著書

twitter

公開・ダウンロード可能論文

無料ブログはココログ

« 火山地震36スクナヒコナ(続き) | トップページ | 地震火山38「貞観津波」という言い方は正しいか? »

2011年7月31日 (日)

火山地震37日本と韓国の地震の連関性

 今日の朝の新聞に椎名誠が「海は広くも大きくもない」というエッセイを書いている。私は椎名が好きで、一時は本当によく読んだが、今日のエッセイは、地球の相当部分を旅して歩いてきた人の静かな常識が伝わってくる。水は稀少な資源である。核の汚染水を流す某企業の関係者の顔を唖然としてみていた。彼らは「海は広いな大きいな」などと小学生唱歌のようなことを考えているのではないかというのが椎名の感想。椎名は、レイチェル・カーソンは「地球は人類が思っているほど巨大でふところ深く頑丈な存在ではないのだ」ということを教えてくれたという。カーソンを読まずに大人になった人が環境に深く関係する企業の中枢に入っても、まだそれに気づかないというのは恐るべきこと。これは経済の中枢にいる人々の教養の問題である。

110731_094716  『季刊・東北学』28号、「地震・津波・原発」の特集号が発刊された。

 私も「貞観津波と大地動乱の九世紀」という題で書いている。
 すでにいくつも追補しなければならない部分ができているが、日本と韓国の地震の連動性については、すでに7月14日の東京大学海洋アライアンス講演会「震災を科学する」で発表したので、ここでも紹介しておきたい。
 それは『三国史記』によると、870年代に新羅で何度も地震が起きているという問題である。詳細の記録ではないが、870年四月(王都慶州)、872年4月(同)、875年2月(王都および東部)という地震記事がある。被害記事はない。
 東北海溝津波(貞観津波)は、869年だから、その一年後から韓国で地震が続いているということになる。8・9世紀は韓国でも「地震の旺盛期」だが、870年代の集中は特異である。これらは『大日本地震史料』では採録漏れになっているので、知られていなかったが、現在、ジャパンナレッジで索引をみれる『東洋文庫』版の『三国史記』で地震を引くとでてくる。
 東北学の論文では日本と韓国での地震の連関性については、「貞観地震の前後の史料には、このような韓半島にまで及ぶ地殻運動の連動性を示すものはない」としたが、それを示唆する史料である。
 『東北学』の論文では、貞観地震と同型の地震で「奥州ニ津波入テ(中略)カヘリニ、人多取ル」といわれた室町時代、一四五四年一二月二一日(日本王朝暦、享徳三年一一月二三日)の地震が韓半島での地震と連動していた可能性が高いことは指摘した。つまり、この室町時代の地震の、ちょうど一月後、一四五五年一月二四日(朝鮮王朝暦、端宗王二年十二月甲辰)に、朝鮮の南部、慶尚道・全羅道などで大地震があって多数の圧死者がでたというのである(『朝鮮王朝実録』)。
 そうだとすると、九世紀と一五世紀の双方で、日本と韓国の地震の連関性が推定できることになる。
 東北学の論文では、都司嘉宣氏の意見によって「そもそも日本列島から韓半島・中国東北部はアムールプレートの動きとの関係で、地殻の動きはしばしば連動するという。たとえば中国でも史上最大級といわれる山東省の郯城地震が一六六八年に起き、続いて一六八一年に韓国の歴史地震の中で最大規模といわれる江原道の地震、さらに日本でも、しばらくして、一七〇三年の相模トラフに淵源する江戸・関東大地震、一七〇七年の富士山の大噴火をともなった東海・南海地震が起きている。これは偶然的なこととは考えにくいという(都司嘉宣「韓半島で発生した最大級の地震」歴史地震20号)」と述べた。

 また、一〇世紀初頭に日本の有史時代で最大の噴火といわれる十和田カルデラの噴火と韓半島北部の白頭山の噴火という二つの大噴火が連続したことも偶然とはいえない(町田洋「火山噴火と渤海の滅亡」、中西進編『謎の王国・渤海』)。
 私は、八六九年の東北沖地震(貞観地震)、そして八八七年の東海南海地震(仁和地震)という二つの大規模なプレート間地震が二〇年の間をおかずに列島を襲ったということが、列島社会に住む人々の自然観や国土意識に大きな影響をおよぼしたことは明らかであると考えるようになった。しかし、問題は、そこにとどまらず、この二つの巨大地震の影響を、列島社会の「国土意識」という枠内でのみ考えることが適当でないのかもしれないという結論にたどり着こうとしている。
 こういう東北アジアの地殻の関係構造というものは、現在も生きているはずである。

 日本と韓国が同じ自然地帯を占有しているということは、韓国での大雨が、一昨日の新潟・福島の大雨に連動するのでも実感する。こういう実感は天気予報と情報手段の共有によって可能になっているのだが、それを歴史意識の上でもはぐくんでいくということが歴史家の役割なのだと思う。
 それにしても、福島の檜枝岐は民俗学にとっては大切なところなので、河川と浸水の様子はショックである。ただ、豪雨が福島県海通りには大きく及ばなかったことは原発にとってはラッキーであった。逆に、一昨日、昨日は、豪雨が汚染水をしみ出させるのではないかと非常に心配であった。それにしても、原発の周辺の雨がどうなっているかをいわないテレビというものは一体なんなのだろうという疑問。そういう心配をしないという顔をして報道し、「平常心」をもって天気情報を流すアナウンサーというものは通常の神経をもっていないのではないかと感じる。

 椎名に戻ると、レイチェル・カーソンにいわせれば「地母神」の思想は、神話の時代にのみ許された、地球へのマザコン的な依存心ということになるのかもしれないと考えた。もちろん、「地母神」は神話の思想として、そして母系制的社会の思想としてさまざまな意味をもっていたということもいうまでもない。『かぐや姫と王権神話』を書いてから地母神論に注目してきた。そして、私は、実は、東アジア的な地母神の思想、神話の思想は、日本では九世紀に最終的に解消されたと考えてきた。
 しかし、椎名がカーソンを引いているのを読んで、歴史家の仕事に戻ってくると、地母神の思想は、その最悪の部分、本質的なマザコン性の部分ではその残滓は現在でも残っているのかもしれないと考えた。

« 火山地震36スクナヒコナ(続き) | トップページ | 地震火山38「貞観津波」という言い方は正しいか? »

火山・地震」カテゴリの記事