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2011年7月 5日 (火)

千葉の大六天神社の小山ー千葉神社の東北

110703_174825  一昨日、日曜。図書館の帰り、以前に前を通って驚いたことがある「大六天神社」に行く。千葉市の道場坂下の交差点の北の小山。千葉駅近くの千葉神社を東北の方に進むと最初に突きあたる丘陵地帯の端山である。グーグルで確認することもできます。写真の階段を上った上に立派な神社がある。小山の高さは10メートルほどかもしれないが、広々としていて、裏庭も広い。摂社に道祖神と牛頭天王がいるのが興味深い。すぐ北に千葉刑務所がある。

110703_175218
 東国における第六天魔王の信仰については、入間田宣夫さんの「津軽安藤の系譜と第六天魔王伝説」(『中世武士団の自己認識』)がある。この論文は「下国伊駒安倍姓之家譜」が室町時代の古体を存し、「境界権力」としての安110703_175313 東氏の性格を反映しているとした平川新氏の分析をうけて、平川氏が強調しなかった「安日長髄」と第六天魔王伝説の関係を論じたもの。
 第六天魔王伝説とは、第六天の魔王はオオアナムチ(大国主)の仏教的な表現であるが、彼こそがこの列島の本110703_175353 来の主であり、アマテラスは、「この国に仏法を広める積もりはない」という「虚言」をもってオオアナムチを騙して国を取ったという伝説である。これは破天荒なものにみえるが、入間田がいう通り、アマテラスによる仏教の内面的な擁護を宣伝するもので、それによってひいては神仏の連携によって支えられた天皇家の日本統治を正統化するという側面をもっていた。
 これに歴史家の中でもっとも早く注目したのは黒田俊雄「中世における顕密体制の展開」で、黒田などの宗教史家にとっては常識的な議論であったが、法制史の新田一郎が、東国においては、「虚言」を使ったアマテラスは起請文、誓約書を書くときには勧請しないという法制史料を紹介してから、よく知られるようになった。
 それに対して、入間田は、伊達政宗がアマテラスを起請文の神とはしないという史料を発見して、平川の議論をうけて、そこに東北権力のみでなく東国的な権力全体の、一種の境界権力としての性格をみたのである。その面では、この伝説は、仏教の内面的な擁護と天皇家の日本統治の正統化とのみはいえない性格をもってくるということになり、信長が第六天魔王に擬せられたというフロイスの記録の、その延長に位置付くことになる。
 そして、入間田は、この第六天魔王伝説は、東国での宗教論議、関東系説話を原点として、東北にも入ってきたのではないかとするのである。そうだとすると、千葉氏の本拠地のそばに「大六天神社」があるというのは、千葉氏と東北との関係からして興味深いことになるのではないかというのが、大六天神社の写真を取りにいった理由である。
 最近、入間田さんと赤坂憲雄さんと一緒に座談会をした『東北学』27号に、入間田さんが論文「千葉大王御子の物語によせて」を載せていて、これが面白い。入間田さんは、奥州遠島の漁村に分布する千葉王子の伝説が下総の千葉に由来することに注目している。これは奥州に進出した千葉氏の動きを背景として南北朝期に原型ができた伝承であろうというのである。興味深いのは、この千葉大王子は天竺から流れ着いたということになっていて、第六天魔王と同じくインドの神という素性をもっていることで、第六天魔王の伝承と、どこか共通するものを感じさせることである。
 そうだとすると、千葉氏は、東北への第六天魔王伝説の流布に関わる一方で、同時に、千葉王子の伝説の流布にも関わったのではないかという想定が可能になることになる。千葉氏というと妙見信仰、北辰信仰が有名だが、それだけではないことになる。
 新田・入間田は萩原龍夫の東国における第六天信仰についての論文(「伊勢神宮と仏教」同『神々の村落』318頁)を引用しているが、萩原は『新編武蔵風土記』などによって、第六天社の分布を「関東から東北にかけておびただしく分布する第六天社」は中世末から近世初頭にかけて流布したと一言するだけで、具体的な研究ではないから、これはさらに追跡するべきものなのかもしれない。千葉氏と東北との関係ということになると、大六天社の分布を中世末としていいかどうかは疑問になる。少なくとも室町期にはさかのぼるのではないだろうか。『曾我物語』冒頭の神祇論の奇怪さからいうと、『曾我物語』のころには似たような俗説がいろいろあったとしても不思議はないようにも思う。
 明け方に目がさめてしまって、以上のメモを書く。入間田さんの第六天魔王論は、上記以外にも面白いが、それはまた。

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