヴェールの意味など)は、原話を共感をもって聞いたことがないと、感動を呼ばないのである。
それにしても、『竹取物語』と『鉢かづき』は、できるかぎり原文に近いテキストを作って、小学校で教えてほしいものだと思う。以前やっていたテレビの『日本昔話』のような番組にまかせておくべきものではないと思う。
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