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2011年7月10日 (日)

大地を区切ることと「国」の語源

 くに【国・邦】の語源について『日本国語大辞典』(小学館)に掲げられた語源説は15もある。しかし、「クニ」の「二」については「土」であるというのが多数意見である。「土」を「ナ・二」と読むのが、朝鮮・日本に共通する言語らしいこともよく知られている。
 問題は「ク」であるが、『字訓』が「所(ク)、処(ク)、陸処(クガ)」のクであるとするのにしたがって良いと思う。『字訓』は「所(ク)、処(ク)
」について、「もと神聖な場所を示す語であったらしい」とする。
 面白いのは「クナ」という言葉。これは、「ニ」と「ナ」が通ずるところからすると、実際上、「クニ」と同じ言葉だと思うが、これは方言では、「農作物の連作」(神奈川県津久井郡316)、「連作の畑。《くなばた〔─畑〕》とも」(静岡県磐田郡546)、「豆を作った翌年の畑。次に粟(あわ)を作る。《くなばたけ》」(青森県三戸郡083)、「焼畑の二年目。《くな》」(山梨県南巨摩郡464)、「焼畑の三年目。《くな》」(静岡県磐田郡546)、「一年中作物のある牧畑」(島根県隠岐島725)のことをいうという。
 つまり、「土」=ナ=大地のうちで、囲い込んで利用しているものを「クナ」といっているということになる。なお、文献でこの「クナ」という言葉があるのは、『日本国語大辞典』(小学館)によれば、現在のところ一例のみで、玉塵抄〔1563〕二六に「こぞの秋いねをかったもとの茎のみじかうのこってたをくなと云ぞ。此の字を田舎にいた時に人に問たぞ。古納(クナ)とかくと云たぞ」とあるものであるというが、つまり、そこでは「クナ」とは、「稲を刈り取った後に残った切り株」であるということである。これは、上記のように、方言で「クナ」が「農作物の連作」であることに対応して生まれた用語法であろうと思う。
 興味深いのは、上記の方言の用例では、連作していること、とくに二年目・三年目になると「くな」として占有しているということが言葉の上で表現されるということで、これは逆にいうと、三年使用していなければ、「くな」から外れるということを意味するのではないだろうか。
 昔から考えていることなのだが、いわゆる「墾田永年私有令」なるものの段階からみえる「三年不耕」の原則はまずは農事慣行として存在していたはずである。「クナ」とは、まさにそれを示す民俗語ではないかと思うのである。方言では「住居から離れた普通の耕地」(山梨県南巨摩郡464)、「水田」(岡山県真庭郡746)のことをもいうようだが、ようするに「自分の領分のナ=地」ということを、こういっていたのではないだろうか。沖縄では「組織すること。まとめること。《くな》」(沖縄県首里993)というのも面白い。
 この方言の分布からみて、この言葉の淵源はきわめて古いと考えてよいのではないかと思う。そして、『字訓』が「ク」について「もと神聖な場所を示す語であったらしい」というのに反対する訳ではないが、より深い言語層、より古い言語層では、日常的な関係としての「占有」を表現するといってよいのではないだろうか。日常的な語彙とより宗教的・イデオロギー的な語彙は、関係しつつも、一応、区別して考えるべきであろうと思う。そして、歴史学にとってまず解明が必要なのは、ブローデルではないが「日常性の構造」であると思う。
 「クニ」の語源説でもっとも有名なのは、本居宣長の「垣」(クネ)説であるようである。『日本国語大辞典』(小学館)から、その語源説を引いておくと「(4)古語で分界のことをいうクマリの転で、クム、クモと同根〔東雅〕。 クモニ、クムニの約〔古事記伝〕。(6)限りの意〔古事記伝所引賀茂真淵説〕」ということになる。「クニという名は限りの意なり。東国にて垣根をクネというにて知るべし」(『古事記伝』)ともある。
 しかし、現代の学問あるいは学問条件というのは、やはり進歩しているもので、この「クネ」についても『日本国語大辞典』(小学館)を引けば、用例が相当でてくる。そして、それを読んでいると、これは上記の「クナ」に深く関わる言葉で、こうして「クナ」「クネ」はたしかに「クニ」に関わるということが、本居のレヴェルを越えて具体的にわかることである。けっして本居の判断や直観をなみする訳ではないが、学問を一つ一つ新しくしていく決意が、現代の学者にも必要だと思う。こういうことをいうと、学問条件の進歩に乗っかっていい加減なことをいうと怒られることがあるが、なにしろうまくやれば「簡単」にできるのだから。
 「クネ」について、『日本国語大辞典』(小学館)が文献からあげるもので、もっとも古いのは、虎寛本狂言・瓜盗人〔室町末~近世初〕で、「瓜つるを引立てのけう。〈略〉腹も立つ。くねをも引ぬいてやらう」とある。そして、読本・飛騨匠物語〔1808〕三「垣のくねより覗き見るに」、歌舞伎・隅田川花御所染〔1814〕中幕「『道は無いが、それともくねを破って』『なにサ、荷を担いでは垣を破って行けまいて』」、菊池俗言考〔1854〕「西国にては屋鋪廻りの藪を久禰と云」などが上げられている。
