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2011年7月27日 (水)

火山地震36スクナヒコナ(続き)

 昨日、駅から自転車に乗って帰る途中、左目に小さな痛みが走り、夜から痛み始め、よく眠れず。朝になっても痛いので、午前中の史料撮影の仕事を15分早く切り上げさせてもらう。Uさんどうも失礼。赤門から信号をわたって眼鏡屋の上の眼科へ。10年か15年か前にもかかったが、K先生は御変わりない様子。
 検眼鏡でくわしくみてくれた。「異物」ですということで取ってくれたら、一挙に痛みが引く。薬の会計をしながら、気になって伺うと、「小さくひらべったい透明なもので、ぺったり張りついていた。そこが血管が腫れていた。黒目にはかかってませんから安心していい」と。
 いま職場に帰って消炎の目薬をさして直った。異物は何なのかはわからないということだが、怖い話しである。こういう事故が、たとえば昔の人にあったら、直せるものであろうか。目から異物を取るのは自分でやる人も多いが透明な小さな異物などは専門でなければとれないのではないだろうか。昔の眼病の研究もしなければ、論文はあっただろうか、などと考えるのは、歴史家のサガ。貧乏性。しかし、眼科の史料は『病草紙』ぐらいしか思いつかない。
 ちょうど職場の前で、職場のU氏にあうと、彼からスクナヒコナについて吉田先生が「火の粉」の神ではないかといっていたという情報。たしかに、柳田国男を通してみていくと「硫黄」をふくむ、燃焼性の粒、金気のものという印象なので、的確な言い方かもしれないと思う。
 一つは「火の粉」それ自身というと、柳田国男がいうように忌部の神の一つ、天一箇目命=鉱業神が隻眼の理由は目に金粉が入ったためであるという議論との関係で興味深い。
 さらに問題なのは、U氏もいうように、スクナヒコナは粟柄から飛んで常世の国に帰るという神話の一節である。これは粟の焼畑との関係を思わせる叙述で、その意味では「火の粉」一般の方が説得性がある。とくに大林太良氏のオオゲツヒメ論があるので、オオゲツヒメとスクナヒコナが列島の農業神話の最基層を形成している可能性が、さらに火山神話にむすびつく可能性があることになる。南アメリカの火山神話が焼畑と地母神としての女性に結びついているということから考えると、もしスクナヒコナを火山神と結びつけてよければ、図式としては共通することになる。
 あるいは伊豆神津島の火山の女神の名前、「阿波神」はオオゲツヒメとダブルイメージなのではないかというのが大林太良さんの議論を考えたときの印象である。なお、史料の実態論的な解釈をブログですぐに書くのは研究状況からいって避けている。年取った人間が史料に即した議論をブログで自由にいろいろいうことはひんしゅくの元である。ただ、他分野に関わる語源論的な「思いつき」は御許し願う。
 いずれにせよ、スクナヒコナが火山との関係があることは確実なので、スクナヒコナの神格の中心が硫黄にあるという小路田氏の創見は揺るがせないと思う。
 さて、東北地方の地震で各地で液状化が起きているが、その中に、戦後、燃料不足の時に企業的な採掘が行われた「亜炭」採掘後の農地に液状化がきびしいという話しがある。この「亜炭」が「スクモ」であることはいうまでもない。こういう被害、つまり生産手段が異なる社会的分業の対象となった場合、生産手段の切り替えにともなう見えない瑕疵をどう社会的に扱うか、とくにこういう自然災害の中で明らかになった瑕疵をどう扱うかというのは社会経済にとっては基本的な問題だと思う。これは調整者としての公権力が必要な保障をするべき問題だと、私は、思う。
 社会正義というものを広くとらえて保障の範囲が広くなっているのはヨーロッパの趨勢である。それを日本社会も熟慮の上で採用するべきだと思う。自由勝手、強いモノがちという「規制緩和」なるものを主張していた(主張している)某・某政治家などは、震災後の状況をみていると、政治家としての何の先見性もなかったことが明らかになっていると、私は思う。私は主要責任がどこにあるかを曖昧にしたまま、社会一般・文明一般に問題をつけまわしするような三文知識人の意見にはとても賛成できないが、しかし、某・某政治家の意見が強く流通した時期があったのは事実で、これは社会における熟慮・熟議の伝統の軽さの表現でもあるのかも知れないとは思う。
 先日、ドイツの外務大臣が、ドイツの原発廃止は、「熟慮・熟議」の上に、従来の議論を拡大したものでくつがえることはないと、新聞で語っていた。歴史学はそういう意味での「熟慮」「熟議」のための学問であることはいうまでもないが、そういう力を本当に、現実に発揮できるのかが問われている。
 それにしても、現在は「熟慮」よりも行動の時なのだろう。私はほぼ毎日、防災科研の高感度地震観測網をみているが、福島第一原発のすぐ近くまで双葉断層の地震マークが、かさぶたのように密集し、海側をあわせてあと10キロもないというところまで迫っているのをみて、クワバラ・クワバラである。さっき、そのページを開いたら、12時55分にM2,5の小震が原発のすぐ沖で起きている。それは報道はされないし、地震波は我々にはみえない。
 しかし、このかさぶたが毎日毎日盛り上がってきて、問題の地帯を呑み込もうとするようにみえるのは、目の錯覚か。ともかく、防災科研のHPで、一度、御覧になることを御勧めする。

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