 たしか「くくね」という形で、私の編纂した文書か、研究した文書にあったように記憶するので、もっと古くから「竹などを編んだ垣根。また、いけがき。くね垣」という意味で使用されていたことは明らかである。これはこの前発表した「地頭領主権と土地範疇」という七面倒くさい論文で、田畠の境界、畔についての細かな議論をやったので、その関係でもう一度再検討はする予定である。
 仕事の話しはやめて、「クネ」の方言を『日本国語大辞典』(小学館)で紹介すると、下記のようである。長いのでとばし読みしてください。
(1)垣根。生け垣。《くね》石巻†055会津†062常陸†064東国†035岩手県092秋田県130山形県144福島県163茨城県188栃木県198群馬県234埼玉県258千葉県261東京都310神奈川県319新潟県361山梨県461長野県470488静岡県520長崎県西彼杵郡054宮崎県西臼杵郡038《くねばら》新潟県中頸城郡384《くに》阿波†025《けね》宮崎県東諸県郡952《くぎい》長崎県西彼杵郡054
(2)屋敷の周りに植えた木。屋敷林。防風林。《くね》栃木県安蘇郡208東京都八丈島335新潟県西蒲原郡371長崎県南高来郡905《くねばやし〔─林〕》長野県諏訪481《けねやま〔─山〕》鹿児島県肝属郡970《くねやぶ〔─藪〕》西国(屋敷周りのやぶ)†131
(3)やぶ。竹やぶ。《くね》千葉県安房郡001山梨県455
(4)屋敷の周囲。《くね》新潟県岩船郡362長野県諏訪481静岡県小笠郡537宮崎県西臼杵郡038
(5)田の周囲の畔(あぜ)。《くね》伊勢†035長野県東筑摩郡054三重県伊勢002高知県長岡郡869《くねいり》岐阜県稲葉郡498《ふね》石川県河北郡404《くな》島根県隠岐島740
(6)畑の境の垣根。《くね》青森県上北郡082
(7)里近くに所有する山。持ち山。《くねやま》とも。新潟県佐渡358
(8)山の立ち木。山林。《くね》山梨県南都留郡459長野県東筑摩郡480
(9)年古い樹木。《くね》静岡県庵原郡521
(10)山腹の峰のような形の所。《くね》愛知県北設楽郡062
(11)山のふもと。《くね》新潟県佐渡348
(12)境。《くね》新潟県佐渡352
(13)杭。《くね》福島県東白川郡157千葉県市川市040《くねんぼ》福島県南部155
(14)農作物などの支柱。《くね》群馬県勢多郡236新潟県上越市382長野県493《くねぼう〔─棒〕》長野県小県郡469《くねぼや》長野県北佐久郡469《くねぼよ》新潟県上越382《くねそだ〔─粗朶〕》長野県北信469
(15)芝草を長方形に切り取ったもの。《くね》岩手県九戸郡088
(16)一定の長さに切った薪。《くね》新潟県中頸城郡382
(17)植物、うつぎ(空木)。《くね》青森県036秋田県036《くねしば》秋田県003
(18)植物、いぼたのき(水蝋木)。また、ねずみもち(鼠黐)。《くね》山形県飽海郡139
 【語源説】に、〔俚言集覧〕が上げられていて、「界限のあることをいうところから、クニ(国・邦)と同語」という解説がされているから、以上、述べてきたことは、いってみれば昔から分かっていたことということになるかも知れず、上記の広言が恥ずかしくはなるが、議論が細かく、明解になってきたことだかへ確かだろうと思うので、御勘弁を願いたい。
 私と同じ時代の研究者、平安時代から戦国時代までの研究者ならば、上記をみてもっとも感動するのは、おそらく(17)の「植物、うつぎ(空木)」を《くね》というという部分だろうと思う。『日本国語大辞典』(小学館)は、
「くね‐うつぎ」という言葉もとっている。ウツギはいうまでもなく、卯の花のことで、これが氏神の花とされて、平安時代の田堵百姓の宅地・耕地をめぐる垣根の花として和歌に頻出することは、戸田芳実氏の著名な研究以来、知らない研究者ないないはずである。
 しかし、それにしても思うのは、こういう「クネ」「クナ」という言葉が、東アジアでは異様に大量に存在する日本の「古文書」にほとんどまったくあらわれないことである。その意味では、私の記憶する「ククネ」という古文書は大事な意味をもっているはずであるが、古文書にはまったく登場しない言葉を、昔の人々、庶民が使っていたということを十分にふまえて、土地所有に関わる議論はしないとならない。そこに到達できないと、実際上、大地、土地、土地占有ということの具体性がわからないということである。
 歴史学が、こういう議論を平安時代から江戸時代まで通して処理できるようになるのは何時のことになるのだろう。ともかく、現代は、「大地」と人間の関わりが問われている時代であることは明らかであるから、迷うこと、そしてきついことも多いし、多かろう
が、急いで急いで前進しないとならないと思う。
  昨日「地頭領主権と土地範疇」を送った、T・Y氏から懇切な手紙をいただき、研究仲間の大事さを思う。もう30年前か。

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